2009年09月01日

保険屋さんのフェロー

 少し秋の気配が漂ってきたが、それにしてもちょっと気の早い背景の写真を掲載する


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 昭和43年型ダイハツフェロー、45年頃、京都国際会議場の前で撮影している。


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 イザナギ景気と言われた好景気のまっただ中で、経済成長率11,6%といううらやましいくらいの時代だった。


 何もかも右肩上がりのこの時代、私の自動車屋に生命保険のセールスレディ、つまり保険屋のおばちゃんのお客様があった。
 昔のセールスマンは1軒1軒歩いて訪問する「飛び込み」と言われる方法が圧倒的に多かったのだが、この頃から成績の良い人は自転車や車を使う人もあった。

 なんでも会社から頂く給料ではかえって損になるので個人経営にしている人がいるとの噂もあった。
 そんな保険屋のおばちゃんに発売間もないダイハツフェローをお買い上げ頂いた。

 フェローはダイハツ初の軽乗用車で、プリズムカットと言われた美しいデザインと、びっくりするほど堅牢な車台を持ったくるまであった。
 近年これによく似たデザインのレトロなクルマがヒットしたが、ねらいは逆で、プリズムカットはモダンなデザインだった。
 サスペンションはフロントダブルウイッシュボーン、リヤはダイヤゴナルリンクのスイングアクスルであったが、ハイゼットのような無骨でごついパーツを使っていたので、驚くほど丈夫だった、なので乗り心地は上等で、軽自動車とは思えぬほど、大げさに言うと重厚な乗り味だった。

 ところがこのくるまが保険のお客様に評判がよろしくないと云うのだ、どうしてかってとにかく煙がひどくて狭い道路の住宅街などじゃ煙が滞って近所迷惑だとおっしゃるのだ。

 この時代の軽自動車は、2サイクルエンジンが主流、スバル360,ミニカ、フロンテ、サンバー、ハイゼット、キャリー、それにミゼットもみな2サイクルエンジンだった。
 2サイクルエンジンとはどんなエンジンだったかと言うと、バルブ機構が存在しない、つまりクランク室で圧縮した混合ガスをシリンダ内に送り込んで、それで燃焼済みのガスを掃気する、だからピストンなどの摺動部にオイルを送ったり、そのオイルを回収したりと言うことが出来ないわけで、しようがないから燃料の中にオイルを混ぜてしまったわけだ。
 だからエンジンオイルの燃えカスはマフラーを通って白煙となってテールパイプから出る。
 軽自動車は煙を吐いて当たり前なのだ。

 だがスバル360と違ってフロントにエンジンを載せたフェローの場合、長いエキゾーストパイプの途中に大きなサイレンサー(マフラー)を二つもおごったものだからテールパイプから出る排気ガスはすっかり冷えてしまって白煙が多くなってしまうのだ。
 つまり排気温度が高いまま外に出した方が人間の目には見えにくいと云うことだ。
 で、これは発売一年後に改良されてサイレンサーは一つになった。

 それはともかく、保険屋のおばちゃんはこの白い煙がお客様に評判よろしくないのだから、その矛先は自動車屋に来る、かと言ってこればかりはどうしようもない、しばらく辛抱して小型車に乗り換えてもらったが、なんだか成り行きで、この下取り車を私が引き受けることになった。

 私はこのクルマを郊外に持ち出してエンジンをぶん廻しにすることから始めた、マフラーを焼いて煙を出してカーボン掃除をする為だ、これで煙は少なくなるのだが、また暫く街乗りをしていると元の木阿弥だ。
 マフラーを焼くなんてことをするのは排ガス対策だの公害や温暖化という言葉さえ知らなかった時代のことである。

 また、23馬力の非力で小さなエンジンを前に縦置きにして長いプロペラシャフトで500㎏近いボディを走らせるのだから、どうしても力不足は否めなかった、特に峠道などではひぃひぃ悲鳴をあげて走らせなければならなかった、もちろん後ろに煙幕を張って、だ。
 これがホンダN360の発売に端を発した馬力競争に巻き込まれて初期の23馬力のエンジンはついに32馬力まで絞り出すのだが、どうしても軽快な走りにはならなかった。

 保険屋のおばちゃんは約2年、辛抱して乗られたが、私は1年で音を上げてしまった。だがモダンなコラムシフトや広い室内とトランクルーム、それから写真でも判るが、冬のオーバークール対策でラジエター前に段ボールを2枚差し込んで調整したことなど、なんだか懐かしいくるまの一台である。

posted by 健太朗 at 17:29
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