東急くろがねというメーカーは、オート三輪のメーカーで、他社に先駆けて水冷エンジンを得意としていた、そしてそれは頑丈だという定評があったようだ。
そのくろがねがスバルサンバーより数年早く(昭和34年)、先進の軽自動車を発売するのに空冷エンジンでは具合がよくなかったようで、水冷2気筒エンジンをリヤに積んでいたわけだが、これがサイフォン式と言う水冷方式で、ウォーターポンプを持たないで水温の差を利用する、つまり対流を利用して循環を行うという、これはT型フォードと同じだと先輩に教わった記憶がある。
スバルサンバーもそうだが、リヤエンジンにすることで、キャビンとエンジンルームの間のスペース、つまり荷台の床を思いっきり低くできるという利点があり、また当時の法律ではトラックの荷台にきちんとシートを備え付ければ二人の乗車が可能だったので、こういう用途にも適していた、ひろしくんちのベビーもこのキャンバスワゴンというタイプだった、ところが。
ある時、ひろしくんちの社員さんの一人が私たちをドライブに連れてってやるというので、三人は喜んで車上の人となった。
このクルマの音を言葉で表現すると、エンジンは「ぎゅうぎゅう」排気は「ぱりぱり」、とこうなる。
そして問題は東山ドライブウェーを登りの途中に起こった。
坂道がいよいよ急勾配になったとき、もちろんこの360cc18馬力の軽自動車がトップギヤのまま上れるはずはないが、セカンドでもだめ、ローギヤでもいくらアクセルを踏みつけてもエンジンがうなるばかり、ついには止まりそうになる。
私はこの時、「冷却水はだいじょうぶ?」などと生意気言った記憶がある。
サイフォン式の、当時のラジエターキャップはときどき冷却水をオーバーフローさせることがあると言うことを自動車雑誌で読んで、知っていたからである。
そこで私はバックで登ることを提案した。もちろん1人の大人と3人の中学生がいろいろ議論をしたあげくのことだ。
何しろその頃の東山ドライブウェーは有料だったのだ、途中で引き返すことなどもったいなくてできない。
非力なくろがねベビーは見事、バックで将軍塚まで登り切ったのである。