2008年07月10日

高速道路のキャリー

 名神高速道路というのは小牧ICから西宮ICまでの名前だと思っていたら、正式には東京から長野を通って西宮までの、つまり、名神・東名をひとつにして、中央自動車道西宮線、というらしい。
 そして小牧JCTと小牧ICの間は第一東海自動車道つまり東名高速道路と重複しているという。

  その名神高速の小牧・西宮間が開通して間がない頃、そして私が軽自動車免許を取ってすぐの頃。
 トヨタは新型のコロナを使って高速10万km連続
走行に挑戦し、見事成功している。
 私はその名神を走りたくてしようがなかった。


 しかし私の周りに高速をぶっ飛ばせるような軽自動車は見あたらなかった。
 そこで下取り車として入ってきた、スズライト・キャリーに目を付けて何かと理由をこじつけ、同僚を横に乗せて京都南・茨木間を走ることに成功した。

 

Photo

 それはそれは素晴らしい体験であった。
 この初代キャリーは空冷2サイクル2気筒359CC21馬力エンジンを、ボンネットトラックに見えるがシート下に載せている。

 前後ともリーフリジットだ。
 最高速度はカタログでは76Km/hとなっているが、どんなにがっばっても70Km/hが限界だ。

  だが高速道路のあたらしい路面はなめらかで美しく、ただエンジンの悲鳴だけがやかましかった。
 どんなにやかましいか、それは今のクルマにたとえるものがない。とにかくオートバイのような空冷エンジンを鉄板でカバーし、その隙間に大量の空気を通すのだ。
 ま、想像せよと言うのは無理だろうが、これが当時の軽自動車の比較的、まし、なクルマなのだ。

 でもでも、おおむね快調に走っていたのだ。

 それがサントリーのウィスキー蔵が見える辺りで、突然エンジンが停まった。

 高速道路とはいえ「部品工場のミゼット」と同じ頃のこと、路肩に停まってしまっても特に危険はない。
 一息ついてセルダイナモ(エンジン直結でスターターと発電機の二役をする装置)を回してみる、ちょっと軽い音だがよく廻る、しかし初爆はない。
 ようすを見るためプラグを外してみる。当時の車載工具にはプラグレンチなど当たり前で入っていた。

 外してみて驚いた。プラグの先んちょがない。溶けてしまっているのだ。

 予備のプラグを付けてみる、当時のドライバーはちょっと気のある人なら予備のプラグぐらいは誰でも持っていた。
 しかしかかる気配がない、それどころかどうも圧縮がないようだ、ぽこぽこ言わないのだ。新米メカニックにもどうやら判ってきた。

 
 これは救援を呼ぶしかない。


 当時の名神高速で牽引を禁止していたのかどうか判らないが、とにかくK3に牽引されて帰った記憶がある。そして社長から大目玉を食らったのは言うまでもない。

 シリンダヘッドを分解してまた驚いた。
 ピストンの頭に大きな穴が開いているのだ。二つとも。アルミが溶けたその様子は、今、現物も写真もあるはずもないが、私の頭の中の記憶装置には鮮明な画像が残されている。

 それ以後、私が再び高速道路を走るのは、2年後普通免許を取って「利休色のコロナ」を手に入れてからのことだが、これがまた大変なことになるのだ、次回はそのはなしを

posted by 健太朗 at 22:46
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