2008年05月09日

カローラの長谷川龍雄さん

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 日本の自動車の中で、カローラほど工業技術の発展と日本社会の繁栄に寄与したクルマはない、そのカローラやパブリカを創った長谷川龍雄さんが逝かれた。
 92歳の大往生だった。

 スバル360の百瀬晋六さん、サニーの田中実さん、プリンスの田中次郎さん、S800の中村良一さん、ロータリーエンジンの山本健一さんなど、日本の自動車発展の立役者の多くは飛行機畠出身である。

 カローラやパブリカ、それにスバル360や三菱500などはモノコックボデーの先駆者たちである。

 長谷川さんがFFのパブリカの設計に取りかかった頃、日産の田中さんはRR方式のクルマを試作していたという、モノコックボデーに水平対向空冷4気筒のVWに近い構成だったらしい。

 それがなぜ中止になったかというと、あまりの高性能にその頃のダットサンがひどく見劣りするという理由だった。
 そしてプリンスでも同じような試作車があったらしいのだが、こちらは資金力の問題だったようだ。
 このクルマの走行テストをやっていたスカイラインの桜井真一郎さんは「実によく走るクルマだった」と陽の目を見なかったことを残念がっていたという。

 結局長谷川さんの飛行機設計で得たモノコックボデーの思想が車体強度計算の基礎となって

いった。
 まだ手回しの計算機を使っていた時代のことだ。

 飛行機畠とは云うまでもなく第二次世界大戦中の兵器としての飛行機のことである。
 百瀬さんは中島飛行機で「疾風」を、田島さんは三菱で二式水上戦闘機を、という風にそれぞれ大戦で活躍した、または敗戦のために活躍できなかったがそれはそれはすごい飛行機やそのエンジンを創られた方々だ。書ききれないが他にもたくさんいらっしゃる。
 そのほとんどか故人となられた。

 私はどんな場合でも武力によって平和がもたらされることはないと主張する一人であるが、現在の日本の繁栄と世界に誇る工業技術力はこれら大戦時に培われた技術がその基となっていることは否定できない。

 その中にあって長谷川さんのカローラは今や世界で一番たくさん作られている車に成長し、世界中の自動車設計のお手本となった、もちろんそれは初代カローラが素晴らしかったからこそ40年以上、10代目になってもまだベストセラーであり続けているのだ。

 その長谷川龍雄さんがこんな言葉を残されている。
 「地球人の福祉と幸福のためにカローラを・・」

 長谷川龍雄さんの冥福を祈りたい。

posted by 健太朗 at 23:23
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