2014年11月05日

コルト・ファーストバック

  三菱自動車は日本で最も古い自動車メーカーです。

  その設立は1870年といいますから明治3年、150年以上も前になります、もちろんその時から自動車を作っていたわけではありません。

 

 最初は、海運会社九十九(ツクモ)商会、という船の会社でした、その後、三菱造船となり神戸造船所でフィアット3型を模した三菱A型乗用車という自動車が作られました、大正7年のことです。

 

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 三菱造船はやがて三菱重工業になって、昭和25年過度経済力集中排除法つまりダグラス・マッカーサーによる財閥解体により東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業3社に分割されて、のちに三菱日本重工、新三菱重工業になりました。

 

 その間にカイザー・フレーザーのヘンリーJをノックダウン、またジープをノックダウンしました、こちらはやがて国産化されて三菱ジープとなってパジェロに進化します。

 

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 そして昭和39年分割された3社が合併し三菱重工業、昭和45年には自動車部門が独立して三菱自動車工業となります。

 これより前、昭和34年には以前からオート三輪トラック「みずしま」を作っていた三菱グループで岡山県の水島製作所が「ペット・レオ」という軽3輪トラックを開発し、これを「三菱レオ」として発売しました。 

       

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 この水島製作所は昭和40年代には、三菱ミニカや三菱360などを開発して、三菱自動車の開発・生産拠点となります。

 

 一方、名古屋自動車製作所と京都製作所を中心とした開発グループは三菱500、コルト600そしてコルト1000と開発を進めて行きます。

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 コルトファーストバックは水島製作所で開発されたモデルであり、ミニカでの経験によって800ccの2サイクルエンジンを搭載していました。

 

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 ですから、誠に異例のことですがコルト600や1000などとファーストバックのコルト800とはおなじ三菱ブランドですが全く違うクルマであり、そも開発者も生産者も違っていたということだそうです。

 三菱重工としてはこのような二重投資を反省して、自動車部門独立に先立ち、車両開発体制の整理を余儀なくされたのです。

 

 さて、話題のコルト800とは、全くオーソドックスな3ボックスセダンのコルト1000とは違って特徴的なファーストバックですが昭和40年に発売された当初はテールゲートがなくてノッチバックのようなトランクルームでした、しかし42年には3ドアのハッチバックが登場し43年には4ドアが出ましたがこれにもハッチバックはありませんでした、今のように2ボックスイコールハッチバックではなかった時代のことです。

 

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 コルト800のエンジンは2サイクル水冷直列3気筒843cc、45馬力、トルクが8.4kgmもの高出力エンジンで120°等間隔点火と4サイクル6気筒以上の滑らかで、性能は良かったのですが燃費が悪く、また音と白い排気煙が軽自動車みたいだと評判を落としたのです。

 私の自動車屋で納車したクルマのお客様からもまさにこのような表現で苦情を聞かされたものです。

 

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 しかし駆動方式では、500や600のようなリヤエンジンではなく、前ダブルウイッシュボーン・横置きリーフと後リジットリーフのオーソドックスなFRの足回りは滑らかでまずまずでしたが、まだこの時代の足回りは車検の度に分解やパーツ交換の必要があって、ふつうのサスペンションだからよい、という評価は得られませんでした。

  そこで前述の車両開発体制の整理が出来た証のように出来上がったのがコルト800のファーストバックボディにコルト1000のエンジンを積んだコルト1000Fだったのです、つまり水島自動車製作所のボディと京都製作所のエンジンが合体して、これによって現在に続く三菱自動車工業が出来上がったというわけです。

 

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 昭和41年に発売されたコルト1000Fは4サイクル直列4気筒OHV997cc 55PS/6000rpmトルク7.5kgM/3800rpmで最高速度は135km/hと、パワーアップされましたが、これとてライバル達に一矢報いることはできず、1100ccと更にパワーアップされて11Fとなりましたが、昭和43年にはコルトギャランへとモデルチェンジされました。

 コルトファーストバックは実は日本で初めてのファーストバックであり、800はフロンテ800と並んで日本の乗用車では数少ない3気筒、2サイクルエンジンを積んだきわめてユニークなクルマでした、数年前、確かトヨタの試作で過給機や燃料噴射などを使った2サイクルエンジンがありました。 

 

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 2サイクルエンジンは魅力的なエンジンですので、こういう個性的なクルマやエンジンが再び開発されるといいなと思います、イタリアのFIAT500は2気筒エンジンを復活させたのですから。

 

 

 

posted by 健太朗 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ミツビシの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

和尚さんのミニカ

  考えてみたらこのブログで三菱のはなしを書いたことなかったですね、そこで今回はミニカのはなしです。 

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 以前、幼なじみのてんとう虫、というはなしを書きましたが、そのスバル360の代替として和尚さんが乗られた三菱ミニカです。

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 三菱ミニカという車種は昭和38年に初代ミニカが発売されて平成23年まで、実に8代45年という長寿命の名跡なのです。

 日本の乗用車の中でもっとも長寿なのは言わずと知れたクラウンの14代59年ということになりますが、軽自動車ではこのミニカがNO.1なのです、でもミニカの名前は既に廃止されておりますからクラウンと違って破られるかもしれない記録ですね。

 さて和尚さんのミニカは初代のマイナーチェンジ後、1964年式です。

 

 初代ミニカの後期型はME24型2サイクル強制空冷直列2気筒359cc18馬力リードバルブ管制方式・分離給油方式、という当時の2サイクルエンジンの最先端技術が盛り込まれています。

 

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 強制空冷というのはオートバイのようなフインで覆われたエンジンをブリキ板のような薄い鉄板ですっぽり包み込んで、この隙間に大量の空気(風)を送り込んで冷却するというもので、現在ではもうお目にかかれませんが軽自動車の発展途上では盛んに使われた方式で、コストパフォーマンスは良いのですが騒音を抑えるのが難しく、各メーカーではいろいろな工夫をしていたようです。

 またリードバルブ管制方式というのは、2サイクルエンジン特有の吹き返しを防ぐために吸入ポートにハーモニカのリードのような逆流防止弁を組み込んだものです、これによって吸入効率が良くなって性能を上げられたのです。

 私の記憶では軽自動車2サイクルエンジンの中では一番、回転がスムーズでふけ上がりが安定していて使いやすいエンジンだったと思います。

 それはシャシに癖がなくしっかりしていたからではなかったかと思います。

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 実はミニカは当時の新三菱重工のクルマですが、水島自動車製作所というメーカーの製品だったのです、もちろん三菱グループの会社ですが、戦前は水島航空機製作所で海軍一式陸上攻撃機を作っていました。

 一式とは皇紀2601年4月に制式採用されて名づけられたもので、星型14気筒42.1立1530馬力、金星、というエンジンを載せて空気抵抗の少ない双発機だったそうです。

 そして戦後は、水島機器製作所に改名してオート三輪「みずしま」から軽三輪「ペット・レオ」を三菱レオとして発売、その後社名を水島自動車製作所として三菱360という商業車を開発、ライバルに較べて乗用車的な居住性と高級感を備え、三菱のブランド力も加わって人気があった車でした。

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 その三菱360をベースにして作られたクルマですから、堅実、平凡で先進技術に乏しい代わりに信頼性のあるクルマで、前・横置きリーフのダブルウイッシュボーン、後・リーフリジットです。
 まだ技術力に乏しい時代のFFやRRより当然乗りやすく使いやすいクルマであったことは間違いありません。

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 和尚さんがミニカに乗ってから、以前のスバル360のように電柱にガリガリこするようなことがなくなったことは言うまでもありませんが、その後の和尚さんのクルマは昭和45-6年ごろに乗り換えられたミニカF4を含めて、引退されるまで見事に無傷でした。

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posted by 健太朗 at 22:15| Comment(10) | TrackBack(0) | ミツビシの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする