2017年08月07日

お兄ちゃんのデリカ・スターワゴン


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  実家の兄がデリカ・スターワゴンを買ったのは私がファミリアAPに乗っていた頃ですから、昭和56年頃だったと思います、昭和48年のオイルショックからようやく立ち直って、パソコンや携帯電話などのハイテクブームが始まる前夜とも言える時代、我が実家の商売も少しよくなった頃だったと思います。

景気はさておき、まだ今のように大きなワゴン車がファミリーカーだという時代ではなかったので、「必要もない大きなクルマ」と親戚中からブーイングが飛びました、それでも兄の家族は息子・娘それにおばあちゃんで6人家族だったのですから、そういう時代だったのでしょう。

 私もよくこの車を借りだしては郊外の野外パーティーなどに出かけたものです。

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 さてデリカスターワゴンはデリカとしては2代目ですが、恐らく国産車で初めての豪華ワンボックスカーと言ってもいいのではないかと思います、しかし時を同じくしてトヨタから2代目ライトエースのワゴンが登場しています。


 これより以前はキャブオーバー型トラックから派生したバンに8座~10座のシートを装備したワゴン車はコーチなどの名称が多く、あくまで商業用で例えば人足を運ぶような利用のされ方でしたので豪華装備とはほど遠いものでした。

 ちなみにハイエースにはコミューターという名の12人乗りマイクロバスもありました、またニッサンはキャラバン初代からプリンスホーミーという名の15人乗れるバスがありましたが、いずれもエンジンは小さく、簡素なシートの商業用でした。

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 さてさてデリカワゴンのカタログには、「僕たちにはタウンは狭すぎる」「タウンを出よう」などのフレーズがいくつか見られます、4mそこそこのデリカがそれほどにタウンエースを意識していたのでしょうか、でも実際タウンエースより大きく広く、安楽なシートはリラックスしながらどこまででも走行って行けるようなイメージが演出されていました。


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 例えばとってつけたようなスライド式サンルーフは透明プラスチックのデフレクターのおかげで風きり音や巻き込みもなく快適です、ポータブルサウンドコンポというラジカセのようなデッキが付いていましたが、ポータブルとして車外に持ち出すためにはバッテリーやスピーカーはオプションで用意しなければならないので、持ち出して使ったことはありません、クーラーは後付けの吊り下げ式ですが充分よく冷えましたし、ヒーターは後部にも附いています。

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 一方外観のデザインは素直で簡潔な箱形で非常に好ましいのですが、エンジンは小さく1800cc100馬力、足回りはダブルウィッシュボーンとリジットリーフ、そしてパワーステアリングは無し、シフトは5速コラムMT


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京都郊外のワインディングロードを満車で走ると両手両足が鍛えられること間違いなし、という状態ですから乗用車、高性能車、空のトラックなどを後ろにずらっと従えて追い越されるスペースを探しながら走行るのですから、気を遣います。

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 しかし街中では楽しいクルマです、現在のミニバンと呼ばれるワゴン車はほとんど3ナンバーですね、でも日本の風土には、特に京都のような細い路地が多い町には合いません、全幅が数センチ広いだけでも走行りにくいことがあります、その点、デリカスターワゴンは全長4m・全幅1.7mの5ナンバー(アクアと同じくらい)ですから乗りやすく、だだし背が全高2mと高いので、みんなでわいわい騒ぎながら移動するにはもってこいのクルマです。


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 しかし現在のミニバンのルーツとも言えるこの時代のワゴン車は乗用車というより「商業車の乗用タイプ」というカテゴリーになっているのが残念ですね。

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 デリカスターワゴンは昭和61年にモデルチェンジしてわずかに大きくなりますが、ミツビシはパジェロの大ヒットに乗じて4輪駆動を前面に出したものですからアウトドア派には人気がありましたが一般には少し低迷した感がありました。

 そしてその人気は平成9年デリカスペースギアの好評で盛り返します、そして現在ではデリカD.5OEM販売のD.2D.3にデリカの名を残しています


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posted by 健太朗 at 20:34| 京都 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ミツビシの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

コルトの後継車、ギャラン

 ミツビシが燃費をごまかしたとかで、えらい話題になってますね。

 でもね、カタログの燃費なんてもともと信用できない数字ですよね、私のアクアなんて37km/Lと途方もない数字になっていますが、普段の実燃費は22~23km/Lくらいですかね、カタログデータにはほど遠いですよ。

 eKワゴンのカタログでは29.2km/Lとなっています、実燃費がどれくらいかわかりませんが、カタログデータの半分強くらいと言うのが常識でしょう、試しに燃費ランキングで検索してみたら19.99km/Lとでました。

 

 大騒ぎするほどのことはないと思うのですがね、それよりも難しいことですが、もっと実燃費に近いデータをカタログに載せる工夫が必要じゃないかと思うのです。

 この騒ぎで大きな損失を被った三菱社員や下請けはたいへん気の毒ですよね、マスメディアも少しはお手柔らかに・・・と思います。

 さて今日の話題は初代ギャランの話です。


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 昭和44年、この時代のカタログ燃費は平坦舗装路で出た数字ですから実燃費との差はもっと大きいものでした、当時の自動車雑誌によると60km/h定地燃費24.6km/L、10モードで14.5km/Lです、でも実際には10km/Lを割っていたと思います。

 

 幼なじみの秀ちゃんがカローラスプリンターからコルトギャランに乗り換えたというので、早速乗ってみて驚きました。


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 それまで私はコルトというのは野暮でヤワで遅いイメージがありました、もっとも私はその野暮なところが気に入っていましたが。

 ギャランはコルトの後継車でありながらまったく違っていたのです、私が好きなジョルジェット・ジウジアーロの手によるダイナウェッジラインと呼ばれるデザインはシャープで垢抜けた感じが、すごくモダンに見えたのでした。

 

 この年、名神高速道路と東名高速道路がつながって、自動車は高速時代に入りました、デザインでも510ブルーバードを皮切りに三角窓がなくなって、よりシャープになっていく時代でしたので、ギャランのデザインも今見るとこの時代を象徴するかたちだと思います。

 サスペンションもコルトのふわふわした、これぞクッションというイメージからマクファーソンストラットのちょっと堅めのスポーティな乗り味で、私にはひとつ時代が変わったと言うような想いが残っています。

 

 さらにエンジンもこれまでとまったく違ってふけ上がりがシャープで、力強い印象でした、4G3系のエンジンはサターンの愛称で呼ばれ、今のランサーエボリューションなど高性能エンジンのルーツとなったエンジンですのでこのギャランはミツビシの革命的な車だったに違いありません。

 

 しかも秀ちゃんのギャランは45年式のピラーレスハードトップだったので尚更印象に残っています、この時代まだ珍しかった角形ヘッドライトもそうですが、三角窓のない2ドアハードトップは日本初のピラーレスハードトップであるRT50コロナハードトップよりかっこよく見えたのでした。

posted by 健太朗 at 20:49| Comment(4) | TrackBack(0) | ミツビシの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

蜃気楼・ミラージュ

 昭和47年、初代シビックが発売されて和製ミニだと、人気を博しましたがハッチバックが流行ったのは50年代になってからのことで、シャレードを皮切りに、ファミリア、ターセル、スターレット、パルサーなどが矢継ぎ早に登場します。

 

 そしてミツビシがこの市場に参入したのが昭和52年、蜃気楼という名のミラージュでした。

 ミラージュが発売されたのは53年2月カープラザが発足して、エテルナシグマ、ラムダも追って発売されました。


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       (52年第22回東京モーターショーに出品されたミラージュ)

 

 私の自動車屋では特にミツビシとの販売店契約はありませんでしたが近くのディーラーからミラージュの技術講習会のお誘いがありましたので、私が店を代表して参加しました。

 この講習で印象に残っているのは、エンジンがホンダと同じ左向きに載っていること、通常エンジンというのはクランクプーリー側から見て右回転つまり時計と同じ回転をしているものなのですが、エンジンを左向きに載せると前進する車輪と逆回転になるわけです、で、ホンダの場合はエンジンを逆回転させて車輪と同回転にしているのですが、ミラージュの場合はそのまま常識的な回転方向にしているのです、ですからトランスミッションではひとつギヤを噛ませて回転方向を変えてやる必要があるわけです。

 ところがこのギヤのバックラッシュのせいで少なからず異音が発生することがあるというのです、だからミッションオイルのメンテナンスを怠らないように、と言うお話でした。

 

 この当時はミッションオイルの点検は12ヶ月ごとに行うのが当たり前でしたから、特になんとも思いませんでしたけどね。


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 さらにこのトランスミッションにはスーパーシフトと呼ばれる副変速機がついていました、これは4速のギヤにハイ・ローの切り替えが出来ると言うものです、ですから4速×2段で8速MTとなるわけです、これと同じものがスバル450についていたのを思い出します、スバル360の車体に450ccのエンジンを載せて3速×2段で活発に走らそうとするのですから、それは使い方によっては有効なものでしたが、ミラージュの場合は1200cc82馬力ですから、プラス・ハイトップの5速MT、またはフルロードで交差点グランプリをするときの発進加速用の1速ローギヤの役割くらいのものだったと記憶しています。


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 ミラージュのデザインはイタリヤのデザイナー、アルド・セッサーノによるもので直線基調の、当時ヨーロッパ車によく見られたスタイルは人気でランサーより遙かに多く生産されました。

 ただし最初は3ドアハッチバックだけだったのですが、5ドアハッチバックや4ドアセダンも追加されました、惜しいのは最後までATが搭載されなかったので初期の前輪駆動の乗りにくさは少し残っていました。 

 でも走りはピカイチで、82馬力のエンジンで800kgのボディですから軽快でした、特にターボチャージャーがついた105馬力のGTは5ドアでしたが楽しいクルマでした。
 

 4ドアセダンは後にランサーフィオーレという、ランサーのFF版として登場して小さなセダンを求める顧客向けに人気がありました。

 

 今ではミラージュのような4mに満たない4ドアセダンが日本にないのは残念ですね。

posted by 健太朗 at 14:25| Comment(2) | TrackBack(0) | ミツビシの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする