2013年09月30日

家財道具のファミリア

 BD1051は私にとって初めてずくしだった、初めての新車であり、初めての前輪駆動であり、オートマチック、パワーステアリングなど、今なら当たり前の装備が、それまで中古車ばかり乗っていた私をわくわくさせた、おまけに女房の希望を受けて手動式スライディングサンルーフまでおごってしまった、昭和57年のことだ。

Bd105101                                                  

 昭和の高度成長期も終わり、石油ショックと公害対策を経験し、日本のクルマも安心して乗れる時代に入って、この後にバブル経済の大騒動を控えたそんな時代、我が家の家計も少しは安定してきてようやく新車をおろせるようになった。

 ファミリアBD1051を見て驚いたのは四角いボディの後部カーゴルームだ、大きなトランクルームの下にもう一つの荷物室があって、スペアタイヤとジャッキ工具以外にワックスやウエスなどの常備品を入れてもまだ余るスペースがある、私のようにいろいろなものをいつも積んでおきたい人には重宝するするし、トランクルームを空けておくことができると買い物などで非常に助かるのだ。

Bd105104

 事実、家具屋で台所のテーブルを買ったときは、120×90のテーブルとイス4脚を飲み込んでまだ余裕があった、この場合は二人乗車だが5人乗車時でさえ自身のタイヤ4本を積んでトノカバーで隠してしまえるほどだ、しかもこのしっかりしたトノカバーの上にも荷物が載せられる、ファミリーカーとして家財道具として非常に重宝なつくりになっていたのだ。

Bd105107

  冬用タイヤを使う方にはわかって頂けると思うが、タイヤ4本がトランクに積める車は最近なくなったのではないだろうか。

 さらに後席の足元は今のラウムほどではないが、当時としてはかなりゆったりしていたことを付け加えなければならない。

 

 当時の私は、ファミリーカーの条件として、大人4人がまずまずゆったり乗れて、例えば4人が一泊か二泊の旅行に出たとして、必要な荷物と遊び道具、それに帰りのお土産などがしっかり摘めるスペースがあって、4m前後の車体と経済的なエンジンで、100万円前後で買えるクルマ、などと説いていた。

 この車の価格は106万4000円、ただしエアコンはオプションだったのでオーディオと登録経費も入れて120数万になったが、私の想いにおおよそぴったりだったし、ほとんど開けなかったが手回しで開くスライディングサンルーフもお気に入りだった、そういえばサイドウインドも手回しだしステアリングにもまだパワーアシストはついてなかった。

Bd105102

 それほど気に入ってたのに5年余りでカローラに乗り換えてしまったのは、実は以外にも故障が多かったのだ、保証が切れる3年を過ぎたころからオルタネータ、ラジエター、ウォータポンプなどの故障が相次いだ、そしてついにオートマチックトランスミッションに冷却水が混入して路上故障と相成った、さすがにこれはマツダに掛け合ったら部分クレーム対応とでもいうか、格安で修理してくれたが私の気持ちはすっかり萎えてしまった。

Bd105106

 勝手なもので、中古車ばかり乗っていたころは故障したらかえって愛着がわくぐらいだったのに「新車に乗ったら偉そうに」、などと思ったものだ。

 別れてみればその良さがわかってくるというのはカノジョもクルマも同じで、カローラに乗り換えてみれば「なんだこれは!」などと思わせられることがたくさんあった、特に加速や高速での安定感、雨の中の安心感など、走る、曲がる、止まるといった自動車の基本的な部分に当時のマツダの技術力が見て取れた、特にカローラのリヤサスペンションなどファミリアをそっくりまねたような形だがしなやかさだけはカローラだとしてもやっぱりファミリアに軍配だと思った。

Bd105103

 何しろ低迷していたファミリアの起死回生をになって、ほとんど実験車だったルーチェロータリーを除けばマツダ最初の前輪駆動車を世に出したのだから、それはもう力の入れようが違うというものだ。

 今になっても、もう一度あんな車に乗ってみたいと思うこともあるが、残念ながらデザインばかり奇をてらった今のデミオにはあの魅力は感じられないと思うのだがどうだろう。

続きを読む
posted by 健太朗 at 21:32| Comment(3) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月30日

我らがクーペ

 クーペ、という言葉のひびきが私は大好きだ、何となくエレガントでゆらゆらと流れるようなイメージがある。
 日本のクルマでこのクーペという名を使った例は少くない、スカイラインクーペ、アコードクーペ、古いところではいすゞ117クーペ、フロンテクーペなどがある。
 クーペは元は馬車用語で、客室を途中で切ったような2人乗りのエレガントな馬車だ、自動車ではおおよその定義しかないが、だいたいハードトップを持った2座または4座のオシャレなクルマを言う。

                    02


 戦前にはダットサンクーペがあったが、近代日本で初めてクーペの名を冠したのが我らがマツダR360クーペだ。
 まだ自動車が高嶺の花だった昭和35年、スバル360よりずっと安い30万円という価格で売り出された、後のコスモスポーツにも通じるスマートなデザインのクルマだ。
 小杉次郎さんという東洋工業のデザイナーはオート3輪から一貫した、つきだしたバンパー辺りからヘッドライト辺りの凹ませたデザインを「うれしいかたち」と称していたという。

 軽量化を優先して2+2に割り切ったパッケージは最小限の室内で、とくに後席は子供用で、大人一人が腰をかがめて足をすぼめて何とか乗っていられる程度の広さだった、そのうえ内張は荷室にスポンジの座布団がおいてあるという程度で今ならとても+2座とはいえないシロモノだ、
 しかしたった30万円、といっても大卒の初任給が1万数千円の頃のこと、それでも高価なものではあったが、マイカーブームの火付け役にもなった庶民の、我らがクーペ、である。
 文字通り大ヒットして、昭和35年から44年までの9年間に6万5千台あまりを売って歴史に残るクルマとなった。

                    03
                             河口湖の博物館にあるクーペ 

 私がちょうど最初のスバル360に乗っていた頃、兄が中古の62年スタンダードを7万円で買ってきた。「おまえのぼろスバルと違ごうて、これは一日中乗ってても壊れへんぞ」などと言われたものである。


 エンジンはK360と同じ空冷Vツイン356㏄16馬力を後に積んだRRだ、シリンダやヘッドにアルミ合金やマグネシウム合金まで使っていたという豪華な仕様、ドライサンプ式でオイルでも冷却するというまるでミニポルシェのような仕様だ、だからスピードは出ないがけっこう力強く耐久性も抜群だった。

 ある夏の日曜日、兄が男兄弟3人でクーペに乗って琵琶湖の水泳場へ行こうと行ってきた、そんな事は私たち兄弟の半生、いや言い出した次兄はもうこの世の人ではないので私たちの一生で最初で最後のことである、私は喜び勇んであの狭くて暑い後席に潜り込んだ。

 ゆらゆらふわふわとした乗り心地とてくてくぱたぱたというエンジン音に酔いながら旧国道1号線を行く、たしかにあのスバル360と違って逢坂山の坂も、シンクロメッシュ4速のトップギヤで難なく登っていった、そして彼方に琵琶湖の水がきらりと光る辺り踏切をガタゴトと越えたとき、なんだか急にクッションが悪くなってきた、ごつごつとおしりに感じるのだ。

 R360のサスペンションは前後ともトレーリングアームのピボットに大きなゴムのかたまりをはめ込んでこれをねじる、トーションラバースプリングを使っていた、ゴムのクッションを使ったクルマにはあのオースチンミニがあるが、あちらはゴムを垂直に圧縮してその反発を利用している、それに比べればはるかにゆったりとした乗り心地だ。

 浜大津を前にして3人が車を降りてみるとクーペはまるでレーシングカーのごとくぺたんと腰を下ろしていた、後のラバースプリングがぶち切れたのだ、トレーリングアームはストッパーのゴムに当たってミニのと同じようにストッパーを圧縮してわずかに路面からの衝撃に耐えていた。不思議なことに後がこうなると前も同じようにぺしゃんこになる、後の世のシャコタンと同じ状態だ。


 さあどうしようと兄弟3人が額を寄せて相談する。
 私はこれでもメカニックだから、このまま走るのは危ないという意見を出した。
 が、長兄の出した結論は、「まあええがな」、だった。
 3人はどすんどすんという衝撃をもろともせず、浜大津近くの水泳場で一日中はしゃいで夕方になって京都の家に帰ったのでした。

                    01_2
             加賀の博物館にあるクーペ

 後日、修理は高く付くので中古部品を使ってスプリングを交換、兄はこのクルマを知り合いに安く?売りつけてしまった、ところがしばらくすると今度は前輪が同じようにへたり込んでしまったという噂を聞いた。

posted by 健太朗 at 22:46| Comment(4) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

やすらぎのファミリアAP

                    01
 昭和52年、ファミリアAPが発売された、世はハッチバックファミリーカー時代の始まりの頃である。


 ハッチバックと言えばヨーロッパの大衆車はもっと古くからスタンダードになっていた、古いところではシトロエン2CV、昭和52年の最新型ならアルファスッドをあげたい、歯車がひとつ噛み違えれば日本の某ボクサーエンジンを載せたクルマになっていたかもしれないというクルマだ。
 フォルクスワーゲンはゴルフに変わり、チンクェチェントは126に、ルノー4は5に、はたまた2CVやディアーヌの後継車にはLNというスタイリッシュで小さなハッチバック車に変わっていこうとする時代だ。


 日本車ではやっと初代シビックにそのままの形でハッチバックが着いた、ミニカはガラスハッチで登場、もう少し大きなクルマではアコードやカローラLBなどがあるが、ファミリアのようないかにもファミリーカー然とした5ドアのハッチバックは初めてであった。
 もう少し後になるが、パブリカスターレットがハッチバックにモデルチェンジ、カローラにはFX、三菱はミラージュなどたくさんの小型ハッチバックが登場する。
 ただ、この後前輪駆動車の時代がやってくるのだが、ファミリアやスターレットは後輪駆動を踏襲、ちょっと古くさいイメージが付いてきたが、初期の前輪駆動はジョイントなどの関係でハンドルの切れ角が小さく、小廻りが利かないなどの欠点があり、これはこれで意味のあるものだった。

 グランドファミリアという目立たないクルマがあった、初代サバンナのボディにロータリーエンジンではなくファミリアプレストの1300㏄レシプロエンジンを載せたもので、ちょっと大きなファミリア・ファミリーの一員である。
 このサバンナ・クランドファミリアの車台と骨格を改造、オーバーハングを詰めて、2代目コスモのフロントグリルをあしらったものがファミリアAPだ。


 APとはコスモに習って公害対策を表すアンチ ポリューションの頭文字だ、その名の通り51年度排ガス規制をクリア、燃費も10モードで14.5km/lと当時としては優秀な数字を発表していた、ただし私が3年7ヶ月約3万5千キロ乗った平均燃費は12.25km/l、主に通勤用だ、この頃はあまり遠出はしなかった。

 当時の私はグランドファミリアのボディの何となく過剰に体脂肪が付いた"やわ"な印象が好きではなく、中古車のファミリアAPに乗る際少しくためらったものだった、しかし実際はグランドファミリアほど"やわ"な印象はなく、ふんわりとした乗り心地に安らぎさえ覚えるほどだった。
  しかし高速で走らせるとその乗り心地が少し堅くなるのは良いのだが同時にエンジン音が非常にやかましくなるのには困ったもので、まずまず80から100km/hが限度と言うところで、決して遠くに行こうとは思わせないクルマだった。


 映画「幸せの黄色いハンカチ」では武田鉄矢一行が赤いファミリアAPで網走から夕張まで旅をするのだが、あれは高速道路ではなくゆっくり旅だったのだろう。


 その代わり普段の家財道具としてのファミリアは実に使い勝手がよく、大人4人がゆったりと乗れて荷物もたっぷり積めるし、ちょっと大きな買い物をしても配達をお願いしないで済むから経済的、なんて笑い話をしたものだ。

                    02

 さてこのファミリアAP、ファミリアプレストから前輪駆動のBD型への"つなぎ"のような印象だったが、発売から3年で89万台以上を売るという大成功を収めたクルマだ。
もちろん途中でマイナーチェンジもあり、エンジンも1400㏄にグレードアップ、オートマチック車やライトバンも追加された。


  昭和55年フルモデルチェンジされ、時代に即した前輪駆動になったが、ライトバンはなんと昭和60年12月まで生産された、そしてハッチバック車はさらに主要部分をそのままに意匠を凝らして、東南アジアでMR90の名で現地生産されたということである。

                             03

                          このクルマで特筆すべき技術がある。
                          このボールジョイントはアメリカのTRW
                          というメーカーのものだという、ボールを
                          受けている金属製のお皿とともに圧縮し
                          た樹脂で固めている。
                          実はこの頃からボールジョイントが強く
                         なって、摩耗交換することが少なくなって
                          いった。
                          ということは、このような技術をどのメー
                          カーでも採用しているのではないだろうか。

 

posted by 健太朗 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする