2017年06月03日

常識を破るファミリーカー・ルーチェ

  マツダが世界に誇るロータリーエンジンを載せたコスモスポーツが発売されてから50年になるそうな、考えてみれば50年前には私はもうメカニックの新米として、菜っ葉服を油で汚していたのですね、昔話をするのもむべなるかな、と思ってお付き合い願います。


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でも今日はロータリーエンジンの話ではなく、ちょうどその頃に発売された「ルーチェ」の話しです。


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昭和38年の東京モーターショーの全身、自動車ショーに出品されたマツダ・ルーチェは3960mm1480mm1000cc1500ccの後に大衆車と呼ばれる小型サイズのクルマでした。

コロナより小型のパブリカが出て、カローラやサニーはまだ出ていなくて、このクラスではコンパーノやコンテッサ、スバル1000などがありました、そしてまだマイカー時代と言うにはまだすこし早い、という時代のことです。

このあたりから小型車10001500クラスの競争の激化出始まるのです。


このルーチェはベルトーネがデザインした5人乗りセダンでちょっと小さめ、エンジンも恐らくロンパーやB1500といった商業車から流用したものでしょうから、このまま市販されるわけはないでしょうという見方もありましたが、その通り39年第11回モーターショーにはコスモが発表されてルーチェの音沙汰なし、しかしこの直前に発売されたファミリアセダンがプロトタイプルーチェと似てるとか似てないとか、そして12回は東京モーターショーにその名が変更されて、マツダのブースにはまったく違うルーチェが展示されました。


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それはその明くる年に発売される美しいルーチェでした、後にデザインを担当したのは当時ベルトーネに在籍していたジョルジェットジウジアーロだったと報じられ、ああなるほどな、と思わせられたあの独特のラインはマツダではAライン呼んでいます3本のピラーが描くまとまりのいいデザインと、何気なくまとまったフロントグリル周りなど美しい4ドアセダンに仕上がっていました。


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ウィキペディアには「開発初期に、同じベルトーネのスタイリングながら、市販車とはまったく異なる姿のプロトタイプがあった」と書かれていますが、私は同じベルトーネでもプロトタイプはジウジアーロの担当ではなかったのではないかと思っています。


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このページで紹介している画像は発売初期のカタログから抽出したものですが、ルーチェの美しさはこれらの画像で判っていただけると思います。

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さて表題の「常識を破るファミリーカー」というフレーズをカタログを見ながら考えてみました。

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カタログの見開きには「ハイメカニズム・ハイパフォーマンス」とか「1500ccの常識を破る高速ツーリング設計」などの文字が見えます。

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エンジンは当時まだ少なかったOHCオーバーヘッドカムシャフト、クロスフリー構造です、さらにクランクシャフトが5軸受けになっていますから当時の先進のメカニズムと言えます。

1500cc78馬力 トルク11.8はハイパフォーマンスと言っても否定できません、しかし前ダブルウィッシュボーン・後リーフリジットというサスペンションは少しも常識破りとは言えませんし、ブレーキは前後ともドラムでこれも一般的です、これはやはりキャッチフレーズでしょうね。


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でも美しいボディデザインと6人乗りのベンチシ-トや4速フルシンクロのミッション、それにボルグワーナー製の3速オートマチックは名神高速道路開通で沸く高速時代の幕開けを感じさせるクルマだったことに間違いは無いでしょう。

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私の自動車屋ではマツダ販売店の看板も掲げていましたのでマツダ車は数多く販売しましたが、この初代ルーチェの後期に1800ccエンジンを積んだモデルが出ました、それまでメカ的に平凡だと思っていたルーチェが重厚で、反面スポーティな印象になって性格がが大きく変わったのを良く覚えています。

エンジンが大きくなっただけではなく、普通の4ドアセダンに当時まだ珍しかったディスクブレーキがアシスト付き(当時マスターバックと言った)で装備されたのです、私はこのブレーキの効き味が素晴らしかったとの印象が残っています。

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思えばムカシのクルマは総てアナログですから、ブレーキやクラッチ・ハンドルやシフトレバーなどの操作感や微妙な味付けなどには充分気を遣って造られていた気がします、そして最近のクルマはちょっとぞんざいかな、という想いがあります。


posted by 健太朗 at 13:56| 京都 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月02日

逆風に流されたクルマ・その名はシャンテ

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 キャロルロータリーの話は以前、羨望のキャロルやロータリーエンジンの謎のページで書きましたが、今回はそのキャロルロータリーになるはずだったクルマ、その名はシャンテのお話です。

 「その名はシャンテ」は当時のコマーシャルキャッチコピーです。

 

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 キャロルは昭和45年まで8年もの間、軽自動車の先頭で販売されてきたのですが、他社の高性能な後発モデルに勝てなくなって生産を終えました。

 しかしキャロルは実はキャロルロータリーとして華々しくモデルチェンジをするはずだったのです、それを阻害したのは軽自動車業界他社だったといわれています、それが監督官庁やFIA(国際自動車連盟)まで動かしたのだそうです。

 そして新型キャロルロータリーになるはずだったモデル、その名はシャンテだったのです。

 

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 シャンテ(新型キャロル)にはシングルローターの360ccロータリーエンジンが搭載される計画だったのですが、実際にはポーターキャブのエンジンを水冷式にして採用されています。

 

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 だからシャンテのロータリーエンジンを積むはずだったボディは、その強力なトルクに耐えられるようにキャロルのリアエンジン・全輪独立懸架ではなく後をリジットリーフにした手堅いフロントエンジン・リアドライブで開発された、ということです。

 

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 しかしシャンテのエンジンは35馬力/6,500rpm・4.0kg-m/5500rpmと360時代のエンジンとしては充分以上に強力で、車両重量も490kgと軽く2サイクルですから少しピーキーですがFRですから扱いやすく、乗りやすいクルマだったという記憶があります。

 

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 ボディタイプは2ドアのみでしたが、当時360時代では最も長いホイールベース2,200mmを実現しています、ですから室内は広く、運転席の足下もゆったりしていました。

 

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 また、今と違ってハッチバックではなかったのですが、リアの背もたれは可倒式で広い荷室は実用性抜群でした、クーラーはまだ吊り下げ式ですがカセットテープカーステレオもオプションで付くようになっていました。

 

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 ところが、もうマツダ自体がキャロルロータリーの後、軽自動車でやる気をなくしており、シャンテも2ドアのみ、バンもスポーツタイプもないままで、軽にも車検が出来たり排気ガス規制が厳しくなったり、軽自動車の規格が550ccへと大きくなり、ホンダが軽乗用車から撤退する、など軽乗用車自体に逆風が吹き荒れ、おまけにオイルショックでロータリーエンジンの燃費の問題が起こるという事態にもなったのです。

 

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 しかしてシャンテの販売は振るわず、軽トラックのポーターキャブは改良して続けられたのですが、逆風に流されたシャンテは360ccのままマイナーチェンジひとつせず消えていったのです。

 

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 以後マツダの軽乗用車はスズキ製のキャロルが出るまで十年以上も現れなかったのです。

 

 マツダの現在のクルマはスカイアクティブという技術で統一されたポリシーに沿って独自のクルマ作りすることで、メーカーのアイデンティティーを築こうとしています、いちマツダファンとしてはキャロルもまたマツダのポリシーに沿ったマツダの軽乗用車であってほしいと思うのです。

posted by 健太朗 at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

布団屋さんのボンゴ

  昭和41年に発売された、初代ボンゴは非常にユニークなクルマです。

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 日本ではこれだけ、という点が沢山あるのです、例えばリアエンジンで8人乗りのいわゆるミニバンを成立させている点です、ボンゴは日本で最初にキャブオーバーライトバンに本格的なスライドドアを採用した車です。

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 他に日産のキャブライトがありましたが、こちらのスライドドアは無理やり付けたようにボディに段差がありとても本格的とはいえないものでした。

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 リアエンジン縦置きのクルマと言えば日野ルノーやコンテッサがありますが、ボンゴの場合はエンジンの後ろ側テールエンドにラジエターがあります、つまり縦置きフロントエンジンを前後真逆にしたレイアウトなのです。

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 このラジエターのすぐ前に位置するラジエターファンは後ろ向きに風を送ります、車体の後ろに噴射するのです、車体の後ろ側は走行風を巻き込みますからこの方式では高速には向きません。

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 その証拠に無理な空気抵抗によってひん曲がったプラスチックのファンを交換した経験が幾度もあります。

 ルノー・コンテッサの場合は車体横、リアドアの後ろにあるスリットから空気を吸ってエンジンの前側にあるラジエターを冷やします。

 このルノー・コンテッサのエンジンを利用して前輪駆動のミニバンを成立させたのが日野コンマースです、こちらも僅か838cc28馬力で11人乗りのミニバスを成立させていますがボンゴの場合もファミリア800と共通の782cc37馬力エンジンです、まあちょっと時代が違えば馬力は違いますがいずれも今の時代には考えられない非力な小さなエンジンを使っていたものですね。

 このエンジンはオールアルミ製です、これもマツダが先駆者だと言えるでしょう、でも「白いエンジン」と呼ばれていたという話がありますが、実際に私は聞いたことがありません、エンジンルームを上から見ると青いタペットカバーが見えるだけですから・・・。

 私の自動車屋で布団屋さんに販売したのはボンゴ800のライトバンです、ボンゴは荷台が広くスライドドアからも荷物が載せられるのです、また、荷台の床が低いのも人気でした、リアエンジンですから後ろにエンジンルームがありますから、その分、容積は小さいのですがエンジンルームの前の床は極端に低くできます、ですから布団屋さんのようなかさばる荷物を扱うお店では重宝されました。

 このクルマに綿のわたを詰めた布団を満載にするとたくさん積めるのですが、相当な重さになるのです、当時はまだ羽根布団など普及してませんから、これは布団屋さんとしては当然のことでキャブライトのようなトラックベースのライトバンなら問題ないのですが、なにしろこちらは全輪独立懸架の乗用車ベースのクルマですから、この重荷には耐えられないのです。

 それでも前後ともサスペンションはラバーブッシュなどが普及し始めたころのことですから少し丈夫になっていたのですが、特にブレーキが持ちませんでした、オールドラムのファミリアと同じブレーキではシューの減りが極端に速く、この布団屋さんでは1万キロ以下で交換を余儀なくされました。

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 しかし、独立懸架のふんわりした乗り心地は商用車らしからぬ乗り心地で、そしてふんわりした加速感や床から生えた長いシフトレバー、それにほとんど水平に寝たハンドルなどは、ひとクラス大きなクルマを運転しているような錯覚を受け、なんとも独特の雰囲気があったことを覚えています。

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 コンマースと同じく、ボンゴはマツダの先進性を現しており日本にはまだなかったワンボックスカーをいち早く世に出した功績は大きく、ついひと昔前まではワンボックスのクルマは皆「ボンゴ型」といったものでした。

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posted by 健太朗 at 21:51| Comment(2) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする