2020年10月15日

こんなクルマ知ってるかい? マツダMK600

 私はいつも昭和時代のクルマの話をしますが、昨日仕事中の街角で、恐らく昭和40年代前半のブルーバード510vanを見かけました。

 そのクルマの小ささにおどろきましたね、博物館や展示車を見てもそのようの感じたことはないのですが、町中で見かけるとこんなに小さく見えるものなんですね、最近のクルマが無駄に大きくなった証拠だな、なんて思ってしまいました。

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 今回のお話はそれよりもっと小さいクルマです、そしてそのクルマは見たことも乗ったこともない、そして販売されたこともないクルマです。

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 実は、今回マツダのトラック、B1500やD1100ロンパーを紹介しようといろいろ資料など、調べていたら工業デザイナーの小杉二郎さんを扱った記事に突き当たりました。

 小杉二郎さんは日本初の工業デザイナーだと言われる人で、蛇の目ミシンや三菱のスクーター、シルバーピジョンのデザインで有名ですが、マツダの初期のクルマのデザインが殊に知られています。

 三輪車やトラックだけではなくR360クーペやキャロル、コスモスポーツもそうですね、メーカーのシャシにデザイナーのボディを載せる、という意味では日本のカロッツェリアだとも言われています。

 その小杉二郎さんが文字通りカロッツェリアとして試作したのがMK600です。昭和40年に発表されました。そして正式にはマツダの名はつきません、小杉デザイン研究所の作品です。

 小杉さん自身がおっしゃっているように、まだ改良の余地がある試作車でマツダの製品に採用されることもなかったクルマですが、複数のメーカーがイタリア・カロッツェリアのデザインを採用する中で、何事も自国のものをけなす日本人にも、カロッツェリアの文化を広めようと試作された歴史的な一台だと、私は思いましてどうしても避けて通ることが出来ませんでした。

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 MK600はキャロルの600ccエンジンとR360クーペのサスペンションを使って、シャシはパイプフレーム、ボディはFRPの上下2分割で構築しています。

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 FRPでモノコックボディにする手もありますが、当時のプラスチックの成形技術を考えて敢えてシャシとボディを別物にして、強度を考えて2分割にし、さらにドアを上半分の下ヒンジにしています。

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 無用な、いわゆるデザインと称するものをしない、というのが信念だと仰るデザインですから全体としてあまり特徴のない造形ですが、ドアの上の窓の部分は屋根と一体のキャノピーになっています、後ろにスライドするとタルガトップ風になって開放感があるようです、しかし閉めると屋根の部分もプラスチックでしょうが、ガラストップ様ですので日が当たると熱いでしょうね。

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 3200×1400×1150という寸法は360ccのキャロルより大きく、5ナンバーですが、今なら立派に軽自動車のナンバーがつけられる寸法です、そしてホイールベースは1860とクーペより長く、重量は一回り小さいキャロルより25kgも軽く造られていますから、想像ですがクーペより幾分ふわふわした、しかしクーペのようなピッチングは少ない乗り心地だったのではないかと思います。

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ヘッドライトはリトラクティブルといって良いのでしょうか、風圧で飛びそうですね。

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キャノピーのレールがテールフィンになっています。

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キャノピ-をスライドしてからドアを開けます。

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ナンバーが違うものがありますから複数台制作されたようです。
























posted by 健太朗 at 14:05| 京都 ☀| Comment(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月27日

日本の外車・ロードペーサー

 いすゞ・ステーツマン・デ・ビルの話をしてから色々忙しく久しぶりの投稿となりましたが、いすゞの話をしたらマツダの話もしたくなりました。

 昭和40年代後半、世紀という名のトヨタ・センチュリーも、大統領という名の日産・プレジデントも富裕層の間で一定の人気がありました、また、一般には販売されませんでしたが日産には合併したプリンスの連れ子のようなプリンス・ロイヤルという特殊なクルマもありました。

 しかし人気よりもこのようなフラッグシップモデルがメーカーのイメージアップにつながっていることは間違いなく、当時の自動車メーカー、横綱・大関以外のメーカーもこのようなクルマを欲しがったとしてもおかしくないようです。

 そこでいすゞは提携先のゼネラルモーター(GM)の子会社、オーストラリアのホールデンからステーツマンを輸入していすゞ車として販売しました、そして三菱はミツビシ・クライスラーシリ-ズとしてセダンのヴァリアントとチャージャーを輸入販売しました。という話が前回のお話です。

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ホールデンHJプレミア

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マツダ・ロードペーサー

 マツダは当時まだ外国メーカーとの提携関係がなかったので、GMオーストラリア・ホールデンから部品の購入契約という形でホールデン・プレミアというクルマのボディ・シャシなどを輸入し、13Bロータリーエンジンを搭載、マツダ・ロ-ドペーサー(道路の王様)として販売しました、ですから「・・として」といってもノックダウンのようになりますから登録上はれっきとした国産車マツダで、それは日野ルノーやいすゞヒルマン、そして日産オースチンなどと同じ扱いなのです。

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 ただ違うのは、ルノーやヒルマンは国産車の黎明期の話で外国の技術を学んで国産車を発展させるためのものですが、ステーツマンやロードペーサーはこのクラスの商品を開発するまでの間に合わせのようなものだったのでしょう。

 そういえば平成8年ですが、トヨタにもキャバリエというクルマがありました、こちらは日米貿易摩擦に対応したもので、GMのシボレー・キャバリエを輸入してトヨタ車として販売しました、しかし時代も違いますがさすがにトヨタはアメリカ車を右ハンドルにし、日本のユーザーに違和感を持たせないさまざまな改良を加えて「トヨタ車」に仕立て上げ、多国籍車としては珍しく4年余で4万台近く販売しました。

 横道にそれましたが、マツダ・ロードペーサーは世界で初めて量産に成功した、ヴァンケル・ロータリーエンジンを搭載するという意欲的なクルマだったのですが、昭和50年から54年までの5年間で800台程度しか生産されなかったそうです。

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 ちなみにステーツマンとプレミアは共にホールデンの高級車でほぼ同じシャシの姉妹車です。

 私はこのロードペーサーには乗ったことはありませんが、本来V8・5047cc240馬力のエンジンが載るホールデン・プレミアの重い車体を走らせるために低速トルクが弱い13Bロータリーエンジンは如何にも力不足であることは想像できます、なにしろルーチェより300kgは重い約1.5tもあるのに130馬力のエンジンですから、ギヤ比を落として回転で稼ぐというやり方は味付けが違って、日本人が求める高級車像には合わなかったのではないでしょうか。

 ただ、この時代はロータリーエンジンにとって否、REのみならず、どのメーカーもマスキー法に端を発した排気ガス浄化対策に苦慮した時代でした。

 マツダはREにはサーマルリアクターという排気ガス再燃焼装置を採用しました、私もルーチェロータリーなどで体験しましたがマフラーが大変熱くなるという欠点がありました、しかしエンジンには大きな悪影響を与えないで50年排ガス規制をクリアしました、ただしREにはEGR(排ガス再循環装置)は必要ないということでしたがロ-ドペーサーにはこれを採用して51年規制をクリアしました。

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 このように苦労を重ねたた技術が、現在のスカイアクティブにつながっているんだと思えばなんだか嬉しくなりますね。

 歴史にもしもはありませんが、排気ガス規制や石油ショックがなければロータリーエンジンは正常進化し、もっと早く真のフラッグシップにふさわしい、マツダに高級車が誕生していたのではないかと思います。

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 それから約15年経って平成時代のセンティアはV6 3000cc、4代目ユーノス・コスモは3ローター+ターボエンジンをを積んで、大きさ、重量、出力、トルクと、正にフラッグシップにふさわしいモデルになっています。

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posted by 健太朗 at 20:34| 京都 ☁| Comment(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月07日

横転しないB360

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   昭和30年代の終わり頃から40年代前半にかけていわゆる60年代は私にとって自動車屋を志してそのスタートを切った、そんな青春時代でした。

政府の所得倍増政策による高度成長時代、マイカー時代と言われててはいましたが、庶民にとってはまだ始まりの始まり、黎明期とも言える時でした。

つまり、自動車はずいぶん身近になってきたものの乗用車はまだまだ高嶺の花、しかし大きな会社だけではなく個人商店にも配達用の軽トラックや乗用車換わりにもなる軽ライトバンなどが少しずつ増えてきた、などと思える頃でした。

私が自動車整備専門学校を卒業して初めて就職した九条通りの自動車屋では、主にマツダやダイハツのクルマを扱っていたのですが、それまで主流だった三輪トラックから時代の花形として四輪トラックに移ろうとしていました、特に軽自動車の場合はミゼットからハイゼットへ、K3からB4への代替で忙しくなり始めたところだったようです。

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3とは、K360三輪トラック、B4B360のことでK34輪になったのでこんな呼び方をしたのでしょう、誰が呼んだか今日はそのB4の話です。

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初期型B360

B4は昭和36年、K3の後を追って登場した、フロントエンジン・リアドライブのオーソドックスな軽4輪トラックです。

K3は運転席の後ろにエンジンを置くいわばミッドシップレイアウトのカッコいい三輪車で、しかもそれは重心が低く、三輪車のマイナス面であります横転や転覆防止に大いに役立って好評でした、ですが四輪に比べるとその危険性はやっぱり高く、事実私もUターン時に横転した経験があります。

またブレーキも後ろ2輪だけですから巷を走行るクルマが増えるに従って危険な乗り物とされる懸念は払拭できません。

ですからB4の登場は時代の要求だったのでしょう、横転しないB4は発売時には月産500台だったのが3ヶ月後には月産2,000台と大幅な増産となったのです。

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写真はK360用

エンジンはK3と同じ356cc4サイクル空冷Vツイン頭上弁式ですが、K376度バンク11馬力に対してB4R360クーペと同じ90度バンク13馬力、ですから基本同じエンジンのようですがまったく別物のエンジンでした、別物と言ってもクランクシャフトやカムシャフト、それにクランクケースなどが換わっただけでしょう、90V型は理論上振動が0になるそうですから乗用車用のエンジンとしてはこの方が良かったのでしょう。

私の記憶では余り差はなかったように思います、でもB4もクーペも力強く静かだった印象が残っています。

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走りはもちろんK3のような3輪とは揺れ方も違うし安定感があります、そして車体が重く張った分エンジンはパワーアップしていますし、ブレーキも前リーディングトレーリング・後ツーリーディングの扱いやすい安定したシステムになりましたが、私はK3の方が軽快な印象だったと思います。

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そこで後期型ではキャロルの水冷4気筒20馬力エンジンを搭載しています、ですがこれもキャロルより50kgも重い575kgというシャシですから軽快なわけがありませんね。

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この時代にこのように軽三輪から四輪車に換わっていったのは、マツダだけではなくB4と同じように成功したダイハツ・ハイゼットやホープスター・ユニカーやコニー360などがあり、ミツビシもレオからミツビシ360に換わりました。

ハイゼットやミツビシなどは2サイクルエンジンを搭載していましたので軽快な走りで好評でしたが、B4は走りの重っ苦しさ故に後期型の販売は苦しかったようです。

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昭和43年B360はモデルチェンジしてポーターとなります、そして48年にはやっとシャンテの2サイクルエンジンを搭載し少し軽快感を演出しますが51年、ついに販売を終了しました。

ちょっとさかのぼって昭和40年代に入ると、ハイゼットがハイゼットキャブになったようにキャブオーバータイプに換わって行きます、富士と黒金は最初からそれぞれスバル・サンバーやくろがねベビーを出していました。

マツダも時代にのって2サイクルのポーターキャブを発売します、これはB4やポーターとは全く別の設計で、軽く軽快な今風の軽トラックでしたが、実はこのポーターキャブがマツダが製造する最後の軽自動車となったのです、ただし昭和44から平成元年まで実に20年に渡って生産が続けられ、日本国内の軽トラックにおける最長生産記録となったのです。



posted by 健太朗 at 22:04| 京都 ☁| Comment(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする