2014年05月14日

ミラ・クオーレ

  私の自動車屋で最も売れたのは、トヨタ車の他にダイハツの軽自動車があります。

  ダイハツの軽自動車は名前が面白いですね。

  3輪のミゼットが4輪になるとハイゼットになり、ボンネットバンのハイゼットにキャブオーバーが出来てハイゼットキャブとなりました。

  セダン型のフェローが出来るとボンネットバンのハイゼットはフェローバンにモデルチェンジ、フェローがフェローMAXにモデルチェンジするとボンネットバンはなくなってしまったのです。

  で、軽自動車の規格が変わって寸法が大きくなるとデザインを変えずに幅広になってフェローMAXはMAXクオーレとなり、更にボンネットバンの物品税がなくなるとモデルチェンジして超格安49万3千円のボンネットバンが復活して、ミラ・クオーレになり、セダンのMAXクオーレは単にクオーレとなった、そして翌年にはクオーレの名が消えてミラとミラバンになったという、まるでしりとりかあたまとりゲームをやっているような話です。

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  そこで昭和55年に発売された初代のミラクオーレの話になりますが、なんと言ってもこの時代の軽自動車は42年から大ベストセラーとなったホンダN360の影響を無視することはできません、日本版ミニなどと言われたあの四角いボディにゆったりした広い室内は、フェローMAXではまだそれほど重要視されませんでしたが、ミラやクオーレではN360以上に広くなっていて、軽自動車の大きさを再認識したほどでした、しかし現在の軽自動車と比べるとまだ小さくて狭いですね。

 そしてフェローMAXのコツコツするスポーティーなサスペンションはN360のようですがミラ・クオーレでは、N360がライフに変わって180度転換、マイルドなセダンになったように、フェローMAXに較べると軽くてヤワな感じさえするほど大きくイメージが変わってソフトなクッションと水冷4サイクル2気筒の静かでまろやかなエンジンになりました。

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 特に面白いと思ったのは、イージードライブと呼ばれた2ペダルのセミオートマチックです、これはごく普通の乾式単板クラッチをペダルで操作するのではなく、自動的に負圧で制御するもので、当時のまだ発達途上にあったトルクコンバーターより、クラッチそのものは変わりがないので下手なクラッチ操作をするより長持ちするのです、しかしシフトレバーから手を離さないとクラッチがつながらなかったり、アクセルペダルの踏み初めに少しショックがあったり、いささかのコツが必要だったのですが、その辺りが古き良き時代の面白いところだったのでしょう、でも残念ながらそのわずか2年後、ミラクオーレがミラに変わった時にこのイージードライブは2速ATに変わってしまいました。

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 また、こんなのもありました。
 ミラ・クオーレの車台とエンジンルームをそのままに、高さ2m近くもある荷台にバスのような折り畳み式ドアを片側だけに付けたウォークスルーバン、乗用には向かないけれど、おしゃれに顔を改造するのが流行したり、人気者でした。

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posted by 健太朗 at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

ダイハツスポーツハードトップ

   今回も実際には市販されなかったクルマの話です。

   このクルマは昭和41年、ビートルズが日本武道館で公演をした、その年の東京モーターショーに出品されたショーモデルで、コンパーノのシャシにベルリーナGTの1000cc燃料噴射エンジンを載せて、イタリア風のクーペボディーを着せたもので、この美しいボディデザインは外注ではなくダイハツ独自のものだそうです。

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   この時代は先述のビートルズ日本公演のように日本の自動車も勢いがついて来たころで、この年の5月に行われた第3回日本グランプリでは、日産R380やフェアレディ、プリンススカイラインやホンダS800などが活躍していますが、ダイハツでも写真のP3がロータスエリートなどを抑えて7位入賞を果たしています。

          P3 

   このような勢いでこの年のモーターショーにはプリンスロイヤル、カローラ、N360の他、日野スポーツプロトタイプやコルトフォーミュラ、ホンダF1、ホンダブラバムF2などのレーシングカー、シルビア、トヨタ2000GT、ベレット1600GTファーストバックなどのクーペタイプの出展も多く、その中にあってダイハツスポーツハードトップの美しさは際立っていたと私など強い印象を受けた記憶があります

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posted by 健太朗 at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

フェローマックス新車発表会

 昭和45年夏、高度成長期のまっただ中、千里丘陵では万国博覧会が開催されているころ、わが自動車屋でも好景気で、新車中古車問わずよく売れたし仕事はいくらでもあった、中古車は1年未満、1万キロ未満も当たり前のように売買されていた、私自身二十歳を少し過ぎた頃、心身ともに充実、日付が変わるまでクルマの下に潜っていたこともたびたびあった。

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 そんな折、こんなに小さくてレトロな自動車屋でなんと新車発表会が催された。

  アブラで汚れた壁に掛けられた愛用の道具類はすべて紅白の垂れ幕で隠され、かど口には立て看板やのぼりが立てられた、いつもの作業場にはモデルチェンジしたばかりのフェローマックスが鎮座していた。そして軒先にはその試乗車も用意された。

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 ダイハツデーラーがこんな小さな自動車屋に期待を持ってくれたのは嬉しいが、これは異常やな、と思った。デーラーや大手の販売店ならともかく京都の小さな町工場は古くからのお得意様でもっていて、少なくとも通りがかりの人がふらっと入ってきて新車を眺めて、そして商談などということはまずないだろう、お得意様だって普段から来店されることはほとんどない。

 その思いは的中した、数人のお得意様と私の友人が賑やかしに来てくれた以外、ほぼ一日中ご近所のオジサンたちの井戸端会議の場となっていたのだ、まるで地蔵盆のように。

 それでもこの日の後、数台のフェローマックスが売れたのは新車発表会おかげではなくフェローマックスの人気と期待度の大きさから、ではなかったかと思う。

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 期待のニューカー・フェローマックスはそれまでのフェローとはまったく違っていた、エンジンは同じZM型2サイクル2気筒を使っているのに、これがホントにあのトラック屋のダイハツのクルマかと思うほどかっこいい2ボックスの軽いボディとスポーティーで軽快な走りの前輪駆動、その分ちょっと乗りにくさも兼ね備えていた。


 朝顔型のハンドル、ちょっと堅めのフロアチェンジのシフトレバー、短いストロークでがしっとつながるクラッチ、細かに調節できるリクライニングシート、二点式シートベルト、かっこいいダッシュボードとコンソールボックス、手動ポンプ式ウインドウォッシャ、前ストラット、後セミトレーリングアームのちょっと堅めのサスペンション、どれもが新しかった。
 それでもまだこの時代、このスタイルでハッチバックではないし、ラジアルタイヤでもない、そしてエアコンもオートマもない。

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 数台売れた中にフェローマックスSSがあった、ZM15型エンジンは圧縮比を11にあげ、ツインキャブによって驚異の7200回転でなんと40馬力を絞り出している、これはリッターあたり100馬力を超える、軽自動車としては初めての快挙であった。
 期待通りこのクルマの走りはすばらしく、2サイクルエンジン特有のこもるような振動をボディいっぱいに響かせてびっくりするほどの加速を味わわせてくれた、音や振動が抜けないせいか、あのN360のバイクのような加速感とはまた違った、恐怖にも似た驚きがあった。

 

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 ところが、しばらくこのSSに付き合ってみると、このような本来の性能をたたき出す快調な状態を保つことの難しさに気がつくのだった、今のコンピュータで制御するエンジンと違って、なにもかも人の手で調整してやらなければならないのがこの時代、タイミングやキャブレターの調整も、気むずかしい、としか言いようがないほどシビアで、例えばタイミングは1度以下の差で極端に加速が悪かったりするし、キャブレターは少し薄いとのびが悪くなるし濃いめで調子を出すとプラグが溶けるほどの熱を持ってしまう、もちろんバランスが悪いと情けないほど調子が出ない、苦心して調整しても1週間もするとまた再入庫というありさまだ。


 マックスSSがすべてこんな有様だったと言うことはないと思うが、機械には当たり外れがあって、また機械というものは故障して当たり前、を実感していた時代のことだ。

 

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 結局いろいろやってみた結果、ベストではないがベターといえる持続可能な妥協点を見つけ出したものだった。
 もしも現代の技術で、例えばコンピュータ制御であのエンジンを廻したらどんな走りをするのか、出来ることなら見てみたい、そう想う。

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 果たしてこのフェローマックスSS、20才過ぎの若い顧客ではあったが1年を過ぎた頃、見切りを付けてほかのクルマに乗り換えとなった、自動車屋にとってはちょっと苦しい1年だった。

posted by 健太朗 at 22:30| Comment(5) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする