2014年07月25日

ダイハツのカローラ・シャルマン

   ダイハツは日本で最も古い自動車メーカーで、明治40年、発動機製造株式会社に始まるのです。

 後に、大阪の発動機会社、ということでダイハツに変わったそうですが、昭和42年にトヨタと業務提携して以降、徐々にその関係を深めて、今ではトヨタグループの一員となっています。

 

 昭和44年第一弾として、提携という名のコンソルテを発売しますがこのクルマのことは私も数年乗っていましたので別のページで紹介しています。

 そして昭和48年のコンソルテ・クーペ(スターレットのOEM)に続いて、昭和49年、シャルマンが発売されます。

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 今日はこのクルマのお話です。

 さてトヨタでは昭和45年、その前年の東名高速全面開通を受けてカローラをモデルチェンジ、定評のトータルバランスで80点主義を確立して、初代からの累計300万台を記録しました、シャルマンはこの二代目カローラセダンKE20の生産設備を買い取って作られた車で、エンジンと車台はカローラのものにダイハツデザインのボディを載せたクルマです。

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 しかしこれにはいろいろ制約があって、例えば前席ドアはKE20そのもですし、ざっくりいえば部品の多くはトヨタのものつまりトヨタの下請けから仕入れた部品を使っています。

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 まあ、ハッキリ言えばこれはどこから見てもトヨタのクルマなのです、でも、カローラにない豪華なデザインと室内のしつらえは魅力的で、のちにカローラは「ひとクラス上の豪華さ」でヒットしたモデルもありましたが、まさにシャルマンはひとクラス上のクルマだったのです。

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 このころいわれた言葉に「モデルチェンジのためのモデルチェンジ」というのがありましたが、これはクルマがモデルチェンジをしてもエンジンやシャシなど主要な部分は大して変わらないのに見かけだけモデルチェンジして拡販を図ろうとするメーカーの姿勢を揶揄したものですが、シャルマンに関してはトヨタ製品の安心感を背景にして思いのほかよく売れたそうです、その証左として二代目シャルマンもTE70カローラをベースに作られました。

 

 乗り味はまさにカローラそのもので静粛設計であること以外は可もなく不可もないという80点主義ですが、豪華仕様の車室内はカローラにないものを持っていると感じました。

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 この時代はクルマの平均寿命がぐんと伸びた頃ですが、永く乗っていても大メーカーのクルマですから安心感があってよいと思いましたが、当時のダイハツ小型車のイメージは今とは少し違っていたようで、私など、ダイハツのセールスマン氏が乗っているクルマ以外にはお目にかかるコトはなかった、の印象があります・・・。

 

posted by 健太朗 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月14日

ミラ・クオーレ

  私の自動車屋で最も売れたのは、トヨタ車の他にダイハツの軽自動車があります。

  ダイハツの軽自動車は名前が面白いですね。

  3輪のミゼットが4輪になるとハイゼットになり、ボンネットバンのハイゼットにキャブオーバーが出来てハイゼットキャブとなりました。

  セダン型のフェローが出来るとボンネットバンのハイゼットはフェローバンにモデルチェンジ、フェローがフェローMAXにモデルチェンジするとボンネットバンはなくなってしまったのです。

  で、軽自動車の規格が変わって寸法が大きくなるとデザインを変えずに幅広になってフェローMAXはMAXクオーレとなり、更にボンネットバンの物品税がなくなるとモデルチェンジして超格安49万3千円のボンネットバンが復活して、ミラ・クオーレになり、セダンのMAXクオーレは単にクオーレとなった、そして翌年にはクオーレの名が消えてミラとミラバンになったという、まるでしりとりかあたまとりゲームをやっているような話です。

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  そこで昭和55年に発売された初代のミラクオーレの話になりますが、なんと言ってもこの時代の軽自動車は42年から大ベストセラーとなったホンダN360の影響を無視することはできません、日本版ミニなどと言われたあの四角いボディにゆったりした広い室内は、フェローMAXではまだそれほど重要視されませんでしたが、ミラやクオーレではN360以上に広くなっていて、軽自動車の大きさを再認識したほどでした、しかし現在の軽自動車と比べるとまだ小さくて狭いですね。

 そしてフェローMAXのコツコツするスポーティーなサスペンションはN360のようですがミラ・クオーレでは、N360がライフに変わって180度転換、マイルドなセダンになったように、フェローMAXに較べると軽くてヤワな感じさえするほど大きくイメージが変わってソフトなクッションと水冷4サイクル2気筒の静かでまろやかなエンジンになりました。

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 特に面白いと思ったのは、イージードライブと呼ばれた2ペダルのセミオートマチックです、これはごく普通の乾式単板クラッチをペダルで操作するのではなく、自動的に負圧で制御するもので、当時のまだ発達途上にあったトルクコンバーターより、クラッチそのものは変わりがないので下手なクラッチ操作をするより長持ちするのです、しかしシフトレバーから手を離さないとクラッチがつながらなかったり、アクセルペダルの踏み初めに少しショックがあったり、いささかのコツが必要だったのですが、その辺りが古き良き時代の面白いところだったのでしょう、でも残念ながらそのわずか2年後、ミラクオーレがミラに変わった時にこのイージードライブは2速ATに変わってしまいました。

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 また、こんなのもありました。
 ミラ・クオーレの車台とエンジンルームをそのままに、高さ2m近くもある荷台にバスのような折り畳み式ドアを片側だけに付けたウォークスルーバン、乗用には向かないけれど、おしゃれに顔を改造するのが流行したり、人気者でした。

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posted by 健太朗 at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

ダイハツスポーツハードトップ

   今回も実際には市販されなかったクルマの話です。

   このクルマは昭和41年、ビートルズが日本武道館で公演をした、その年の東京モーターショーに出品されたショーモデルで、コンパーノのシャシにベルリーナGTの1000cc燃料噴射エンジンを載せて、イタリア風のクーペボディーを着せたもので、この美しいボディデザインは外注ではなくダイハツ独自のものだそうです。

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   この時代は先述のビートルズ日本公演のように日本の自動車も勢いがついて来たころで、この年の5月に行われた第3回日本グランプリでは、日産R380やフェアレディ、プリンススカイラインやホンダS800などが活躍していますが、ダイハツでも写真のP3がロータスエリートなどを抑えて7位入賞を果たしています。

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   このような勢いでこの年のモーターショーにはプリンスロイヤル、カローラ、N360の他、日野スポーツプロトタイプやコルトフォーミュラ、ホンダF1、ホンダブラバムF2などのレーシングカー、シルビア、トヨタ2000GT、ベレット1600GTファーストバックなどのクーペタイプの出展も多く、その中にあってダイハツスポーツハードトップの美しさは際立っていたと私など強い印象を受けた記憶があります

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posted by 健太朗 at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする