2016年07月17日

希少車・パイザー

09_2

  パイザーというクルマをご存じでしょうか、中国語の通行許可証(牌子)をもじった名前です。

 ダイハツで平成8年から6年で4万台余り生産されたクルマです。

 世間では目立つことがなかった希少車です、希少車ですが珍しくもなんともなく、要は単なるライトバン型小型乗用車です。

 でも私はとってもよく出来たワゴンだと思うのです。
               01 

 私の自動車屋でパイザーを買って頂いたのは平成9年頃、電子機器の接点などを造る下請けの町工場を営む親父さんで、それまで10数年乗ってられたファミリアバンからの乗り換えでした、小型車が年々大型化し、ファミリアバンも新車を買うと町工場の片隅のガレージには入りません、普段使いには小さな乗用車でいいのです、でも工場で出来上がった小さな製品を木箱に入れて納品すると言うミッションがあります、ライトバンのように。
 それで積み荷や使用環境のことも考えに入れてこのクルマになったというわけです。
         02
 パイザーは4代目シャレードの車台を基にして小さくても背の高い使いやすいハッチバック乗用車を目指して開発されたクルマで、ダイハツとしてはコンパーノの昭和44年以来27年ぶりの小型ワゴンでした。
          03
 車室内は全長4mあまりの車体にしては広く着座位置も高めでしたので運転しやすいクルマでした、当時まだトールワゴンというジャンルはなく、全長が1cm高くなると全長が3cm伸びるのに等しいなどと言われた時代でしたので、時代に合った新鮮なものでした。
      04_2      

 また、この頃の大衆車には珍しいフルオートエアコンとマルチパネル、キーレスエントリー他、木目調パネル、本皮シートなどが装備されていたり、ABSやデュアルエアバッグなども先進のものでした。


        05 

 

 まぁ装備に関してはトヨタのアンテナショップ的な面はありましたが、ダイハツのマイナー車にしては月1000台余りと出足好調でした、しかしダイハツはトラックと軽自動車メーカーのイメージから抜けきれなかったこともあって、ライバルのデミオ、シビックシャトル、さらにはラウムなどには及ばず、前述のように6年で46,448台と不本意な結果に終わったのです。

 しかし、その後のYRVより遙かにたくさん売れています。


         06 

 

 エンジンはシャレードと同じHE-EG型1498cc100馬力とHD-EP型1589cc115馬力、どちらも直列4気筒SOHC16バルブでトランスミッションは5速MTと4速AT、これにFFとフルタイム4駆の組み合わせがありました。

 私の自動車屋の古くからのお客様であるおやじさんはもうこの頃には珍しかった、1500のMTでした、前輪駆動のMTはクラッチミートが唐突で合わせにくいイメージがありますが、パイザーのそれはさすがにトラックメーカーだと思うくらいスムーズで高齢のおやじさんにも乗りやすい車でした。


          08 

 

 最後にもう一つ、私のお気に入りはラゲッジルームクッションとセンタークッションです、これは荷物室の床板をくるっと回すように開けると現れる前者と後席足下に設置する後者によって出来る1.7mの平らなベッドルームです、ちなみに私も1.7mです。


          07 

 

 若い頃、友達と夜っぴきで走行って明け方仮眠をとって旅行を続けると言うようなことを幾度か経験しましたので、このスペースは青春時代を思い出して魅力的に写りました、でも実際にはここで寝ると言うことは現実的でないようで、パイザー以降このようなシートアレンジが出来るクルマはお目にかかれません、私が乗ったラウムなどは初代・二代共、名前はラウム(ドイツ語でルーム)なのにパイザーのような広いスペースはありませんでした。

posted by 健太朗 at 17:00| Comment(4) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

エレガントなコンパーノ

                  05
 昭和40年から41年にかけて放送された「バックナンバー333」というテレビドラマ、コンパーノ・スパイダーが活躍するので、高校生の私はテレビにかじりついて見たものです。

 でも筋はよく覚えていません、Wikipediaによると、-鶴見大介は普段はレンタカー会社を経営しているが、事件が起きると愛用のスポーツカー「カーナンバー333」に飛び乗り、持ち前の正義感と合気道五段の腕前で社会悪に立ち向かい、次々と事件を解決していく-、ということです、鶴見大介はあの月光仮面や隠密剣士の大瀬康一が演じていました。

 コンパーノ・スパイダーはセダンのコンパーノ・ベルリーナの屋根を切り取って4人乗り2ドアコンバーチブルとしたクルマで998ccツインキャブレター65馬力最高速度145km/hのスマートなオープンカーでした。

                 08

 そのベースとなったコンパーノ、プロトタイプは昭和36年、第8回全日本自動車ショー(東京モーターショー)で発表された、イタリアンデザインの「ダイハツ乗用車」というクルマでした。
         091959fiat2100d
                                                    当時のFIAT

 

  当時、オート三輪トラックメーカーだったダイハツの初めての乗用車として発表されたのですが、実は昭和26年に三輪乗用車、Bee(ビー)、があって、そのデザインの美しさは人気があったのですが、36年のダイハツ乗用車はフィアット1800によく似たというよりコピーしたようにそっくりな、しかし小型乗用車としてはファニーなデザインでしたので評判が良くなかったのでした。

 そして翌年の第9回東京モーターショーに出品されたコンパーノ・ライトバンはイタリヤのカロッツェリア・ヴィニャーレによる美しいデザインで、その生産型は昭和38年4月に発売されました、続いて6月にはコンパーノ・ワゴンそして11月にはセダンのコンパーノ・ベルリーナが発売となりました、ベルリーナとはセダンという意味の他にエレガントなという意味もあるそうです。

                   01 

 ベルリーナはバンやワゴンに較べるとちょっとバランスが悪い印象でしたが、これがスパイダーになると実にかっこいいと思いましたね、ちなみにスパイダーは英語で蜘蛛ですが、軽四輪馬車のスパイダー・フェートンから転用された言葉で、アルファロメオ・スパイダーのようにオープンカーの呼称に使われましたが、オープンカーは他にもダットサン・フェートン、パブリカ・コンバーチブル、ロードスターやドロップヘッドなどいろいろな言い方があって楽しいですね。

          07
 さてコンパーノの特徴は何といっても梯子フレームを採用しているということ、つまりシャシとボディが分離していて、エンジンやサスペンションなどがフレームに載っている、理論的にはシャシだけでも走行できる構造になっています。

 もうこの時代でも軽量車はモノコックボディが当たり前になっていましたが、ダイハツはあえて梯子フレームを採用したのは車型のバリエーションを豊富にするためで、スパイダーは35kg増に抑えられたといいます、後にはピックアップつまりボンネットトラックまで出ているのです。

          02
 でもこの構造は重量的には不利で、つまりもともと重いクルマですから、私の記憶をたどってもスカッとよく走るという印象はありません、しかしダイハツのサービスマンの友人に、コンパーノGTというクルマに試乗させてもらった時には、エラい迫力があるクルマだと思ったことを覚えています。

03  コンパーノGTはスパイダーと同じ1000ccエンジンにソレックスツインキャブレターの代わりに国産車初の機械式燃料噴射を装備していました、キャブレターのようなユニットの中に噴射ノズルがあったように思いますが、確かツインキャブのスパイダーと同じ馬力だと聞いた記憶があります。

              04

         06 

posted by 健太朗 at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

ダイハツのカローラ・シャルマン

   ダイハツは日本で最も古い自動車メーカーで、明治40年、発動機製造株式会社に始まるのです。

 後に、大阪の発動機会社、ということでダイハツに変わったそうですが、昭和42年にトヨタと業務提携して以降、徐々にその関係を深めて、今ではトヨタグループの一員となっています。

 

 昭和44年第一弾として、提携という名のコンソルテを発売しますがこのクルマのことは私も数年乗っていましたので別のページで紹介しています。

 そして昭和48年のコンソルテ・クーペ(スターレットのOEM)に続いて、昭和49年、シャルマンが発売されます。

                    01 

 今日はこのクルマのお話です。

 さてトヨタでは昭和45年、その前年の東名高速全面開通を受けてカローラをモデルチェンジ、定評のトータルバランスで80点主義を確立して、初代からの累計300万台を記録しました、シャルマンはこの二代目カローラセダンKE20の生産設備を買い取って作られた車で、エンジンと車台はカローラのものにダイハツデザインのボディを載せたクルマです。

                  05                   

 

 しかしこれにはいろいろ制約があって、例えば前席ドアはKE20そのもですし、ざっくりいえば部品の多くはトヨタのものつまりトヨタの下請けから仕入れた部品を使っています。

                   02

 まあ、ハッキリ言えばこれはどこから見てもトヨタのクルマなのです、でも、カローラにない豪華なデザインと室内のしつらえは魅力的で、のちにカローラは「ひとクラス上の豪華さ」でヒットしたモデルもありましたが、まさにシャルマンはひとクラス上のクルマだったのです。

                    03

 このころいわれた言葉に「モデルチェンジのためのモデルチェンジ」というのがありましたが、これはクルマがモデルチェンジをしてもエンジンやシャシなど主要な部分は大して変わらないのに見かけだけモデルチェンジして拡販を図ろうとするメーカーの姿勢を揶揄したものですが、シャルマンに関してはトヨタ製品の安心感を背景にして思いのほかよく売れたそうです、その証左として二代目シャルマンもTE70カローラをベースに作られました。

 

 乗り味はまさにカローラそのもので静粛設計であること以外は可もなく不可もないという80点主義ですが、豪華仕様の車室内はカローラにないものを持っていると感じました。

                     04

 

 この時代はクルマの平均寿命がぐんと伸びた頃ですが、永く乗っていても大メーカーのクルマですから安心感があってよいと思いましたが、当時のダイハツ小型車のイメージは今とは少し違っていたようで、私など、ダイハツのセールスマン氏が乗っているクルマ以外にはお目にかかるコトはなかった、の印象があります・・・。

 

posted by 健太朗 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする