2017年05月29日

ミゼットふたたび

 このbulgをスタートして始めに書いた文章が部品工場のミゼットでした。

そこではちょっとしたエピソードを話しましたが、私はミゼットと同じ頃に発売されたチキンラーメンを食べ始めた世代なので(関係ないけどね) 今回は、そもそもミゼットってどんなクルマ?、ということをテーマに話してみたいと思います。


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ミゼットが発売された昭和32年は東京タワーが完成する前の年、コロムビア・ローズの「東京のバスガール」がヒットし、ロカビリーが流行り、富士精密から「プリンス・スカイライン」が発表された年ですが、まだまだ乗用車よりもトラックの方が圧倒的に多い時代でした、中でも小型車の場合は自動三輪貨車、つまりオート三輪が多く走っていた時代です。

ダイハツでは昭和5年からオート三輪が造られていましたが、戦後、世の中が落ち着くにつれてその製造台数は多くなりました、しかし中小企業や個人商店などではまだリヤカーを引いた自転車や小型オートバイが使われており、そこに目を付けたダイハツは小型軽量そして安価で経済的なミニオート三輪を開発しました。


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軽自動車という制度が出来たのは昭和24年ですがこの時の排気量は150cc、三輪車も四輪車もありませんでした、この制度は毎年のように改正され、昭和27年に軽自動車初の四輪乗用車「オートサンダル」が発売され、以降主に中小メーカーから続々と現れては消えてゆきました。

軽三輪に限ると昭和27年のライトポニーに始まって、金城ミニカ、ハンビー、ムサシ、ホープスターなどなど、またポピュラーやフジキャビンのような乗用タイプもあって技術力も競っていました、DSKはサイドカーにキャビンを乗せたような、フジキャビンは強化プラスチックで卵形のボディー、などユニークなクルマばかりでした。

老舗のダイハツはくろがねやマツダと並んでオート三輪メーカーですから全長6mもあるような巨大な三輪トラックも造ってていましたが、Beeという三輪乗用車もありました、そこで前述のように小さくて安価なミゼットが出来たわけです。


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最初のミゼットはバーハンドルでエンジンにまたがって乗る原始的なオート三輪のセオリー通りで一人乗り、前面の風防はありますが屋根と背面はキャンバスで出来ていて、ドアもありませんでした。


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車体寸法は全長2,540 mm、全幅1,200 mm、全高1,500 mm。エンジンは強制空冷2サイクル単気筒249 cc 8馬力、最高速度60 km/h、燃消は28km/Lでした。

この時の価格は198千円でした、この頃の物価は封書10円、はがき5円、バス15

円、銭湯16円、散髪150円、大卒の初任給13000円というところでしょうか、現在なら小型乗用車が消買えそうなお値段ですが2年目くらいからは爆発的に売れて4万台余りの生産台数を記録しています。


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乗り味はオートバイのようですが高出力ではないので、がっかりします。

キーを回してチョークを引き、キックを踏むと白い煙とともにタンタンタンと可愛い音を奏でます、左のやけに大きなクラッチペダルを踏んで股ぐらの3段ミッション・ギヤレバーを左下のローに入れます、オートバイと同じようにハンドルのグリップを回してスタートします、ローギヤは決して伸びません、走り出したらすぐセカンド、右上です、シンクロメッシュはないので気をつけてください、そしてまたすぐにトップギヤ、つまり20km/hも出すともうトップギヤの守備範囲です。

最高速度はカタログではたしか60km/h65km/hだったと思いますが、貨物がないときでも60km/hも出なかったと記憶してます。


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このバーハンドルミゼットはわずか2年くらいでMP型丸ハンドルにモデルチェンジします。

こちらは相変わらず2サイクル単気筒エンジンですが305ccになって12馬力、カタログデータは同じでもずっと楽に60km/hは出せたように思います。


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左右にドアが付いて二人乗り、ずいぶんゴージャスになりました、でも相変わらずブレーキは後二輪だけ、怖い思いもしました。

ミゼットはライバルのマツダK360と共に海外輸出でも人気を博し、生産台数の2割近くが輸出されました、といっても当時は沖縄も海外でした。そして東南アジア特にタイの「トゥクトゥク」はタクシーとして今でも走行っているそうです。


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そして軽三輪は世の中が高度成長期に浮かれていた昭和47年ミゼットの販売終了をもって、より自動車らしい四輪自動車に取って代わられました、日本の国産自動車の話しをするときオート三輪と軽三輪トラックを避けては通れないのではないでしょうか。


さてさてそれから24年も経った平成84月、ミゼットIIが発売されました、なんと四輪車です。

 でもこの話はまたいずれ、ということで。


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posted by 健太朗 at 12:39| 京都 | Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月17日

希少車・パイザー

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  パイザーというクルマをご存じでしょうか、中国語の通行許可証(牌子)をもじった名前です。

 ダイハツで平成8年から6年で4万台余り生産されたクルマです。

 世間では目立つことがなかった希少車です、希少車ですが珍しくもなんともなく、要は単なるライトバン型小型乗用車です。

 でも私はとってもよく出来たワゴンだと思うのです。
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 私の自動車屋でパイザーを買って頂いたのは平成9年頃、電子機器の接点などを造る下請けの町工場を営む親父さんで、それまで10数年乗ってられたファミリアバンからの乗り換えでした、小型車が年々大型化し、ファミリアバンも新車を買うと町工場の片隅のガレージには入りません、普段使いには小さな乗用車でいいのです、でも工場で出来上がった小さな製品を木箱に入れて納品すると言うミッションがあります、ライトバンのように。
 それで積み荷や使用環境のことも考えに入れてこのクルマになったというわけです。
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 パイザーは4代目シャレードの車台を基にして小さくても背の高い使いやすいハッチバック乗用車を目指して開発されたクルマで、ダイハツとしてはコンパーノの昭和44年以来27年ぶりの小型ワゴンでした。
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 車室内は全長4mあまりの車体にしては広く着座位置も高めでしたので運転しやすいクルマでした、当時まだトールワゴンというジャンルはなく、全長が1cm高くなると全長が3cm伸びるのに等しいなどと言われた時代でしたので、時代に合った新鮮なものでした。
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 また、この頃の大衆車には珍しいフルオートエアコンとマルチパネル、キーレスエントリー他、木目調パネル、本皮シートなどが装備されていたり、ABSやデュアルエアバッグなども先進のものでした。


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 まぁ装備に関してはトヨタのアンテナショップ的な面はありましたが、ダイハツのマイナー車にしては月1000台余りと出足好調でした、しかしダイハツはトラックと軽自動車メーカーのイメージから抜けきれなかったこともあって、ライバルのデミオ、シビックシャトル、さらにはラウムなどには及ばず、前述のように6年で46,448台と不本意な結果に終わったのです。

 しかし、その後のYRVより遙かにたくさん売れています。


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 エンジンはシャレードと同じHE-EG型1498cc100馬力とHD-EP型1589cc115馬力、どちらも直列4気筒SOHC16バルブでトランスミッションは5速MTと4速AT、これにFFとフルタイム4駆の組み合わせがありました。

 私の自動車屋の古くからのお客様であるおやじさんはもうこの頃には珍しかった、1500のMTでした、前輪駆動のMTはクラッチミートが唐突で合わせにくいイメージがありますが、パイザーのそれはさすがにトラックメーカーだと思うくらいスムーズで高齢のおやじさんにも乗りやすい車でした。


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 最後にもう一つ、私のお気に入りはラゲッジルームクッションとセンタークッションです、これは荷物室の床板をくるっと回すように開けると現れる前者と後席足下に設置する後者によって出来る1.7mの平らなベッドルームです、ちなみに私も1.7mです。


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 若い頃、友達と夜っぴきで走行って明け方仮眠をとって旅行を続けると言うようなことを幾度か経験しましたので、このスペースは青春時代を思い出して魅力的に写りました、でも実際にはここで寝ると言うことは現実的でないようで、パイザー以降このようなシートアレンジが出来るクルマはお目にかかれません、私が乗ったラウムなどは初代・二代共、名前はラウム(ドイツ語でルーム)なのにパイザーのような広いスペースはありませんでした。

posted by 健太朗 at 17:00| Comment(4) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

エレガントなコンパーノ

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 昭和40年から41年にかけて放送された「バックナンバー333」というテレビドラマ、コンパーノ・スパイダーが活躍するので、高校生の私はテレビにかじりついて見たものです。

 でも筋はよく覚えていません、Wikipediaによると、-鶴見大介は普段はレンタカー会社を経営しているが、事件が起きると愛用のスポーツカー「カーナンバー333」に飛び乗り、持ち前の正義感と合気道五段の腕前で社会悪に立ち向かい、次々と事件を解決していく-、ということです、鶴見大介はあの月光仮面や隠密剣士の大瀬康一が演じていました。

 コンパーノ・スパイダーはセダンのコンパーノ・ベルリーナの屋根を切り取って4人乗り2ドアコンバーチブルとしたクルマで998ccツインキャブレター65馬力最高速度145km/hのスマートなオープンカーでした。

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 そのベースとなったコンパーノ、プロトタイプは昭和36年、第8回全日本自動車ショー(東京モーターショー)で発表された、イタリアンデザインの「ダイハツ乗用車」というクルマでした。
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                                                    当時のFIAT

 

  当時、オート三輪トラックメーカーだったダイハツの初めての乗用車として発表されたのですが、実は昭和26年に三輪乗用車、Bee(ビー)、があって、そのデザインの美しさは人気があったのですが、36年のダイハツ乗用車はフィアット1800によく似たというよりコピーしたようにそっくりな、しかし小型乗用車としてはファニーなデザインでしたので評判が良くなかったのでした。

 そして翌年の第9回東京モーターショーに出品されたコンパーノ・ライトバンはイタリヤのカロッツェリア・ヴィニャーレによる美しいデザインで、その生産型は昭和38年4月に発売されました、続いて6月にはコンパーノ・ワゴンそして11月にはセダンのコンパーノ・ベルリーナが発売となりました、ベルリーナとはセダンという意味の他にエレガントなという意味もあるそうです。

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 ベルリーナはバンやワゴンに較べるとちょっとバランスが悪い印象でしたが、これがスパイダーになると実にかっこいいと思いましたね、ちなみにスパイダーは英語で蜘蛛ですが、軽四輪馬車のスパイダー・フェートンから転用された言葉で、アルファロメオ・スパイダーのようにオープンカーの呼称に使われましたが、オープンカーは他にもダットサン・フェートン、パブリカ・コンバーチブル、ロードスターやドロップヘッドなどいろいろな言い方があって楽しいですね。

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 さてコンパーノの特徴は何といっても梯子フレームを採用しているということ、つまりシャシとボディが分離していて、エンジンやサスペンションなどがフレームに載っている、理論的にはシャシだけでも走行できる構造になっています。

 もうこの時代でも軽量車はモノコックボディが当たり前になっていましたが、ダイハツはあえて梯子フレームを採用したのは車型のバリエーションを豊富にするためで、スパイダーは35kg増に抑えられたといいます、後にはピックアップつまりボンネットトラックまで出ているのです。

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 でもこの構造は重量的には不利で、つまりもともと重いクルマですから、私の記憶をたどってもスカッとよく走るという印象はありません、しかしダイハツのサービスマンの友人に、コンパーノGTというクルマに試乗させてもらった時には、エラい迫力があるクルマだと思ったことを覚えています。

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posted by 健太朗 at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする