2010年12月10日

シビックの源流

  シビックがなくなるとかなくならないとかのニュースが飛び交っている。


 今のところ最新の情報では、ホンダの伊藤社長は「シビックブランドを国内から無くすとは言ったつもりはありません」とのコメントだそうだ、しかし、現在国内で販売中の『シビック・セダン』は次のプラン(フルモデルチェンジ)ではやらないつもり、とも伝えられており、いずれシビックの役割も終えることになるだろう。


 時代も変わり、役割が終わってもいつまでも作り続けて、過去の栄光を汚しているクルマもあるのだから、ホンダの潔さに拍手、といったところだ。
 そんなことを想いながら、クローゼットをごそごそしているとシビックのカタログが出てきたのでちょっと掲載してみる、と同時にそのシビックの源流とも言うべき写真もあったので漏洩?させようと思う。

 

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                                          N800       

          L70001

                                         L700

 

 本田宗一郎親父さんは、私のような自動車屋のはしくれとしては憧れ、尊敬する大先輩である。
 その親父さんがこだわり抜いて創ったAS280Eエンジン、総アルミ製水冷直列4気筒ツインカム531㏄CVキャブレター4連装44馬力、つまりホンダスポーツ500のエンジンだ、これはS360に始まって後にS600,S800と大きくなっていった、S800は当時ホンダでは「100マイルカー」と豪語した、確かにこれは800㏄という小さなエンジンにしては高性能で、0-4加速を16秒という速さだった。


 ホンダスポーツの話をするときりがないので次にいく。


 つまりこのエンジンを700㏄1キャブ52馬力にデチューンしてFRの小さなライトバンに載せたがL700Mだ。


 そして昭和40年第12回東京モーターショーにホンダN800が展示された。
 これは800㏄シングルキャブ65馬力を載せた、全長3720mmという小さな2ドアセダンだ、写真を見るとハードトップにも見える。


 私も実際に東京モーターショーでこのクルマをみているはずなのだが、どうも興味がなかったらしく、あまり覚えていない、まさかこれがシビックのようなセンセイショナルなクルマに化けて出てくるとは思っていなかったようだ。


 L700バンの方は実際に発売されて、私も整備に携わったことがあるのだが、商用車にこのような高回転エンジンは少しく乗りにくいイメージだった、ただ、T360と同じようにそのサウンドだけはホンダスポーツそのままで、たしかコラム右シフトレバーだったと思うが他の同クラスのクルマたちとはひと味違っていてこれもまた楽しいクルマだった。


 残念ながら経済性や耐久性にも問題があったのか、N800の方はついに発売されなかった、そのかわりN360がヒステリックに大ヒットとなるのである。
 そしてそれから3年後の昭和43年第15回東京モーターショーにはホンダ1300が登場するのだが、至高のメカニズムDDACは世間に受け入れられなかった。

 

 

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 N800から7年たった昭和47年、シビックが大ヒットとなるのだが、すでに本田宗一郎親父さんの意向は反映されず、ツインカムや4連装キャブレターなどの複雑なメカニズムと高回転高性能にこだわった宗一郎エンジンとは真逆の、おっとりむっくりの普通の乗用車エンジンに変わったのである、それはホンダが大きく変わった歴史的瞬間でもあった、と私は思っている。


 とはいえやっぱりホンダのクルマなのだから、当時の大衆乗用車の中では走りが良く軽快な印象トップクラスだった、ただ、トルクを高速重視にしてあるのでルノーやコンテッサよりもクラッチミートがしにくかったし、そんな際のボディにかかる振動などから、柔な感じは否めなかった。

 最近の雑誌で初代シビックのスタイリングを「シンプルでトレッドを大きくとってワイドなボディとし、それによって室内スペースを大きくしようとする試みがなされていた」などと書いているのをみたが、当時この足を踏ん張ったワイドなデザインがいかに新鮮なものであったかは今では想像に難く、その後の国産車のデザイン寸法取りが変わってしまったほどだった。

 

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posted by 健太朗 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

カタログコレクションから ・ ホンダN360

N3601p_2

 今回はホンダN360、発売前のカタログだ。
 昭和41年10月、第13回東京モーターショーにプロトタイプが出品され、次のページにあるように12月から予約開始、翌年2月発売と在るが実際にはもう少し遅れたようだった。

 ホンダN360は実にめちゃくちゃなクルマだった、31万3千円の単一グレード、31馬力のオートバイのような空冷エンジン、十字ジョイントを組み合わせたドライブシャフトを持つ前輪駆動、Miniのようなまっ四角なボディで居住性抜群、ダッシュボード下から生えたシフトレバー、赤や黄色の派手な塗装、どれをとっても当時の軽自動車の中にあっては常識破りだった。

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 昭和39年頃から馬力競争が始まっていて、それでもスバル360もキャロルもこの時点で20馬力だ。
 価格はキャロルが39万、スバルが36.5万、フロンテは38万だった、そしてこの年発売されたカローラは43万2千円、大学卒の初任給がまだ2万円に達していなかった頃の話だ。

 ちょっと写真が小さくてわかりにくいかもしれないが、上のページの2番の写真にあるシフトレバーはいかにもしゃれたデザインなのだが、実際に発売された時には黒いブラケットが付いた無粋なものに替わっていた、だがハンドルやドアノブからバックミラーに至るまで、新しいデザインで人気を集めた。

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 しかし実際に乗ってみるとせかせかとせつろうしい性格だった、当時の私たちはスポーツカーのような高回転型のエンジンには慣れていなかったので乗りにくく感じた、前輪駆動のハンドリングもまだこなれてなく、直進でもパワーオンオフで進路を乱されることがあった。実際にアメリカではこのことから訴訟問題に発展したとの話が伝わっている。

 私の自動車屋でも発売直後に数台買っていただいたが、そのどれも短命だったし、次もホンダを選んでいただいたユーザーはなかった。

 何しろ発売直後からまるで開発中の実験車のようにパーツの変更が相次いで、SFと呼ばれたサービス工場でパーツを買ってきても合わなかったりすることもしばしば、修理には多くの専用工具や設備が必要なこともあって、町の自動車屋も困り果てた。

 しかしこのN360が4輪メーカーとしてのホンダの礎となったことは周知の事実で、また当時の軽自動車ブームの火付け役として一大革命をもたらした風雲児はこの後、日本中でN360を見かけない場所はないと言うほどたくさん売れたのである。

 N360はスバル360とともに日本の名車として永遠に心に残るだろう。

posted by 健太朗 at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

お兄ちゃんの軽トラ・ホンダT360

45万9千円で買える世界最小のスポーツカーは総アルミ合金製水冷4気筒ツインカム4連キャブレター、たった500㏄で100マイルのスピードが出せる。

こんな風に憧れの言葉を並べるときりがない、そしてあの、時計のように精密と言われたホンダオートバイのエンジン音に通じる機械的にして肉欲的な、そして官能的なフリクションを伴った甲高いサウンドが、自動車大好き少年を虜にして放さない。

とはいうものの当時の新米メカニックにとってそれは高嶺の花以外の何者でもなかった。

兄が乗っていたコニー360もそろそろ買い換え時が来ていて、しかしコニーもすでに2代にわたって乗ったし、さあどうしよう、とお兄ちゃんから相談があったのは私がホンダスポーツ500と本田宗一郎親爺さんに強い憧れを持っている頃だったから、当然のようにホンダT360を候補に挙げた。

T36001

ホンダT360という軽トラックはあのホンダスポーツ500の原型となった、ホンダスポーツ360のエンジンをドライバーシートの下、つまりミッドシップに乗せたとんでもないスポーツ軽トラックなのだ。

お兄ちゃんには決して評判は良くなかったが、私は何かと理由を付けてはこの小さなスボーツトラックを乗り回した。

素晴らしいレスポンスとあのスポーツ500と同じサウンド、ただ堅いだけのサスペンションと絶対にグリップがよいとは云えないバイアスのトラックタイヤ、しかしめいっぱいのトレッドでふんばったデザインがこれをカバーする。

T360

床から生えたオルガン式ブレーキペダルと小さなアクセルペダルをヒールアンドトーで踏んづけて右手シフトレバーで思いっきりエンジンブレーキをかけてやると、まるでサーキットにでもいるように錯覚する。

だが、上り坂と重い荷物にはめっぽう弱い。低速トルクの弱いエンジンはこんな時、ギヤを落として思いっきり回転をあげてやらなければならない。そして、1年もたった時、エンジン音はがさがさ、ウォーターポンプやオイルポンフはがたがた、見るも無惨に疲れ果ててしまった。これを防止する為にはスーパーカブのように千キロでオイル交換をしてやらなければならなかったのかもしれない。

こうしてお兄ちゃんのホンダT360は初回の車検を受ける前にダイハツハイゼットに替わっていった。

posted by 健太朗 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする