2019年03月14日

シティというクルマ 2代目

 昭和61年、シティはモデルチェンジします。

 これがもうビックリ。

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 あのトールボーイがぺったんこになりました。全高は1470mmから135mmも低くなって1335mm、なにしろ四隅にタイヤを追いやったデザインですからよりワイド・アンド・ローに見え、私などは「かっこいい」などと思いましたが、初代のイメージが強かったためか没個性のレッテルが貼られていまいました。

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 これほど初代と2代のコンセプトががらりと変わったクルマは他にないのではないでしょうか。

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 その代わりハンドリング性能は抜群に良くなってロールが少なく、ちょっとしたスポーツカーのようで、ちょうどその頃乗る機会が多かった2代目プレリュードとよく似た感覚だと思いました。

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 エンジンは先代のCVCCに換わってシングルカムシャフト16バルブ、しかも燃焼室の真ん中にプラグを差し込むという新技術によって、ツインカム並みの潜在能力を持つ1200ccの新エンジンに電子制御キャブレターを採用して76馬力と20km/Lを実現しています。

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 サスペンションも普通の、そして堅めのマクファーソンストラットとトーションビームに換わりました。

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 そして前述のように背が低く前面投影面積が小さいので空気抵抗も小さく、CD値は0.35とシティという名の町乗用ファミリーカーとは思えない性能を誇っていました。

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 しかしこのモデルチェンジが「節操がない」とか「シティという名に合わない」とかのご意見を聞くこともありました、その証拠に初代は年平均5万台以上の生産がありましたが、2代目シティは2万3千台程度で平成5年、販売を終了しました。

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 このかっこいい高性能車がシティではなくハイウェイだったら、なーんてあまりにもしょうもない冗談ですね。

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2019年03月02日

シティというクルマ

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 昭和50年代、乗用車の高さを1cm高くすれば3cm長くなるのと同じ効果がある、という記事を読んだ記憶があります。

 つまりそれほど乗用車の設計は“低く長く”作られていましたから、少し背を高くしようよ、という機運が高くなっていました。

 それにいち早く反応したのがおそらくダイハツで、初代シャレードや2代目ミラクォーレは少し車高が高くなって、明らかにそれまでより広々とした車室を売りにしていました。

 そして昭和56年、ビックリするほど背の高い小型乗用車がデビューしました。

 それがホンダシティです。

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 平均年齢27歳という若手開発陣によって生み出され、全長3380mm全幅1570mmに対して全高1470mm、「トールボーイ」と呼ばれました。

 現在の軽自動車のような寸法ですが、当時はこれが画期的だったのです。

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 そしてCOMBAXと名付けられた1200ccの低燃費型でクラストップの21.0km/L(10モード)を実現した67馬力CVCCエンジンを積んで、マッドネスというグループが井上大輔作曲のIn The Cityを歌って踊るムカデダンスのコマーシャルと相まって大ヒット、昭和56年から5年間で31万台余の生産台数となりました。

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 これと同時に発売されたのが、シティのカーゴスペースにぴったり収まるモトコンプというバイクです。

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 2サイクル49cc2.5馬力の原動機付自転車ですがシティと同時開発で進められたユニークな試みでハンドル、シート、ステップを折りたたんでプラスチック製のボディーに収納出来、シティのトランクに積んで遠くに出かけた際に目的地の足になるという触れ込みで、話題になりました。

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 しかしテレビコマーシャルの影響か、シティの付属品だと思われたようで売れ行きは良くなかったそうです。

 シティは100馬力のターボチャージャー付き車やマンハッタンルーフ(ハイルーフ仕様)、カブリオレなど次々と追加されますが、中でもブルドッグと呼ばれたターボⅡ仕様はインタークーラーを追加することで110馬力を発揮し、スクランブルブーストという機能はアクセル全開で、10秒間だけ過給圧が10%アップするという面白いものでした。

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 私の自動車屋でもブルドッグを1台販売しましたので何度か乗る機会がありましたので、空冷1300の頃のような強烈な印象はありませんが、実に楽しいドライブをさせて頂きました。
 但し10パーセントアップというのは街中では試すことは出来ませんでした。

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 さてこの後2代目シティのビックリを書きたいのですが長くなりますので次回と言うことにします。













posted by 健太朗 at 17:20| 京都 ☁| Comment(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

BONのプレリュード

京友禅の行程の一つに「糊置き」という技法があります、着物のがらになる文様の一つ一つの輪廓などに糊を置いて色を染める手法で、江戸時代から連綿と続けられている伝統産業です。

そんな伝統ある、しかしとても地味な仕事を、町屋の奥でひっそりとしている若い職人さんが京都室町界隈には沢山ありました、少なくとも昭和の終わり頃までは。

そんな糊置き職人の一人、BONというあだ名の腕のいい職人さんの愛車、プレリュードの話しです。

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最近はどうでしょう、ホンダのクルマって身近なクルマはN-BOX、フリード、オデッセイなど、それにフィットを加えても実用車が多く、これにS660を加えても、これらのクルマにオシャレで夢のある雰囲気はありませんよね。

でも昭和のホンダは実に楽しくて夢を持ったクルマが多かったのです。

S500に始まって軽トラにもDOHC4気筒エンジンをおごってみたり、どっしりと四つ足を踏ん張ったシビックに世界初の低公害エンジンCVCC、トールボーイと言われたシティー、更には屋根もドアもないお遊び用軽トラックでブランド名が後ろについたバモスホンダ等々、他にもいっぱいありますが、数えるだけでも楽しいクルマたちでした。

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その中にあって、プレリュードは個性を前面に出したデザインのクーペで、だけれども初代プレリュードはスピードメーターとタコメーターが同軸の指針になっているのが個性の代表でしたが、外観のデザインはアコードクーペだと言われてちょっと不人気でした、しかし輸出は好調だったようです。

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そこでBONがゴルフから乗り換えた2代目プレリュードが登場します、2代目は昭和57年に登場しますがBONのクルマは昭和60年の後期型で、さらに個性を強調し、「ここに直4 2000ccが載ってるの?」というくらい低いボンネットに、リトラクタブルヘッドライトですから、低い着座位置からでも見通しがよく、このモデルで初めて採用されたドアミラーのせいもあって、今では当たり前ですが、運転席からボンネットがまったく見えないので、当時としては異次元の景色だったのです。

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ガラスサンルーフもまたそんな景色の演出に一役買っていて、そのサンルーフが標準装備だったことも魅力に一つでした。

さらに一本アーム式のワイパーも異次元でした、ベンツのように歩行者に水をかけるほどではありませんがその速い動きに圧倒されました。

そんな雰囲気が「デートカー」という言葉を生み出しました。


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乗り味は、それ以前のホンダ車のようなごつごつした、ワイルド感は軽減され、しかししっかりとした堅さを感じる乗り心地で、逆に速度感応式のパワーステアリングは低速では異常とも言えるほど軽く、おかげでクルマ全体が軽く感じるほどですが、鋭い発進加速を味わいながらかどを曲がるだけで「おっ、これはスポーツカーやね!」と思わせる、ロールしない、というより横Gを感じない、という印象でした。

でもこのまま郊外に出てワインディングを走行るとホンダ特有のFF癖が残っていて安心するやらがっかりするやら、でも今思うとこれがホンダ一流のオシャレだったのかな、とも思います。

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そのBONがあるとき、堀川通り(京都では最も広い通りの一つ)5-60kmで走行中、レンガのようなものを踏んだというのです、大きなショックに驚いて路側に停車めていろいろ眺めたり覗いたりしてもいつもと変わりが無い、でも走行って見るとなんかいつもと違う、と言って私の自動車屋に持ち込んでこられたのです。

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で、試運転をしてみるとほんのわずかですが右にハンドルが取られます、ホイールアライメントを確認してもメーカーデータの範囲内です、リフトアップして下から覗いて見ること数十分、サイドメンバーの付け根にわずかな傷を見つけました。

まさかとは思いましたが、レンガを踏んづけたショックで、タイヤやサスペンションアームなどは異常が無いのに、ボディの骨格が歪んでしまったのかもしれない、でもそんなことは聞いたこともないなぁ、などと思いを巡らせていてもしょうがないので、お客様であるBONの承諾を得て、下請けの板金工場へ持ち込んだのです。

板金工場で特殊工具を使ってチェックしてもらった結果、残念にも私の診断が的中したのでした、少々お高くつきました、そして厳密にはこれは修復歴車となってしまいましたが顧客であるBONには、まずまず安心していただきました。


今のクルマはコンピュータを駆使して設計をするそうですので、こんな強度ムラはないのでしょうが、若い自動車会社の夢をいっぱい積み込んだクルマの、予想も出来ない故障があった時代のお話でした。

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posted by 健太朗 at 21:18| 京都 ☁| Comment(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする