つり目のスカイライン・スポーツ

 次期スカイライン・クーペだと言われている、インフィニティ Q60 コンセプトのスクープ写真を見ました、久しぶりにちょっと美しいなあと思いました。

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 スカイライン・クーペと言えば初代スカイラインの頃、スカイライン・スポーツというそれは美しいクーペがありました。

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 昭和37年から38年に60台だけ生産されたプリンス時代の傑作です。

 プロトタイプは昭和35年、イタリアのトリノショーに出品されたジョバンニ・ミケロッティのデザインによるブルーのクーペと白のコンバーチブルです。

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 「チャイニーズ・アイ」と呼ばれたつり目の4灯ヘッドライトが特徴で国産車初のイタリアンデザインは同時期のミケロッティが手がけたトライアンフ・ヴィテスとよく似ています、又、最新型のスカイラインV37型のフロントマスクはよく似たイメージのデザインですね。

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 このプロトタイプのルームミラーには、この年のローマオリンピックを記念した5輪マークが刻印されているそうです。

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 生産型のスカイライン・スポーツは初代スカイラインや2代目グロリアのエンジンとシャシを使っています、1900ccの直列4気筒は94馬力のエンジンと梯子形シャシに前ダブルウィッシュボーン後ドデオンアクスルです。

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 私はこのスカイライン・スポーツに乗った経験はありませんが、このエンジンとシャシから、ふんわりとした、しかし充分にスポーティなあの時代のプリンスの乗り心地が想像出来ますが、恐らく私が想像するよりもう少し堅めのチューニングだと思います。

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 あの重いハンドルとドシッと沈むシ-ト、プリンス特有のコラムシフト・パターンなど、思い出して想像すると今でも乗ってみたいクルマのひとつですね。

 市販された当時の価格はクーペが185万円、コンバーチブルが195万円といいますから、とびきりの高級車です、大卒者初任給がまだ1万数千円の時代ですから今なら2千万近いお値段ですね。

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 町の自動車屋の私には乗れるはずもないクルマです。

 

スカイライン何代目?

 私は、初代とか二代目とかの表現がよほど好きだと見えて、自分の文章を読み返していると恥ずかしくなるくらいにそんな表現が多い。
 そして今回もそのような話題から始めることにする。スカイラインの話だ。
 初代スカイラインというのは昭和32年プリンス自動車の前身、富士精密工業のプリンス・スカイラインだ、1500㏄60馬力、テールフインのアメリカンなデザインの車体は4290/1675/1535というからわがラウムと同じくらいの大きさだ。
 実はそれ以前のプリンスセダンからのモデルチェンジだといえなくもないが、リヤサスペンションにドディオンアクスルを備えた当時の日本車としてはもっとも先進的なクルマで、その後1900㏄のエンジンを載せた3ナンバーのプリンスグロリアを皇太子殿下(現・今上天皇陛下)に納めたという初代グロリアはこのスカイラインと同じボディのものだ。
 非常に重い車体と、非常に重くなかなか曲がらないハンドルと、えらく吹け上がりの良いエンジン、こんな印象が私の記憶の中にある。

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 そして二代目スカイラインがシッカヤハンのスカイラインGTで紹介した初代スカイラインGT「羊の皮を被った狼」だ。

   ここでは三代目に話を進めたい。CMではたしか「愛のスカイライン」だったが、いつの間にか「ハコスカ」とあだ名されるようになった、ハコの意味は未だにわからない。

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 ボディサイドにサーフィンラインと呼ばれるブレスラインが入っているが、初代スカイライン・スタンダードのメッキサイドモールのデザインを踏襲していて、これがスカイラインの伝統ともいえるが、五代目C210スカイラインジャパンまでで、六代目ではなくなってしまったのは残念だ。

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 さて三代目スカイラインにはこれまた初代GT-Rが現れた。

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 当時スカイラインはまだ旧プリンスの設計陣が担当していたそうで、日産によって大幅にデチューン?されたL20・6気筒エンジンで何とかGT-Aになるはずのモデルを完成させたが(安上げのSUツインでGT-Xなるものもあった)、GT-BにはR380というあのポルシェ906に勝つために生まれたプロトタイプレーシングカーのエンジンをこれまた大幅に(良い意味での)デチューンして載せた、ところがはたまた日産の意向でGT-BではなくR380のRをつけてGT-Rになってしまったと言うことだそうだ。
 これが現在のニッサンGT-Rにつながるのだが、数えると六代目になるのだが、車名からスカイラインが消えたので六代目とは言わないそうだ。

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  さて初代GT-Rのエンジン、私の記憶に中の印象は、非常に気むずかしいエンジンだった。このような高速回転を目的にしているエンジンを町中で走らせる、または車検時に排ガス検査を通す、などというのは実は難しいことで、とくにキャブレター調整の難しさには町の自動車屋のスキルでは泣かされることが多かった、ぐっと絞った空燃比では排ガス検査には通っても本来の調子が出ない、車検終了後に元に戻すことになるのだが、ここでくずれたバランス調整がなかなか骨が折れるというわけである。

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 このキャブレターは、初代GT-Bに使っていたウエーバーと同じタイプの三国・ソレックスサイドドラフト・ツインチョークを3連で使っている、つまり6気筒の各シリンダに一つずつキャブレターが付いているのと同じ事で、ここんとこで6つのバランスが悪かったり濃いめのセッティングをするとB7ESという冷え型のプラグが簡単にくすぶってしまったり、逆にかすれて息尽きをしたりと腕の悪いメカニックをいじめてくるのである。
 私の印象では初代GT-Bのウエーバーのほうがずっとやりやすかったように思う。
 もちろんそれはGT-Rの方が格段に高性能になっていたと言うことなのだろうが、言い換えれば極限まで性能を引き出したエンジンにキャブレターが追いついていなかったともいえるのではないかと思う。
 もしもこのエンジンに今の技術でコンピュータ制御のインジェクションとイグニッションを与えたなら、エンジン自体が今より荒っぽい分非常に楽しい走りが出来るのではないかと夢想するのである。


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                                  GR-R NISMO GT3 2013

親爺さんのグロリヤ その3

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やがて私も普通自動車運転免許をクラウンRS40でとるのだが親爺さんのグロリヤに乗るようになって驚いたのはこのクルマの乗り心地と乗り安さだった。

人間工学、等という宣伝文句もあったが、シートの高さと位置、背もたれの角度、ハンドルとペダルの位置などが実にうまく作ってあった。

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例えば、アクセルペダルとブレーキペダルの高低差なんて考えてみたことがあるだろうか、アクセルからブレーキ、ブレーキからアクセルとペダルを踏み換える時に、最適な高低差というものがあるものなのだ。

 

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 ともあれリクライニングシートやチルトハンドルが出来る前のクルマとしてはこれが一番よかったと私は思っている。

ただし、スーパー6やグランドグロリヤではおそらくシートの厚みなどが違っていたのだろう、少し違ったように思う。

 

扱いやすさや乗り心地の良さというものは、エンジン性能や静かさにも影響されるが、サスペンションやステアリングの構造や工作精度、微妙な設定などに寄るところが大きい、設定は現在のようなコンピュータ制御の時代とは違って、パワーステアリングさえないのだから、低速ではかるくてとりまわしをよく、高速では直進性などを考慮した最適なものにする為には高い技術力が必要だ。

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その点プリンスは、そして中でもこのグロリヤの、前はダブルウイッシュボーン後ドデオンアクスルというサスペションは当時のこのクラスでは特に優れていたものと思う。

当時鈴鹿で行われたグランプリレースで、グロリヤがクラウンに勝てなかったことと、セダンとしての乗り心地がグロリヤの方が良かったこととは別の問題だ。

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他のページにも書いたが、後のドデオンアクスルは当時も話題になったが、デファレンシャルを車体側に取り付けてバネ下荷重を極力軽くしたもので、これによりリーフスプリングをたった二枚にしてしまった。
 今のように独立懸架が当たり前の時代にはリーフスプリングが二枚、といっても理解されないかもしれないが、実はこの時代までの乗用車はリーフスプリングが少なくなるごとに乗り心地が良くなっていったのである。

 

しかしまだ今ほど鉄などの原料や加工技術が良くなかった時代のこと、たった二枚のリーフの耐久性などは余りよくいうことは出来ない。

今なら想像も出来ないだろうが、このリーフを外してきて、大ハンマーでふらふらになるまで叩いてその、へたり、を修正するのは私たち新米メカニックの役目だった。

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 何度も書くが車検ごとにサスペンションを分解するなど当たり前なのだから、こんなことがあっても不思議ではなかったのだ。

 

それにしてもこの美しく魅力的なプリンスのグロリヤに、当時つまりリアルタイムで乗る事が出来たことは実に幸せなことだった、と思っている。