昭和43年、高度成長期のまっただ中、京都の呉服問屋が立ち並ぶ狭い室町通りはいま思うと異常なほどの賑わいを見せ、運送業者や悉皆屋のクルマで絶えず渋滞していました。
ついでですが私たち自動車屋も忙しく、残業は増えるばかり、月給はうなぎ登り?でしたかな。
室町でも勢いのある呉服屋さんは、一本東の大通りである烏丸通りにビルを建てつぎつぎと進出していきました、その中の一軒の呉服問屋の社長さんはそれまで乗っていたセドリックスペシャルに飽き足らず、アメ車の中級車、マーキュリー・コメットに乗り換えをされました。
マーキュリー・コメットはフォードの車ですが、リンカーン・コンチネンタルのようなフルサイズではなく、フォード・ファルコンの兄弟車です、と言っても全長5m近くありますから堂々として大きく、当時の国産車に無い大きさですから私たち新米メカニックには、狭い整備工場に入れると作業がしにくいと不人気でした。
ですからコメットの印象は、左ハンドルですのでうっかりしてると市電停留所の安全地帯にぶつかりそうになる、でした。
そんな折、当時フォードの京都での販売店であった日光社の馴染みのセールスマンがマーキュリークーガーの新車を見せに来てくれました、その時もらったカタログはすべて英文ですから私には読めませんのでここには写真の一部分だけ掲載します。
クーガーはムスタングのメカを使って造られたスペシャルティー・コンパクトカーだと言いますがムスタングより3吋長いと言うことですからかなり大きなクルマでした。
でも試乗すると、ぶつかりそうになる、どころか実にスポーティーで楽しいクルマだと思ったものでした、V8の大排気量エンジンがあの大きなボンネットを持ち上げるようにスタートするとそのまま、ガソリンを垂れ流すようにゴボゴボゴボッと速度を上げてゆく様は、国産車の小さいエンジンをぶん回して走行るのとは真逆の大国アメリカのクルマだと半ば悲観的にさえ思ってみたり、やがて日本にもこんなクルマが出来るのだろう、などと思ってみたり、複雑ですが楽しい気分だったのをこのカタログを見ると思い出します。
しかし昭和45年頃スペシャルティーカーとして出現したセリカに乗って、ああこれがニッポンのスペシャルティー・コンパクトカーだとつくづく思わされてがっかりするやら逆に、これで(が)いいのだ、と嬉しさもこみ上げてきたり、これまた複雑な思いでした。