2017年08月16日

マーキュリー・クーガー

昭和43年、高度成長期のまっただ中、京都の呉服問屋が立ち並ぶ狭い室町通りはいま思うと異常なほどの賑わいを見せ、運送業者や悉皆屋のクルマで絶えず渋滞していました。

ついでですが私たち自動車屋も忙しく、残業は増えるばかり、月給はうなぎ登り?でしたかな。

室町でも勢いのある呉服屋さんは、一本東の大通りである烏丸通りにビルを建てつぎつぎと進出していきました、その中の一軒の呉服問屋の社長さんはそれまで乗っていたセドリックスペシャルに飽き足らず、アメ車の中級車、マーキュリー・コメットに乗り換えをされました。

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マーキュリー・コメットはフォードの車ですが、リンカーン・コンチネンタルのようなフルサイズではなく、フォード・ファルコンの兄弟車です、と言っても全長5m近くありますから堂々として大きく、当時の国産車に無い大きさですから私たち新米メカニックには、狭い整備工場に入れると作業がしにくいと不人気でした。

ですからコメットの印象は、左ハンドルですのでうっかりしてると市電停留所の安全地帯にぶつかりそうになる、でした。


 そんな折、当時フォードの京都での販売店であった日光社の馴染みのセールスマンがマーキュリークーガーの新車を見せに来てくれました、その時もらったカタログはすべて英文ですから私には読めませんのでここには写真の一部分だけ掲載します。

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クーガーはムスタングのメカを使って造られたスペシャルティー・コンパクトカーだと言いますがムスタングより3吋長いと言うことですからかなり大きなクルマでした。

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 でも試乗すると、ぶつかりそうになる、どころか実にスポーティーで楽しいクルマだと思ったものでした、V8の大排気量エンジンがあの大きなボンネットを持ち上げるようにスタートするとそのまま、ガソリンを垂れ流すようにゴボゴボゴボッと速度を上げてゆく様は、国産車の小さいエンジンをぶん回して走行るのとは真逆の大国アメリカのクルマだと半ば悲観的にさえ思ってみたり、やがて日本にもこんなクルマが出来るのだろう、などと思ってみたり、複雑ですが楽しい気分だったのをこのカタログを見ると思い出します。

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 しかし昭和45年頃スペシャルティーカーとして出現したセリカに乗って、ああこれがニッポンのスペシャルティー・コンパクトカーだとつくづく思わされてがっかりするやら逆に、これで()いいのだ、と嬉しさもこみ上げてきたり、これまた複雑な思いでした。

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posted by 健太朗 at 16:12| 京都 ☔| Comment(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

小坊主のフォルクスワーゲン

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  最近、フォルクスワーゲンの排ガス不正問題が取りざたされていますが、そんなことを夢にも思わなかったムカシの話です。 

 親しみを込めて私が、小坊主、と呼んでいる幼なじみのO君、今では立派な、老僧、です、彼のお父さんは私にスバル360を譲ってくれた、あの和尚さんです。 

 和尚さんがスバル360を選ばれたのは息子の小坊主の意見を取り入れてのことです、そう、小坊主は幼い頃から私と同じ自動車大好き少年で、中でもフォルクスワーゲンの大ファンでした。 

 でも、フォルクスワーゲンは買えないからカブトムシではなくテントウムシのスバル360を和尚さんに勧めた、ということなのです。

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 ちなみに、ドイツではケーファー(Käfer =カブトムシカブトムシ)と呼ばれていたそうですが、日本ではフォルクスワーゲンをビートルと呼んだのは最近のことで、フォルクスワーゲン・タイプ1、またはフォルクスワーゲン1200でした。

 今で言う初代ビートルが現役の頃は、ほとんどビートルと呼ぶ人はありませんでした、もちろんそういう愛称があると言うことは承知の上で、です。 

 もうひとつ、Wagenはドイツではヴァーゲンと発音するそうですが、日本ではヴァーゲンは安売りのイメージがありますのでワーゲンと読ませた、というハナシもあります。

 

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 さて、自動車大好き小坊主の愛車遍歴をここで言うと長くなるので、中略、ということで。

 昭和50年のある日、私の家にやってきた彼は開口一番、「フォルクスワーゲン、買うたよ。」
      

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 私が驚いたのも当然のこと、いくらVWが外国車の中では一番お安いクラスだといっても、やっぱり高価なクルマです、私はというとまだ4年落ちのコンソルテをこつこつと整備しながら乗っていた時代ですから、中古車でも探してきたのかと思ったら新車だというので二度びっくりです。

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 自動車大好き少年はこのくらい頑張らなくっちゃ、と思わされたものでした。

 さて、フォルクスワーゲン・タイプ1は彼のヒトラーが提唱した(フォルクスワーゲン=国民車)計画に沿ってフェルディナント・ポルシェが設計したリアエンジン小型車KdF-Wagen(喜びを通じて力を得るの車・ヒトラー命名)を元に1938年フォルクスワーゲン製造会社によって製造され、以来2003年まで半世紀以上も生産され、世界最多の2150万台余りも生産された名車中の名車です、その名車にたとえ一時期でもかかわってドライブできたことは私にとって幸せなことだと思います。

 そう言えばスバル360も運輸省の国民車構想に沿って創られた車でしたね。

 ここに紹介する画像は、昭和43年のカタログ写真ですが、小坊主のフォルクスワーゲンはマイナーチェンジされた後期型1300でした、後期型ではストラット式サスペンションなど近代化されていますが、マイナーチェンジ直後はまだポルシェ式のトーションバー式トレーリングアームで、キャロルやスバル360で知っているのと似たような乗り味を体験できました。


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 しばらくして小坊主が結婚した時には、新婚旅行に出かける空港までの送迎役をかってでて彼の愛車で高速道路を運転し、新郎新婦を送り出した後、帰路は遠回りしてドライブしました。

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 印象に残っているのはあの堅いシートです、当時の国産車の多くはふわふわシートですから、あの堅いシートは街中ではけっして良い印象ではなかったのですが、長時間乗っていても疲れないし、おしりが痛くなるようなことがなく、その日の半日ですっかり見直したのです。

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 また、1300ccのエンジンは国産のそれより確かに力強く、サスペンションもスバルやキャロルのような、ふにゃふにゃ感がなく、実に素晴らしいと思ったものでした。


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 しかしその後、私の自動車屋に持ち込まれたフォルクスワーゲンはジェネレータを回すためのファンベルト・プーリーが破壊されていました、これはジェネレーターと同時に大きなファンを回しており、空冷エンジンの致命傷となるものです。 

 聞けば、これがフォルクスワーゲンの弱点だ、ということでした。

 当時、鉄鋼は西ドイツが優れていると言われていたものですから、これはいかにと思わされたものです。

 思えばこれが私の、ドイツ車アレルギーの始まりだったのかもしれません。

 


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posted by 健太朗 at 17:16| Comment(3) | TrackBack(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

ミニ・アニバーサリーエディション

  それこそもう何十年ぶりにミニを運転する機会を得た。

 

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 重いハンドル、重いクラッチ、立ち上がったハンドル、小さいフロントウインドウ、平板ガラスのサイドウインドウ、とにかく今の国産車に慣れた感覚には違和感だらけだ。
 走ってみると相変わらずタックインが強い、すぐに慣れてしまうが高速になると心配だ。

 

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 軽自動車の下取りとして入庫したクルマで1996年の誕生40周年記念の「クーパー 40th アニバーサリー・リミテッド」、マニア向けのショップに引取られることになった。
 どうやらポールスミス仕様のようで、ライムグリーンの塗装に同色で皮革製のシートとハンドル、それにシフトノブはちょっと小粋だ。

 

 だがそのシートを座面ごと持ち上げて後席にもぐりこむのはちょっと大変だ、危険さえ感じる。
 それでも後席に座ると柔らかいシートでおしりは心地よいが、膝と頭がつかえて身動きがとれない。これは確実にスバル360より狭い。


 その昔日本でミニを作る計画があったらしいが、そうなるとミニの日本での立場もずいぶん違うものになっていただろう。

 

 あらためてこのクルマを眺めてみると、ボタン式のドアハンドルや回転式のトランクハンドル、下ヒンジのトランクに12吋の小さいタイヤなど「違和感」は書き上げればきりがない、スイッチ類などはどこに何があるのか探し出すのに時間がかかる。

 

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 しかしこの「違和感」こそがこのクルマの魅力なのだ。
 それが単なるノスタルジックなのかどうなんだか。

 だがメカニックとしてこのクルマにさわりたいなどとは決して思わない。
 ボンネットを開けると狭いエンジンルームにトランスミッションが一体になった大きな1.3リッターエンジンだけでも窮屈なのに、クーラーもちゃんと付いてるし大きなブレーキブーストもしっかり収まっている。

 

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 その上弁当箱のようなECUつまりコンピュータも押し込んである、と言うことはキャブレターではなく燃料噴射なのだ。
 とにかく指の入る隙間もなくおせち料理のようにぎっしり詰まったこの箱を突っつこうとは思わないのだ。

  これに1959年から2000年まで40年以上も付き合ったメカニックがいるとしたら尊敬に値する。
 以前かかわった1960年代のセンターメーターのマークⅠはもっと普通だったような気がするのだが、あの頃エンジンオイルを交換したら13リッターも入って驚いたことを覚えている。

 

 今回はこれを整備することにはならなかったが、こんなクラシックなクルマがつい数年前まで生産されていたなんて、これは凄いことに違いない。

posted by 健太朗 at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする