2019年11月02日

セクシーなMG-A

 MG-Aは、Tシリーズ(TAミジェット~TF)の後継車として1957年(昭和32年)に登場しました。

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'59MG-A1600カタログより

 フロントはダブルウィッシュボーン独立懸架サスペンション、リアはリーフスプリングリジットアクスル、そしてラックアンドピニオンステアリング、を採用したラダーフレームシャシーにBMCのB型1489cc直列4気筒79.5馬力OHVエンジンを搭載し、それまでのT型ミジェットの1930年代のスタイルとはまったく違った、つまりエンジンカバーと翼型フェンダーを一体にした流麗なデザインのボディを載せた2座レースカースタイルのロードスターといったクルマです。

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 ボディデザイン、というより車体構造の変化は自動車の歴史になかでの大きな変革の一つと言えるのではないかと思います。

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 しかし現代の乗用車のようなモノコックボディではなく、TAからTFミジェットを発展させたラダーフレームに、エンジンやアクスルなどを架装し、空力設計を考慮した金属製のボディを載せたもので、この後現代までの歴史と変革を思うと、やっと青年時代に達してまだ未成熟故の魅力を感じずにはいられません。

 私はこのクルマに乗ったことはありませんが、青年時代に初めてMG-Aを見たとき、セクシーだと感じたのは翼型のフェンダーのイメージを残した全体に丸みを帯びたデザインがどこか動物の自然な形を感じたからだと思います。

 このセクシーなMGは1年目に13,394台、2年目には16,467台を販売し、マイナーチェンジして1600ccに換装されます、そして1962年までに101,081台が製造される人気モデルとなりその多くはアメリカと世界中に輸出されました。

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 また高性能モデルとして1958年から1960年まで生産されたMG-Aツインカムは108馬力のDOHCエンジンと4輪ディスクブレーキを搭載していました。

 でもこのモデルは、クーペもそうですがおそらく日本には輸入されていないと思いますので現車を見た人は少ないと思います。

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 MG-Aにはプロトタイプがあるといいます、1955年EX182と言うクルマがルマン24時間レースに出場したということですが成績は解っていません。

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 写真はTripple 9というメーカーのモデルカーです、商品説明には、

 1955年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1955)は、23回目のル・マン24時間レース、またスポーツカー世界選手権第4戦として、1955年6月11日から6月12日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。 23回目となるこの大会では接触事故でメルセデス・ベンツ・300SLRが爆発炎上し、ドライバーのピエール・ルヴェーと観客83名が死亡するというモータースポーツ史上最悪の惨事が発生した。 
 モデルカーは、その大会に参戦したMG EX182。

 と書かれています。











posted by 健太朗 at 21:05| 京都 ☁| Comment(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月13日

憧れのMG

 今回は、私にとって憧れの車、夢のクルマ、MGを話題にをしましょう。

 私とMGとの関わりはなんと言っても「月曜日の男」です。

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MG-TD ミジェット


 これは昭和36年から昭和39年までTBSで放送された、待田京介主演の探偵ドラマで、推理作家の持統院丈太郎、通称:JJが精悍なマスクとキザな黒い帽子を阿弥陀に被り、口もとを少し歪めたニヒルな微笑みを浮かべてMGTDに乗り、難事件を解決していく、という筋書きで最高視聴率は、昭和38年8月12日放送分の40.9%だったといいます。

 ちなみに水原弘が歌っていた主題歌は、次のURLで静止画と共に聞けます。

      https://www.youtube.com/watch?v=u54VbJB3Gjw

 当時中学生だった私はJJとMGにあこがれて、自動車雑誌でMG研究を始めたのが自動車大好き少年の「自由研究」のはじまりではなかったかと思います。

 次にMGに関わりを持ったのは、自動車屋に就職して3-4年もたった頃の昭和40年代中頃だったと思いますが、お得意先の化粧品会社の社長がオーナーのMGTDにほんの短距離ですが運転させてもらったのです。

 それは正にブリティッシュグリーンにキャメルのシートのきれいなクルマで、運転席の狭いことやその着座姿勢、足を伸ばしてもハンドルが近く、そのハンドルを抱えるようにして腕を曲げる、そして波形のダッシュボードとハンドルも近く、指先を伸ばすだけで操作できるホーンスイッチなどが強く印象に残っています。

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MG-TCミジェット


 そしてOHV4気筒のエンジン音がダットサンに似ていること、排気音が気持ちいいこと、意外にふんわりした乗り心地だったことなども印象の残って、私がイギリス車云々というときのベースになっています。

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MG-TFミジェット


 そして今度は京都岡崎公園で催された外車やスポーツカーを展示するミニモーターショ-、この頃はこのような世界のクルマを展示する小さな催しがちょくちょくありました。

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MG-A


 その会場で見たホンダS800と並んで展示してあったMG-A、ホンダに比べて遙かにセクシーなデザインに惚れ込んでうっとりしていましたね。


 MGというのはモーリスガレージの略だといいますから、モーリスの姉妹車もしくはモーリスの子会社のクルマだと見るときもありますが、歴史をたどってみますとどうやらモーリスモーターが創業したころ、MGは創業者の道楽のような個人所有企業の一つだったようです。

 その創業者というのはどちらもウィリアム・リチャード・モリス、後のナッフィールド卿です。

 オックスフォードガレージは自転車組立販売会社から自動車製造を行うようになり、モーリス社の設立以降はモーリスガレージ自動車会社の社名でモーリスのパーツを使ったスポーツカーを製造するようになりました、MGの呼称はその頃から徐々にブランド名になっていったようです。

 そして当然のようにモーリスモーターに併合された、ということのようですが、これらは1910年から1924年くらいに起こったことです、日本では明治の終わりから大正時代のことです。

 その後イギリスの自動車メーカーは統合を繰り返します、MGを統合したモーリスは戦中、ナッフィールドオーガニゼーションとなり兵器製造となりますが、戦後はナッフィールドとオースチンが合併して、モーリス、MG、オースチン、ウーズレー、ライレーなどのブランドを擁するBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)となり、BMCはBMH(ブリティッシュ・モーター・ホ-ルディングス)、BMLC、更にBL(ブリティッシュ・レイランド)となって各ブランドのスポーツカーを製造しました。

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MG-B


 そしてMGは、1980年MG-Bを最後にアビンドン工場を閉鎖、短い歴史に幕を下ろします。

 その後は、MGのブランドをローバーが引き継ぎますが、2005年、ローバーは中国系企業の南京汽車傘下となり、南京汽車は上海汽車の傘下となって現在に至ります。

 イギリスの名門、MGはいまや中国ブランドとなって、イギリス時代とは違って現代的なハッチバックセダンですが、MGの名前はいつまでも残してほしいものですね。







posted by 健太朗 at 16:19| 京都 ☀| Comment(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月17日

カタログコレクションから・フィアット2300

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 このカタログは昭和44年私の自動車屋でフィアット124スポルトクーペを販売した際、頂いたカタログで、私の記憶が正しければ販売店はマツダのディーラーの関連部門だったと思います。
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 フィアット2300は昭和34年から生産されていた中型セダンの発展最終型で、1500・1800・2100とグレードアップしてきました、おそらくこのカタログを手に入れた時点でイタリアではモデルチェンジされて、後継車のフィアット130になっていたはずですが、日本ではまだ普通に販売されていました。
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 デザインはピニンファリーナが手がけ、プジョー404やオースチンA55などによく似ています、またダイハツコンパーノの試作段階ではそっくりのデザインが東京モーターショーで発表されていました。

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 昭和30年代後半当時、まだ発展途上だった国産車のベンチマークにもなったようで、初代セドリックやプリンス・スカイラインなどはそんなことを感じさせます。

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 2300のエンジンは直列6気筒OHVクロスフロー、ウエーバー気化器で2279cc117馬力を発生し、0-400m加速18.3秒、最高速度160km/h、後半にはサキソマット(自動クラッチ)やボルグワーナー製自動変速機も設定されました。

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 私もほんの少しだけ試乗した経験がありますが、運転席に座ると内装の材質などでエキゾチックを感じますが、走らせると左ハンドルであること以外はそれほど違和感がないように感じました、むしろクラウンなどより古さを感じ、少しだけの試乗では上記の性能を垣間見ることは出来なかったことを覚えています。
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 それでも価格が215万とお高く、当時のクラウンやセドリックが100万ちょっとでしたので、おおよそ国産車の倍ですから、これはもう高級車でした、というより外車はみな高級車の時代でした。

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 たしか昭和35年頃、三菱にノックダウンの計画があったという記事を読んだ記憶があるのですが詳しくは判りません。







posted by 健太朗 at 13:32| 京都 ☁| Comment(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする