憧れのMG

 今回は、私にとって憧れの車、夢のクルマ、MGを話題にをしましょう。

 私とMGとの関わりはなんと言っても「月曜日の男」です。

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MG-TD ミジェット


 これは昭和36年から昭和39年までTBSで放送された、待田京介主演の探偵ドラマで、推理作家の持統院丈太郎、通称:JJが精悍なマスクとキザな黒い帽子を阿弥陀に被り、口もとを少し歪めたニヒルな微笑みを浮かべてMGTDに乗り、難事件を解決していく、という筋書きで最高視聴率は、昭和38年8月12日放送分の40.9%だったといいます。

 ちなみに水原弘が歌っていた主題歌は、次のURLで静止画と共に聞けます。

      https://www.youtube.com/watch?v=u54VbJB3Gjw

 当時中学生だった私はJJとMGにあこがれて、自動車雑誌でMG研究を始めたのが自動車大好き少年の「自由研究」のはじまりではなかったかと思います。

 次にMGに関わりを持ったのは、自動車屋に就職して3-4年もたった頃の昭和40年代中頃だったと思いますが、お得意先の化粧品会社の社長がオーナーのMGTDにほんの短距離ですが運転させてもらったのです。

 それは正にブリティッシュグリーンにキャメルのシートのきれいなクルマで、運転席の狭いことやその着座姿勢、足を伸ばしてもハンドルが近く、そのハンドルを抱えるようにして腕を曲げる、そして波形のダッシュボードとハンドルも近く、指先を伸ばすだけで操作できるホーンスイッチなどが強く印象に残っています。

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MG-TCミジェット


 そしてOHV4気筒のエンジン音がダットサンに似ていること、排気音が気持ちいいこと、意外にふんわりした乗り心地だったことなども印象の残って、私がイギリス車云々というときのベースになっています。

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MG-TFミジェット


 そして今度は京都岡崎公園で催された外車やスポーツカーを展示するミニモーターショ-、この頃はこのような世界のクルマを展示する小さな催しがちょくちょくありました。

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MG-A


 その会場で見たホンダS800と並んで展示してあったMG-A、ホンダに比べて遙かにセクシーなデザインに惚れ込んでうっとりしていましたね。


 MGというのはモーリスガレージの略だといいますから、モーリスの姉妹車もしくはモーリスの子会社のクルマだと見るときもありますが、歴史をたどってみますとどうやらモーリスモーターが創業したころ、MGは創業者の道楽のような個人所有企業の一つだったようです。

 その創業者というのはどちらもウィリアム・リチャード・モリス、後のナッフィールド卿です。

 オックスフォードガレージは自転車組立販売会社から自動車製造を行うようになり、モーリス社の設立以降はモーリスガレージ自動車会社の社名でモーリスのパーツを使ったスポーツカーを製造するようになりました、MGの呼称はその頃から徐々にブランド名になっていったようです。

 そして当然のようにモーリスモーターに併合された、ということのようですが、これらは1910年から1924年くらいに起こったことです、日本では明治の終わりから大正時代のことです。

 その後イギリスの自動車メーカーは統合を繰り返します、MGを統合したモーリスは戦中、ナッフィールドオーガニゼーションとなり兵器製造となりますが、戦後はナッフィールドとオースチンが合併して、モーリス、MG、オースチン、ウーズレー、ライレーなどのブランドを擁するBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)となり、BMCはBMH(ブリティッシュ・モーター・ホ-ルディングス)、BMLC、更にBL(ブリティッシュ・レイランド)となって各ブランドのスポーツカーを製造しました。

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MG-B


 そしてMGは、1980年MG-Bを最後にアビンドン工場を閉鎖、短い歴史に幕を下ろします。

 その後は、MGのブランドをローバーが引き継ぎますが、2005年、ローバーは中国系企業の南京汽車傘下となり、南京汽車は上海汽車の傘下となって現在に至ります。

 イギリスの名門、MGはいまや中国ブランドとなって、イギリス時代とは違って現代的なハッチバックセダンですが、MGの名前はいつまでも残してほしいものですね。







posted by 健太朗 at 16:19京都 ☀Comment(0)外車の話

カタログコレクションから・フィアット2300

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 このカタログは昭和44年私の自動車屋でフィアット124スポルトクーペを販売した際、頂いたカタログで、私の記憶が正しければ販売店はマツダのディーラーの関連部門だったと思います。
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 フィアット2300は昭和34年から生産されていた中型セダンの発展最終型で、1500・1800・2100とグレードアップしてきました、おそらくこのカタログを手に入れた時点でイタリアではモデルチェンジされて、後継車のフィアット130になっていたはずですが、日本ではまだ普通に販売されていました。
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 デザインはピニンファリーナが手がけ、プジョー404やオースチンA55などによく似ています、またダイハツコンパーノの試作段階ではそっくりのデザインが東京モーターショーで発表されていました。

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 昭和30年代後半当時、まだ発展途上だった国産車のベンチマークにもなったようで、初代セドリックやプリンス・スカイラインなどはそんなことを感じさせます。

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 2300のエンジンは直列6気筒OHVクロスフロー、ウエーバー気化器で2279cc117馬力を発生し、0-400m加速18.3秒、最高速度160km/h、後半にはサキソマット(自動クラッチ)やボルグワーナー製自動変速機も設定されました。

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 私もほんの少しだけ試乗した経験がありますが、運転席に座ると内装の材質などでエキゾチックを感じますが、走らせると左ハンドルであること以外はそれほど違和感がないように感じました、むしろクラウンなどより古さを感じ、少しだけの試乗では上記の性能を垣間見ることは出来なかったことを覚えています。
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 それでも価格が215万とお高く、当時のクラウンやセドリックが100万ちょっとでしたので、おおよそ国産車の倍ですから、これはもう高級車でした、というより外車はみな高級車の時代でした。

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 たしか昭和35年頃、三菱にノックダウンの計画があったという記事を読んだ記憶があるのですが詳しくは判りません。







posted by 健太朗 at 13:32京都 ☁Comment(0)外車の話

コンコルソデレガンツァ京都 2018 その拾壱

 アルファ ロメオは2012年、ジュネーブ・モーターショーにコーチビルダー、トゥーリング・スーパーレッジェーラの作品として、ディスコ・ヴォランテ 2012、を出展しました。

 その名の通りこれは1952年に数台しか作られなかった、あの1900C52クーペ・ディスコ・ヴォランテをオマージュする作品です。

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 スーパーレッジェーラというのはカロッツェリア・トゥーリングが編み出した車体構造のことで、極細い鋼管で骨格を造り、薄い金属で覆って強いボディを作り上げるという方法です。

 トゥーリングは1930年代から1960年代にかけて、この工法を用いた優れた名車を沢山生み出しました、その中には1952年アルファ ロメオ6C1900を土台にしたアルファ ロメオ 1900 C52ディスコ・ヴォランテがあったわけです。

 スーパーレッジェーラ構造は、任意のデザインのボディを軽量に造れるというのが特長でありましたが、大量生産には対応できませんでした。

 1960年代には多くの自動車メーカーがモノコック構造のフレームを採用するようになると、もちろんメーカー自社工場で製造する事になりますから、カロッツェリア・トゥーリングは1966年操業停止を余儀なくされます。

 しかしトゥーリングの職人達はミラノ郊外のカロッツェリア・マラッツィに移りこの工法を守って名車を作り続けます。

 マラッツィとしてはトゥーリングとスーパーレッジェーラの商標をうけついで守り続けていたのでしたが2006年、ゼータ・ヨーロッパ・グループに継承され、トゥーリング・スーパーレッジェーラ社として復活します、新たに発表されたディスコ・ヴォランテ 2012は、この新生トゥーリング・スーパーレッジェーラ社による作品です。

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 ベースは2006年500台の限定で販売された、アルファ ロメオ8C コンペティツィオーネです、4,691ccV型8気筒マセラティ用のエンジンで、スペースフレーム・シャシーに、ミラノの職人達が手作業手叩きのアルミニウム製ボディを架装していますが、フロント・スポイラーやディフューザーには、部分的にカーボンファイバーも使用されているそうです。

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 ここでタイム! アルファロメオでは4Cまたは6Cや8Cといった名称が使われますが、このCはシリンダーのことで、つまり4気筒や8気筒というような意味です。

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 さて8Cディスコヴォランテはたった8台しか生産されなかったスペシャルカーで、そのうち3台が今回のコンコルソデレガンツァ京都 2018に展示されました、写真の手前、赤いクルマは8台に内最後に造られた1台で、ラスト・オブ・ライン C52 ヴィンテージエディション、の称号が与えられています。

 これらの名車を見ていて気がつくのはフロントフェンダーに描かれている四つ葉のクローバーマークです、これはクアッドリフォリオといってアルファロメオの高性能車にはこのマークをエンブレムとして付けていますが、C52と8Cの3台には直接描かれていました。

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 1923年タルガフローリオに出場したウーゴ・シボッチというドライバーが幸運を呼ぶシンボルとして付けていたもので、、あまりの強さに「四葉のクローバーの恐怖」と呼ばれたことが由来だそうです。

 ちなみにアルファロメオの新車、クアドリフォリオというクルマも展示してありました。


 そしてC52ディスコヴォランテをお手本にしてミッレミリアに参戦する為に開発したレース専用モデルがあります。

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 それがパナール・ジルコ・ディスコ・ヴォランテ・バイ・コッリ"ミッレミリア"です。

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 このクルマのプレートには「ミッレミリアなどのレースの勝つために車を開発していたパナールが、1952年に発表されたアルファロメオ ディスコ ヴォランテのデザインに惚れ込んで、カロッツェリア コッリ依頼しこのボディが完成された。」とあります。

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 あるサイトには、「アルファ ロメオの販売店、クレパルディ社がパナールのコンポーネンツを使用してカロッツェリア・コッリが製作させたワンオフレーサーである。」という記事がありました。

 この記事によると、ベースはパナールディナxと言うクルマ、戦後パナールの第一号モデルでアルミを多用したセミモノコックのユニークなデザインのボディに空冷水平対向2気筒エンジンを搭載したクルマです、ですからC52ディスコボランテの6気筒1900ccと2気筒760cc50馬力とは較べられませんし、デザインもちょっとフランス的なダサさがありますが、こちらは1952年から3年間、実際にミッレミリアに出場してクラス優勝を飾っています。

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 私たち現代のクルマを見慣れたものには、C52やパナールはともすれば異様なデザインに見えることもありますが、それをオマージュした現代のディスコボランテは、遊び心がある見とれるほど美しいクルマでした、これら新旧の名車はもしかしたらもう二度とこの目で見ることは出来ないかもしれないクルマたちです、それを柵さえない間近でみられ、さわることも出来たのですから本当に幸せでした。


posted by 健太朗 at 15:36京都 ☔Comment(0)外車の話