完成されたスバルの360・・・スバルR2

                    36006jpg
                      カタログより 

 スバル360は日本を代表する名車だ。


 リヤシートの後のホンの小さな隙間にコンパクトなエンジンを載せて、たった3メートルの車体に大人4人をゆったり座らせてしまう、昭和30年代の日本車のデザインとしては画期的なものだった。
 このすばらしいクルマは実に12年間に渡り、約39万2,000台が生産されたという。


 国産自動車の黎明期から、それこそ日進月歩で発達改良されていく時代に12年ものあいだ基本設計を変えずに生産されたことは快挙に値すると思う、どうだろう12年もモデルチェンジしなかった日本車は360のほかに多くはないだろう、この時代のクルマなら三菱デボネアがある。
 外国車ならフォルクスワーゲン・タイプ1(初代ビートル)、こちらは桁外れで65年間に2千万台を越えているが、これは国民性もあるから比べないほうがよい。

 富士重工がビートルを真似したかどうかはわからないが、12年もの間には、改良してもしきれない部分が出てくるのは仕方がない、例えばトランクスペースがない。ボンネット下の空間に大きく足を伸ばす着座姿勢。重量配分によるふわふわサスペンション。同じ理由で軽すぎるステアリング。最高速度は最終型で90km/h。
 これらを改良するには根本的に見直すしかなかったのだ。

          206
                  当時の愛車

 そこで登場したのがスバルR2だ。ホンダN360やフロンテに対抗せねばならない。
 小さいながらボンネット下にトランクルームが出来た。燃料タンクをリヤシート下にしてリヤシェルフも大きくなった。着座姿勢は普通になり、室内はより広くなった。サスペンションはリヤもトレーリングアームになってしっかりした乗り心地になった。そしてエンジンはシリンダにアルミをおごって、リードバルブも採用され飛躍的に良く廻るようになった、最高速度も115km/hとなって、まるで小型車に乗っているよう、と評されるようになった。

          204


 スバルR2は完成されたスバルの360なのだ。
 しかしそれでもやがてN360に追い越される結果となった。生まれるのが少しだけ遅かったのか、時代は前輪駆動全盛時代に流れて行くのだ。

          205


 昭和44年、私はR2発表展示会で試乗している、まだ全面開通していなかった葛野大路を時速60キロで走ってみて、これなら使える、と感じたことを覚えている。
 何しろ私が時以前乗っていた360は16馬力の横エッチ、時速60キロはほとんど最高速度だったのだ。

          201
                 カタログより

 そして46年から4年近く、この初期のR2のオーナーとなった。
 当時の軽乗用車としては、N360のようにせわしなくはなく、フロンテのように大食らいでもなく、フェローより力強く、何となくカローラの80点主義のごとく可もなく不可もない、移動の道具としてホントに使いやすい車だったから、友人に是非にと請われて譲るまで何の不満も感じないまま4年も乗ってしまったのだ。

          202


 以後私はファミリアやカローラなど、道具として使いやすい車ばかり乗っている、私だけではない、日本の乗用車はやがて白物家電化して行くのだ。心の奥深くにマニアックなエンスー魂を仕舞い込んでいることを忘れているわけではなかろうに。

         203

 

博物館のキャピスター

 今パソコンの画面から窓のほうに目を向けると少し透けたスクリーンカーテンの向こうがピンクに染まっている、細い道路を挟んで向かいの家の前庭の大きな花水木の花が満開で、カーテンを開けると窓いっぱいに、まるで絵画か写真のように見えている。


 この季節はどこへ行ってもいろいろな花が咲いて華やかな気分になるが、桜にしても花水木にしても華やかな時期はホンの一瞬に過ぎない、一瞬だからこそ華やかで美しいのかもしれない、そんな一瞬だけ華やかに美しく咲いたクルマがある。

 先日家内と能登方面を旅行したついでに北陸道は加賀ICで降りて日本自動車博物館に立ち寄った。いっぱい写真を撮ってこようと思っていたが、館内に入ると薄暗い、「現在、節電のため照明を落としております」とのアナウンスだ、まあええわ、と思ってシャッターを切ったが、暗いのでぶれた写真をたくさん撮ってきてしまった。

 そんな少ない写真の中から今回は一瞬だけ輝いたクルマを紹介する。

          Photo

 スバルキャピスターがそれだ。
 博物館の薄暗い隅っこにひっそりと居眠りをしているこのクルマは、知る人ぞ知る「公道を走れるレーシングカー」なのだ。


 しかしこのクルマがレースに出たという記録もコースで撮影された映像も写真も見たことはない、1989年第28回東京モーターショーのスバルのブースでたった2週間だけ輝いたクルマなのだ。
 しかしプレーステーション2のアウトモデリスタというレースゲームの中ではキャピスターの勇姿が見られるそうだ。

 エンジンはスバルがイタリヤのモトーリモデルニと共同で開発したF1用のエンジンをデチューンしたもので、スバルMM型、水冷水平対向12気筒、DOHC、3497㏄、585ps/10750rpm、39.2kg-m/10500rpmをミッドシップに搭載している。


 シャシは童夢が設計製作、またワコールがスポンサーとなって設立されたジオットが企画し、この美しいボディをデザインしている。
 何しろ前述のように公道を走れるF1マシーンを目指して造られたクルマだけに最高速は300km/h以上という。

          04

 しかしスバルはこのエンジンでF1の予選を通過できず撤退、ジオットの手で日産のV6エンジンやイギリスのエンジンメーカー、ジャッドのV10エンジンなどが検討されたが、結局たった2台だけ造られてイギリスからの輸入という形で運輸省の認可をとったもののバブル景気の崩壊ととものこの計画も中止となった。


 もしもこのクルマを販売したとしても1台1億円以上の値を付けて、なお赤字になっただろう、このバブル景気の時代には他のメーカーもこのような贅沢なクルマをこぞって試作した、一般の乗用車だってこの時代に設計され、90年代に販売されたクルマは贅沢な作りになっている、しかし技術的には一弾の進歩があったといわれている。

 現在もこの日本自動車博物館に1台と、童夢の倉庫に一台眠っているという。

 

          02

 

          03

 

 

個性的なスバル1000

19661000

                        スバル1000、ボンネットが低い。


水平対向エンジンは全長を短くできることと重心を低くできることがメリットだ、別名を180°V型エンジンとも言う、V型エンジンは主に60°90°などがあるがこれの延長線上の呼称である、但し、この180°V型といわゆるボクサーエンジンとは少し違うものだ。

 

ボクサーエンジンがクランクピンを180°ずらしている、つまり左右のピストンが同時に上死点を通過する構造なのに対してV型は左右のコンロッドを一本のクランクピンにつないでいる、右バンクのピストンが上死点にある時、左バンクのピストンは下死点にある、というあくまでV型エンジンと同じ作りなのだ。

だがこれは主に振動などの問題で12気筒でないと成立しないらしく、市販車ではフェラーリの12気筒くらいしか見あたらない。

スバルも過去にF1180°V型12気筒を供給したことがあるらしいのだが、主に冷却などの不具合があってシーズン途中で撤退したと言うことだ。

 

スバル1000のエンジンはボクサーエンジンなのだが、4サイクルエンジンは2回転に1回爆発する、ボクサーの場合ピストンが対抗しているので左右に振動し、ピストンは前後にずれているのだから全体としてはねじり現象が起こってしまう、非常に難しいエンジンなのだ。

古いBMWのオートバイではこのねじれ現象が体感できる。

 

19661000_2

スバル1000のエンジン、キャブレターやディストリビュータが付いている。

左がサブラジエター、エンジンに冷却ファンはない。

 

スバルの水平対向エンジンはこの難しさをみごとに克服している。いや、克服しているとは言いにくい、あの独特の振動、不揃いの排気音、しかしこれこそがこのエンジンの魅力なのだ。

今の技術をもってすれば、現にレガシーやインプレッサに乗ると振動もないし音も普通に聞こえる、だがスポーツタイプなどにこの「不揃い」を少し残しているあたりが粋な計らいなのだなと思う。

 

スバル1000の個性は単に水平対向ボクサーエンジンだけではなく、当時の国産乗用車の中にあって、これほど個性的なクルマは他になく、今でも十分個性的なレガシーやインプレッサの比ではない。

ボンネットの低い、当時のサーブのようなデザインはもちろん個性的だし、全くフラットな床と広い室内も魅力だが、なにしろスバル1000は日本で初めて前輪駆動車の量産に成功したクルマなのだ。

当時はまだ前輪駆動車は「げてもの」扱いされたものだが、東洋ベアリングの等速ジョイントのおかげで前輪駆動車に市民権を与えるきっかけとなり、その後この等速ジョイントこそ世界中に前輪駆動車を普及させたパーツのひとつとなったのである。

ちなみに「FF」(フロントエンジン・フロントドライブ)というのは当時の富士重工が創った言葉なのだ。

 

さてスバルはこの前輪駆動の特性を生かし、バネ下荷重を軽減させ走行性能を上げる為に前ブレーキをインボードタイプにした。

普通、ブレーキはタイヤのすぐ裏にあるものだが、このクルマの場合はドライブシャフトの内側、デフ側にある、従ってドラムブレーキの場合、整備をするのにドライブシャフトをはずしてからでないと整備が出来ないという煩わしさがあった。

まだ新米のメカニックだった私も、このブレーキのシュー交換などにはかなり苦心したものだ、なにしろ下から潜った状態であの堅いスプリングをはずしたりするのだからなかなかやっかいだ。

しかしスバル1000のコーナリングの良さは私も友人のFF11300Gでしっかりと体験させられている。他の前輪駆動車にないシャープな切れを示すハンドリングも魅力だった。

 

今や前輪駆動の全盛時代となったが、スバル1000はイギリスのMINIと並んで、チェリーやコルサなどのお手本となり、アルファロメオやフィアットにも影響を与えたという、現在のすべての前輪駆動車のベースになったと言っても過言ではない。

 

レガシーやインプレッサのユーザーがマニアックと言われることがあるそうだが、そのルーツ、名車スバル1000に乗ってみたいとは思いませんか。