2019年01月06日

銀行マンのベレット・ジェミニ

 あれは昭和50年代のあるとき、私の自動車屋に非常にお調子者のセールスマンが飛び込みでやってきました、それは近くに開店予定の信用金庫支店の準備係だと言うことでしたが、私のように人を見る目ということには自信がないものでも、こいつはやり手だ、と感じるほどの人物でした。

 それからしばらく、彼はご近所中を巡りめぐって驚くほど沢山の口座を契約し、支店が開店する頃にはうどん屋のおじさんも、電気店の社長も、薬屋の店主もお得意様になっていました。

 私の自動車屋ももちろんその内の一軒です、そしてその後私たちのメインバンクになって行きました。

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 またそのセールスマン氏は自動車屋のお得意様にもなってくれました、彼の愛車が今回のお話、ジェミニです。

 ジェミニは日本の自動車メーカーと外国メーカーとの業務提携から生まれた、そして国際商品として最も成功した例といえるクルマでしょう、日本とオーストラリアで’75カーオブザイヤーを受賞しています。

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ジェミニ

 昭和38年デビューのベレットは私など実に素晴らしいクルマだと思うのです、特に初期型の簡潔なデザインとヒルマン譲りの柔軟なエンジンが好きで初めて車を買うときにずいぶん中古車を探したものですが、初期型の良いものが見つからなかったのでコロナになったのです。

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カデット

 しかし40年代後半になると飽きられてきたのか醜いマイナーチェンジをくる返すようになります、でもモデルチェンジをする力がなかったのでしょうか、当時いすゞはGMと提携していてドイツのオペル・カデットをベースに手を加えて新型とします。

 GMの方ではカデットをTカーとして世界戦略車と位置づけ、シボレー、ポンティアック、セハン、デーヴ(韓国)などの姉妹車を販売していましたし、そしていすゞジェミニはホールデンにも供給されました。

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シェベット

 Tカーの思想は同じ車台から各国の国情にあったクルマを各地で作るということですから、いすゞジェミニも大部分が日本製であったと思われます、ですからカデットをベースにしながらも日本的な豪華さを演出しています、とは言え、現代のごてごてした豪華さとはひと味もふた味も違う簡潔なデザインで欧州の雰囲気を持っています。

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ジェミニクーペ
  ジェミニという車名は英語で「ふたご座」の意味します、もちろんこれはカデットとの関係を表現しています、そしてベレットの後継車であることで昭和50年まではベレット・ジェミニと名乗っていました。
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 ベレットより少し大きな、現代で言えばアクアよりほんの少し小さい車体に、ベレットのつまりヒルマンの子孫であるOHV1600cc68馬力エンジンを載せていますが後に1800ccSOHCが主流になりました。

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 くだんの銀行マンのジェミニはセダン1600でしたが、実によくはしる印象でした、ドイツの堅牢なボディシャシにイギリスの柔軟なエンジン、ここから日本式の答えを出したというイメージです。

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ジェミニ
 癖と言えばリアの3リンク式サスペンション、発進時にホンダスポーツ500のように、ほんの少しボディを持ち上げるのです、この感触が懐かしく今でももう一度乗ってみたいクルマの1台です。











posted by 健太朗 at 22:02| 京都 ☀| Comment(0) | いすゞの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月10日

こんなクルマ知ってるかい? ステーツマン・デ・ビル

 最近友達から「このクルマ、どこのクルマか知ってるかい?」と数枚の写真を見せられました。

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「うーん、ロードペーサーやないし、でも右ハンドルやしアメ車やない、でもイギリスらしくないから、オーストラリアのクルマかな?」

「ぶっぶー!いすゞのクルマ」だと言うのです。

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 確かにトランクリッドにはいすゞのマークがあります、でもまさかいすゞが作ったクルマには見えません。

 やっぱり私の知らないクルマがまだまだあるのだ、と思って調べること3週間、私のささやかな書庫を漁ってやっと見つけました、よく似たクルマを。

 オーストラリアのホールデンです、1973年(昭和48年)の雑誌にこんな写真があります。

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 ステーツマン・デ・ビルです、インターネットでいすゞの歴史を検索しても判りませんでしたが、いすゞステーツマンデビルで検索するとWikipediaにちゃんとありました。

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 昭和40年台後半、日本は高度成長期の真っ只中、私の月給も毎年驚くほど上がった時代です、トヨタセンチュリー、日産プレジデントというような最上級の乗用車に、それほど生産能力のないメーカーでもあこがれたに違いありません、なにしろクルマは飛ぶように売れた時代ですから。

 マツダはロードペーサーというクルマを出しました、これはオーストラリアのホールデン・プレミアのボディ・シャシにロータリーエンジンを載せたクルマです。

 また三菱はミツビシ・クライスラーシリ-ズとしてセダンのヴァリアントとチャージャーというクーペタイプを輸入しました。

 そしていすゞは通産省の自動車業界再編計画に対抗し、伊藤忠商事の仲介により、アメリカのGMと資本提携を締結、体質強化を図るべくオペルカデットをベースにジェミニを開発しますが、この計画と並行する形でホールデン・ステーツマン・デ・ビルを導入、高級車としていすゞブランドで販売しています。

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 マツダは得意のロータリーエンジンを載せていますが三菱といすゞは輸入したほぼそのままで販売しているようです、違うのは日本の道路運送車両法保安基準に適合するための改造、例えばフェンダーミラーやウインカーなど、そしてエンブレムです。

 ですから販売台数もマツダ799台に対して三菱240台、そしてステーツマン・デビルは244台と僅かです、私が知らなかったのもむべなるかな、と思ってください。

 でもイメージキャラクターがジャック・ニクラウスだったというのですから、知らないなんておかしいと言われるかもしれませんね。

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 さていすゞステーツマン・デビルのスペックです。

 全長5030mm 全幅1880mm 全高1430mm車重1540kgですからほぼセンチュリー・プレジデントのクラスです。

 エンジンは5.0L V型8気筒 OHV 240馬力でATは3速。価格は348万円でした。

 デ・ビルが付くモデルはキャデラックにもありますが豪華グレードですいすゞステーツマン・デ・ビルはその名が示す通り、当時としてはかなり豪華な仕様だったようです。

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posted by 健太朗 at 14:03| 京都 ☁| Comment(0) | いすゞの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

いすゞ117スポーツ

   いすゞ117クーペというクルマはご存知でしょうが、このクルマが初めて登場したのは昭和41年春のジュネーブショーで、その名をギア・ベレット・クーペといいました。

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  いすゞがイタリアのカロッツェリア、ギアにベレットのスポーツタイプのデザインを発注したのが事の始まりのようです。

  この時、ギアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロがこの美しいクーペのデザインを担当しましたがギアの別のチームは同じ117のコード名で4ドアセダンを設計していました、これはフローリアンの名前で販売された6ライト(サイドウインドが6つに分かれている)の端正なデザインのセダンです。

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   さて、ギア・ベレット・クーペはその年の第13回東京モーターショーでいすゞ117スポーツという名で国内デビューを果しましたが、一般の目には、これはあくまでショーカーであり現実には発売されないもの、と思われていました、およそショーカーやコンセプトカーというのはデザインなどを優先して見せているもので、実際に生産モデルになった時にはショーカーの美しいデザインが生産コストや居住性のために少なからず失われてしまうことが多いのですが、そこはいすゞの技術の素晴らしいところで、というよりコストを無視して手造りで作ってしまったものですから注目を浴びるのも当然というところでしょう。

 

   昭和43年12月にいすゞ117クーペに改名して発売された時には172万円の値札が付けられていました、当時のクラウン・スーパーデラックスが112万、トヨタ1600GTが100万円、同じ2ドアクーペのシルビアも119万1千円ですからいかに高価なクルマであったかわかって頂けるでしょう。

 

 ちょっと横道にそれますが、ジョルジェット・ジウジアーロというデザイナーですが、美術学生の時にベルトーネに見いだされ、のちにギアに移籍、そしてイタルデザインを設立してクルマ以外にもデザインの幅を広げる、という生粋のイタリアンデザイナーですが、日本でも有名で、例えばマツダの初代ルーチェに始まって、117クーペの他にピアッツァやジェミニ、フロンテ・クーペ、アルシオーネ、スターレット、アリスト、80系カローラや初代ギャランなど数えればきりがない程の日本車を手掛けていますし、ムーブ、キャリー、ハイゼットなどの商業車にもかかわっています。

 また、外国車で有名なものにはマセラティやVWゴルフ、そしてあのバック・ツー、ザ、フィーチャーのデロリアンもそうですし、アルファ・スッドはあのボクサーエンジンを載せてスバル1000をベースにデザインされたことは私のようなくたびれたカーマニアの間ではよくささやかれた話です。

 

   さて、117クーペは先に発売されたフローリアンのダブルウイッシュボーンとリジットアクスルのベーシックな車台に125mmも低い全高1320mmのボディを載せ、ベレットの1600ccエンジンをDOHCにして積んだもので、ソレックスツインチョーク・ツインキャブレターによって120馬力を発揮したものですがのちに130馬力の電子制御燃料噴射も追加されています。

   そしてその後、1800ccや2リッターディーゼルも追加して、生産効率を上げるため、プレスを開発して機械生産に移行しましたが、ハンドメイドのイメージを落として酷評されました。

    

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  私の自動車屋でも販売しました、当時勢いがあった室町の呉服問屋の重役で、現金で決済されたことを覚えています。

   私の印象では、いすゞのそれまでのヒルマンに始まるイギリス風の味付け、つまりふんわりと柔らかな乗り心地からドイツ風の硬くてしっかりした、乗り心地に限らずすべてがそんな味付けだと感じました。

   ある時、エンジンの調子が悪いというので診せてもらったらエンジンルームを掃除するためのウエスがエアークリーナに吸い込んで詰まった状態になっていました、ムカシはこんな高級車に限らずエンジンルームまで丁寧に磨いていた人も多かったですね。

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posted by 健太朗 at 17:20| Comment(2) | TrackBack(0) | いすゞの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする