2016年09月05日

機械遺産 その4

 7月25日、一般社団法人・日本機械学会からスバル360が機械遺産に認定されたと言うニュースが入ってきました。

 そこで歴代の機械遺産、中でも自動車関連についてちょっと調べてみようと思います。

 今回は平成21年認定のアロー号です。

 

 大正5年と言いますから今からちょうど100年前、1916年、矢野倖一と言う人が創ったクルマです。

 これがなんと福岡市博物館に動態保存されていると言うから驚きです、もちろんこれは国産乗用車として走行可能なクルマでは最古と言われています。

 矢野倖一は工業高校4年生のときに村上義太郎という資産家にド・ディオン・ブートンというクルマの修理を依頼されます、ド・ディオン・ブートンは日本でもプリンス・グロリアなどの採用されたド・ディオン・アクスルで有名ですよね。

    
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 それまで飛行機模型に熱中して模型用エンジンを作ったりしていた矢野は、このことをきっかけに自動車の研究・設計を始めます、まず一人乗り3輪車リアエンジンのド・ディオン・ブートンを二人乗り4輪に改造します。

 その後、イギリスのオースチンを参考にして新たにFR方式、全長2.6m、ホイールベース1.8m、水冷4サイクル2気筒、排気量1000cc、10馬力のエンジンを積んだ4人乗りの幌型のクルマを完成させます。


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 エンジンは九州大学の岩岡教授の指導を受け、気化器はフランスのゼニス、点火プラグはボッシュのマグネト、車輪やタイヤはオートバイ用を使っていますが、それ以外はエンジン・足回りから車体・内装・布製の幌にいたるまですべてが国産品を用いて造られました。

 このクルマに矢野の矢からアロー号と名付けます、完成したのは、大正5年8月24日、矢野倖一24歳の時でした、計画から3年、製作費用は1224円75銭だったそうです。

 アロー号はしかし、1台だけ製作され、ナンバーも取得しましたが、公道での活躍はわずかに2年であったと言われています。

 現在、矢野特殊自動車という会社は矢野倖一を創業者として、冷蔵・冷凍車をはじめ、ウィング車、各種タンクローリ、車輌運搬車、航空機関連車輌等、様々な分野で活躍する特装車の総合メーカーです。

 機械学会では、後に彼が行う国産初の冷凍車開発における技術的な礎となった。その冷凍車開発がわが国の特殊自動車製造業という乗用車・トラック製造とは別の自動車産業分野の発展に繋がっていったことを考えると、アロー号はわが国の自動車産業史上、象徴的な存在であり、高度な機械の国産化とわが国の産業発展にかける当時のエンジニアの情熱を示す証しである。

 としています。

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2016年08月27日

機械遺産 その3

 先月25日、一般社団法人・日本機械学会からスバル360が機械遺産に認定されたと言うニュースが入ってきました。

 そこで歴代の機械遺産、中でも自動車関連についてちょっと調べてみようと思います。

 今回は平成22年認定のたま電気自動車です。


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 大正14年石川島造船所から石川島飛行機製作所ができました、練習機「赤とんぼ」などを生産していましたが。

 昭和11年大日本帝国陸軍の意向で立川飛行機株式会社と改称し、ロッキードの技術を習得して一式戦闘機「隼」の他、練習機や輸送機などの生産もしていました。

 そして戦後、立川製造所が連合軍に接収され事実上解雇された従業員の内、田中次郎技師ほか約200名が東京電気自動車を設立、ガソリンが不足していた大戦直後の昭和22年、ブリヂストンの創業者・石橋正二郎の協力を得て電気自動車を開発、会社所在地からたま号と命名し、社名もたま電気自動車工業としました。


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 オオタ号トラックのシャシに木骨鉄板張りのハッチバックセダンのボディを構築、日立製電動機は36V120A、蓄電池は40V162A、最高速度35km/h、1充電での走行距離65kmの性能でした。


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 その後昭和24年たまセニアを発売、1充電200kmとなりましたが、ガソリンの供給状況の好転と蓄電池材料の価格高騰により、一連の開発が中止されました。

 セニアには旧中島飛行機の富士精密工業の1500ccエンジンを積んで、後にこれがプリンスセダンとなります。


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 つまり富士精密工業の会長が石橋正二郎その人であり、富士精密と合併したたま自動車は昭和36年にはプリンス自動車となるのです。

 ちなみにプリンスは皇太子明仁親王(今上天皇)の立太子礼にちなんで付けられた名前です、さらにちなんで、ブリジストンはブリッジとストーンで石橋です。

 日産自動車のヘリテージ・コレクションには電気自動車たまが加わっています。

 平成22年、日産自動車がレストアしたものです、ただ単に走れるだけでなく、時代考証も考えて、例えば当時大量に使われていて、すでに製造が中止されているマイナスネジは新たに注文して造らせたとか、また木骨鉄板張りですからリヤシートは跳び箱のような木箱で出来ている、と言う話はヨーロッパのツアラーと呼ばれるステーションワゴンのようで印象的ですね。

 モーターの復元は当時、製作していた日立製作所で行われたそうです。

 この「たま電気自動車」のDNAは、この後、プレーリーEV、ハイパーミニ、そして日産リーフと着実に受け継がれています。とは日産自動車の弁です。

 また、日本機械学会は、この自動車は過去に一度放棄された技術も再び必要になることもあること、社会的な受容態勢がなければ一時のブームに終わることを示す重要な実物教材である。 現状は一部電気配線が更新されているものの基本構造は当時のままである。設計資料も多くのものが現存しており、わが国の自動車開発史を語る上でも貴重な遺産である。

 としています。

posted by 健太朗 at 16:10| Comment(2) | TrackBack(0) | くるまの雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

機械遺産 その2

  先月25日、一般社団法人・日本機械学会からスバル360が機械遺産に認定されたと言うニュースが入ってきました。

 そこで歴代の機械遺産、中でも自動車関連についてちょっと調べてみようと思います。

 今回は平成27年認定のミカサです、いや、そうではなく昭和32年にミカサに搭載された国内初のトルクコンバータ(流体変速機)です、このオートマチックトランスミッションは昭和26年、既に成功していた航空機やスクーターなどの技術を駆使して開発され、国鉄(JR)の防爆型ディーゼル機関車、集材機、フォークリフト、ショベルカー、ブルドーザーなどに活用されていました。

 
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 オカムラは自動車を開発するに当たってシトロエン2CVを研究して強制空冷水平対向2気筒586ccを開発し、トルクコンバータと二段変速機を組み合わせた自動変速機(OKドライブ)を一体化、前輪駆動とし、完成したセダン型自動車第1号車を「ミカサ」と命名、昭和32年日比谷公園で行われた第4回全日本自動車ショウに出展、「恐らく世界最小のトルクコンバータ装着車」と報じられたと言います。


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 このOKドライブは性能が評価され、後のマツダR360クーペやコニーグッピーにも採用されました。

 

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 余談ですが、パブリカもシトロエン2CVを手本に開発されましたがこちらはジョイントの耐久性不足を嫌って後輪駆動でベストセラーとなりました。

 ミカサツーリングとそのパワーユニットは、東京赤坂のオカムラいすの博物館に展示されています、そしてその保存状態などから機械遺産Collection(保存・収集された機械)での認定となりました。

 岡村製作所は昭和20年、航空機製造の技術者を中心に設立、まず家具の生産からスタートし軌道に乗ると、次に国内初のトルクコンバータの開発に成功。このトルクコンバータを搭載した国内初のFFオートマチック車「ミカサ」が昭和32年、第4回全日本モーターショーで発表しました。


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 さてミカサは量産を計画されていましたが、今回このblogの写真もお借りした岡村製作所のホームページには、「自動車の研究開発から製造と販売にかかる莫大な資金回収の問題は解消しきれず、1960年春、「ミカサ生産打ち切り」の経営判断が下されました。苦渋の選択、涙を飲んでの生産中止でしたが、当時は世間から「勇気ある撤退」と評されました。」とありますが、一説には当時ある大メーカーと同じ主力銀行からの圧力で量産が実現できなかったといいます、その話を聞くとこの文章に悔しさを感じるのは私だけでしょうか、その後のプリンス自動車の合併劇もありますから・・・。

 

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posted by 健太朗 at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | くるまの雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする