2014年07月06日

フロンテ・クーペ

  昭和46年秋、実に夢のあるクーペが発売されました、スズキ・フロンテ・クーペです。

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  今でもそうかもしれませんが、360時代の軽自動車は実用性と経済性がより強く求められ、3m×1.2mの小さなボディに、しっかり4人が乗れてしかも荷物室も大きく更に40数万円で買える、というセオリーが求められていました。

  それはスポーツタイプでも同じで、ホンダZやMAXハードトップでも、またマツダR360クーペにも狭いながらもちゃんとリアシートがありました。

  ところがスズキはフロンテクーペでこれらの不文律をかなぐり捨てて二人乗りに徹したのです、これによって軽自動車には珍しく夢あふれるクーペが誕生したのです。
          

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  そのデザインは、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロの作品だといわれましたが、実際はちょっと違うようです、スズキがジウジアーロから買ったのはミニバンのようなスタイルの4ドア車のデザインだったのです。

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  余談ですがキャリー・バンL40もジウジアーロのデザインだというのですからスズキ自動車は2種類のバンのデザインをジウジアーロから買ったのでしょうか。

  いずれにしろそのうち1台のバンのデザインをスズキのデザイナーがスポーティーなクーペに仕立て直した、ということのようですからスズキのデザイナーの力もすごいものです。


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   決して派手なデザインではないのですが、ゴルフや後のデロリアンにも似ていて、今のコンピュータデザインのごてごて感も無く、しかしこの時代の、夢、をこの小さなボディにギュッと詰め込んだデザインだと思います。

 

  さて、フロンテクーペは当時のフロンテのバリエーションとしての位置づけですから、シャシもリアエンジンも同じですが形式呼称がフロンテのLC10に対してクーペはLC10Wとなって2サイクル3気筒エンジンは水冷化されました。
          

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   空冷式エンジンのあのバカみたいによく走るけどピーキーでぶん回すエンジンは幾分まろやかで扱いやすくなった印象ですが、39psという馬力は360㏄の軽自動車としては最大級でこれを超えるのはあの、どうしても調子が出なかったMAX・ssだけですから文字通り360時代の最高峰ということになります。

  足回りも基本的にフロンテと同じ前ウイッシュボン、後トレーリングアームですがちょっと硬められた分、旋回性能がよくなってキビキビ走る感じがします、私の記憶ではやはりフロンテと同じように中速でのピッチングが気になる印象が残っています。

       

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 スポーツカーというのは、やたら高性能で扱いにくいものよりも心情的にスポーティーで運転して楽しいクルマがいいと思っています、その点でもフロンテクーペはバランスがとれたいいクルマだったなと思います。

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2011年10月30日

FFのフロンテ・RRのフロンテ

 フロンテというクルマは昭和のクルマだったのだ。


 あれはたった7日間の昭和64年が終わったとき、物品税が廃止され、軽ボンネットバンのメリットがなくなって、フロンテはアルトと名を変えた。
 最初のフロンテはスズライトから派生したモデルで、つまりライトバンから乗用モデルフロンテが出来た、次に5代目フロンテからアルトが出来た、そして7代目で乗用車フロンテは商用車アルトに吸収されて、乗用車も商用車もアルトと名乗るようになった、というわけだ。

 スズライトは日本最初の軽自動車であり(道路運送車両法)、同時にスズキ最初の軽乗用車でドイツのロイトというミニカーを参考に、というよりロイトにそっくりなクルマだった。もっともロイトなんてクルマは写真でしか見たことないが・・・、昭和30年のことだ。
 私が中学生の頃、先生がこの初代スズラストに乗って通勤されていた、窓が小さくて先生の頭だけしか見えなかったことを覚えている。

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 2代目スズライトはライトバンだけのTL型、初めての出張修理、で話題にしているクルマだ。
 そして昭和62年、このTLからTLA型フロンテが誕生する、リヤの横開きテールドアをダットサンのようなトランクにして3ボックスにしている。
 明くる年エンジンとドライブシャフト・ジョイントを改良したフロンテはスズライトバンTLとは打って変わったすばらしい走りを見せるようになり、折しも鈴鹿サーキットで行われた第1回日本グランプリレースに出場、コーナーでは前輪駆動特有の三輪走行を見せながらライバル・スバル360を押さえてワンツーフィニッシュを決めた。

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 さてここまでの3モデルはすべて前輪駆動だ、フロントエンジンフロントドライブだからフロンテだ、と思っていたら2代目フロンテがリヤエンジンになったのだから面食らった。なんとスズキさんはフロンティア精神だとのたまうのだ。

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 そこで思い出すのは初代フロンテが発売された直後の第8回東京モーターショーに、スズライトスポーツ360なるものが出展されていた。これがリヤエンジンなのだ。
 2代目フロンテより古くさくて試作車然としているが、なかなかいい顔をしているのが印象的だ、エンジンはTLの2サイクル強制空冷並列2気筒の圧縮比を上げて25馬力を引き出している、そしてサスペンションはオールトレーリングアームにストラットのようなバネとダンパーを組み合わせたものを使っていると言うから、2代目フロンテの3気筒エンジン、ダブルウィッシュボーン・セミトレーリングアームとはちょっと違うが、リヤエンジン軽乗用車の開発がこのときすでに始まっていたことを示している。

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 さてリヤエンジンの2代目フロンテは、すごい走りの∬の人気が高い、ダイハツの販売店に勤めていた友人がこのフロンテ∬に乗っていて、私はというとダイハツフェローに乗っていて、なんだか悔しい思いをした一時期があった。120㏄コレダのエンジンを3つつないだという噂もあったが、なるほどカバーを開けるとバイクと同じようなフインを切ったシリンダが現れ、しかもバイクのキャブレターが1シリンダに1つづつ着いている、ただしすごい走りと引き替えにちょこっと大食らいと排ガス対策に弱い一面があった。

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 車検時に排気ガステストに合格させるためには思いっきり燃料を絞る必要があって、そしてその状態ではまともに走らない、車検が終わればすぐ元に戻す。試験管だってそんなことは百も承知のはず、よくまぁこんなことで国の車検でございと通るものだ、と思った。

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 しかしこのすばらしい走りのリヤエンジンフロンテからあのフロンテクーペが出来たのだ、あの天才デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロがイタルデザインを設立した最も脂ののった時代の作品で、そのすばらしいデザインとたった360㏄で排ガスなんて何のそのの高性能を両立させた、こんなすごい軽スポーツカーはもう二度と現れないだろう。

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posted by 健太朗 at 18:02| Comment(6) | TrackBack(0) | スズキの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月29日

国産外車・フロンテ800

 スズキのスプラッシュというクルマはハンガリー製だとか、何でもシートもスプリングも堅く、ちまたの日本車とはひと味違うらしい。


   スズキにはその発展途上でそこいらの国産車とはひと味もふた味も違うクルマがあった。

 

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 フロンテ800である。


 

 

 

 

 

 

 

 当時の国産車の中にあっておよそ日本人がデザインしたとは思えないほど垢抜けしたクルマで、「国産外車」とあだ名されることもあった。
 事実、ミケロッティのデザインではないかと噂されたこともあったが、本当はスズキの社内デザインだったそうだ。

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 当時のスズキ自動車はフロンテやキャリーの成功で高度成長のまっただ中にあり、それらの軽自動車の技術を小型車に生かして設計されたのがフロンテ800だ、水冷2サイクル3気筒785ccエンジンを前、先端に積んで前輪を駆動するつまりFF方式であった。

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(写真左が前)

 

 

 

 先端といったのは、通常ラジエターがエンジンルームの一番前に位置するのが普通だが、フロンテ800のラジエターはエンジンの後ろに位置していたのだ、これは重量バランスと空間利用の為にそうしたのだろうが、ドイツのDKWやサーブなどの2サイクルエンジンの先駆者もこのようなレイアウトだったからそれにならったというのが本当のところだろう。

   
 サスペンションも、前ウィッシュボーン、後トレーリングアームといった当時としてはユニークなものだった。

 

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 私自身、数回お目にかかることがあったが、軽自動車のそれと違い、2サイクル特有のばらついた「たたん、たたん」という音が気にならないほど静かで軽快なエンジンで、なかなかの走りだったし、のり味も現代のクルマに似た堅めのものだった。
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  そして室内のデザインもヨーロッパ車の雰囲気を持ったシンプルなデザインだったが、他の国産車に慣れた目にはちょっと変わったものに映った。

 

 それを端的に表すように、フロンテにはもう一つのあだ名があってそれは「げてもの」と言われた。
 昭和42年頃の標準はコロナやブルーバードに代表されるFR車、つまり前に4気筒エンジンを積んで長いプロペラシャフトを介してリジットリーフの後輪を駆動する、という堅牢にして無骨なメカを持ったものだった。
 このような無骨なメカを持ったクルマたちでさえ、今とは比べられないくらい故障が多かったのだ、軽自動車はともかく、小型車に前輪駆動や2サイクルエンジンやヨーロッパ風のデザインなど当時のユーザーには受け入れられない要素だった。

 

 更にこのクルマの寿命を縮めたのは燃費の悪さだった。
 当時の街中で私が乗っていたコロナで10Km/l前後だったし、所長のヒルマンも同じくらいだったが、フロンテはそれらよりもまだ悪かったようだ。

   ちなみに三菱の日本初のファーストバック大衆車であるコルト800も2サイクル3気筒を載せていたが、ほとんど発売後すぐに4サイクル4気筒に載せ替えられたが、これも燃費と白い煙が小型車として受け入れられなかったことが原因だったのだと思う。

 

   しかし今見ても美しいこのフロンテ800が大して多く作られず、たった3年あまりで姿を消したのは残念で仕方がない。
   現在では博物館でしかお目にかかれないだろう。

posted by 健太朗 at 13:20| Comment(2) | TrackBack(0) | スズキの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする