2018年08月23日

軽自動車のルーツ スズライト

 もう半世紀以上前の話ですが、中学1年生の私はクラブ活動として自動車部に入りますが、先輩からの指導に不満をもってすぐにやめてしまいます。

 その自動車部の教材になっていた大きくて立派なオオタ・セダンより、先生の自家用車のスズライトに興味がありました、それは丸っこいカタチの3人乗り6ナンバーのライトバンでした。

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 この頃の軽自動車のナンバーは今のものより二回りほど小さい長方形で白色、都道府県を表す「京」の前に乗用車は8、商用車は6で区別していました。

 バタンバタンとアイドリングしてブーーーと走って行くのが印相的でした。

 今でも子供が自動車のことを「ぶーぶー」と言ってるのはこの頃に始まったのではないかと、勝手に想像しています。

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 私は歴史あるクルマの話をするとき、初代のことをオリジナルなどと言うことがよくあります。

 それは初代こそそのクルマの原点、つまりルーツだと思うからです、メーカーがこういうクルマを創りたいとチカラを入れて形に表したものが初代だと思うのです。

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 そしてこのスズライトSFこそ、スズライトの初代、スズキの四輪車の初代、そして現在の軽自動車のルーツなのです。

さて企業としてのスズキのルーツは、明治41年、大工の修行を積んだ21歳の鈴木道雄さんが10人ほどの職人の雇って鈴木式織機製作所を創立したことに始まります。

 そして数々の新しい自動織機を発明して豊田自動織機より早い大正10年頃には世界にその名をとどろかす一大織機メーカーになりました。

 しかしこれらの織機は耐用年数50年以上と永く、いずれ需要は頭打ちになると考えた鈴木道雄さんは、昭和11年、自動車試作研究班を発足させます、次の年にはオースチン・セブンをコピーしますが、織機作りの技術や道具では難しく、失敗の繰り返しだったといいます。

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 さらに社内から道楽扱いされ、クルマ作りは苦境に立たされた、という話は豊田喜一郎さんのAA型乗用車とよく似ています。

 戦後は自転車にエンジンを付けたアトム号に始まり、コレダ号オートバイのヒットによって、戦争中B29の爆撃で焼け野原となった織機工場跡に再建したバイク工場の片隅に自動車研究室が造られ、昭和29年、VW、シトロエン、ロイトを購入、自動車開発に再挑戦します。

 開発部長の鈴木三郎さんが選んだのは、2サイクルエンジンのロイト、2サイクルエンジンを作っていたスズキとしては当然のことでしょう。

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 ロイトLP400 は1954年に登場した、ロイトとして2代目、360時代の軽自動車と同じくらいの大きさのドイツ軽自動車カテゴリーの前輪駆動2ドアセダンで初期のエンジンは250ccでしたが、ドイツの法改正で400ccに拡大されました。

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 日本の軽自動車も昭和29年まで4サイクル360cc2サイクル240ccでしたのでスズキでも240ccで開発されました。

 ボディはロイトに似たデザインの2ドア4人乗りセダンですから言うまでもなくパワー不足だったそうです。

 これも法改正で2サイクルも360ccになり、昭和30年には政府が国民車構想を発表しますと、鈴木道雄さんは軽自動車のイメージのお粗末なクルマではなく、外国車に乗っている人にも乗ってもらえるような4人乗っても乗り心地のいいクルマ、役所の国民車構想を上回る軽四輪車を作れ、と開発陣を励ましたそうです。

 ちなみに政府の国民車構想というのはおおよそ、4名乗車で時速100 kmが出せる、時速60 kmでリッターあたり30 km走れる、月産3,000台、販売価格25万円以下、排気量350~500 cc、走行距離が10万 km以上で大きな修理を必要としない、昭和33年秋には生産開始できること、というものでした、これには各自動車メーカーも不可能と消極的でしたが、その後トヨタパブリカ、ミツビシ500、スバル360等が世に出ました。

 こうして完成した鈴木の光という名のスズライトは、4人乗り2ドアセダン、2サイクル2気筒360cc18馬力、前進3段後退1段、前輪駆動、最高速度80km/h、燃費25km/l、サスペンションは前後共ウィッシュボーンコイルで前は2つのコイルばねを用いたものでした。

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 ジョイントについては、もちろん等速ジョイントのない時代、加工や強度確保に非常に苦心しながらロイトをコピーした不等速のL型ジョイントを自力で制作できたのは特筆ものだと思います。

 そして、走行テストは浜名湖周辺で充分走った後、箱根山越えに挑んだのです。

 当時360の非力な軽自動車で箱根の山を越えるさえ無謀とされていましたので、成功したことは正に快挙でした。

 これは梁瀬自動車の経営者・梁瀬次郎さんに、自社の試作車の判定を仰ぐことが目的でした、柳瀬さんは当時既に輸入車ディーラーの代表格だったのでスズキとしては、販売を決意するきっかけにしたかったようです。

 早朝に浜松を出発した試作車一行は途中、オーバーヒートに襲われ、東京芝浦到着は夜11時にもなっていたそうですが、柳瀬さんは自社工場スタッフと共に待機して一行を出迎え、そのまま朝までテストを続け、改良すべき点を指摘しながらも絶賛されたそうです。

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 昭和30年7月セダン、ライトバン、ピックアップトラックの型式認定を取得、我が国最初の4人乗り四輪軽自動車は発売されました。

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 翌年、最初のユーザーは静岡の女性開業医だったそうです、往診の足にはちょうど良かったのではないでしょうか。

 そして鈴木道雄さんは、これを機に社長を退き、実家の家具店で余生を送られました。

 こうして四輪軽自動車メーカーとしてのスタートを切ったスズキ自動車は後にフロンテ、アルト、ワゴンRなど、またフロンテクーペやカプチーノといったスポーツカーなど、最近ではスイフト、トコットなどスズキにしか作れない個性的な軽自動車を次々にヒットさせています。



posted by 健太朗 at 21:53| 京都 ☁| Comment(0) | スズキの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

カタログコレクションから・スズキ カプチーノ

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 満開の桜並木、避暑地の緑のトンネル、燃えるような紅葉のワインディングロード、陽射しのやわらかな冬の海岸通り。閉じていた屋根を開いて、爽やかな風とひとつになると、季節はもっと輝きます。

 こんな文章で始まり、この後このカタログはオープンエアモータリングの魅力を得々と説いています、そして、

 たぶんこの人生には、一度は乗っておきたいクルマが存在するに違いありません。

 というのです。ひとの心にズバッと入ってくる文章ではありませんか。

 まだあります。

 カプチーノは現代的なマーケティング理論から生まれたクルマではありません、こんなクルマに乗りたい!という若い開発者の夢が出発点。流行にとらわれないロングノーズ&ショートデッキ…云々。

 最近の自動車家電化時代を揶揄するようです、心にズバッと入ってくる私はもう年寄りだけど、若い開発者にもこういう夢があるというのならこんなにうれしいことはありません、なんて思います。

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 好景気で余裕のある頃に開発され、まさにバブル崩壊後の平成3年11月に発売され7年間、2万6千台余りで撤退した、という生まれつき不運なクルマなのかもしれませんが、昭和の時代からオープン2シーターはイメージリーダーにはなっても量販は出来ないというのが定説になっているのですから、これはこれで人々に夢をみさせてくれて、良かったのではないでしょうか。

 カプチーノはカタログの文言通り、自分たちが欲しいクルマ、運転が楽しい後輪駆動のスポーツカーというコンセプトで創られたそうです。


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 エンジンはアルト、ギアボックスはジムニーですが、車台は専用で前後輪ダブルウイッシュボーン、全輪ディスクブレーキを備えた本格的スポーツカー仕様になっています。

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 カプチーノのもう一つの特徴はそのルーフにあります、ルーフ天板が左右と中央の3分割で脱着出来るのです、そうするとリアウインドウ部分が電動で下に下がって隠れます。

 これを組み合わせることでフルオープン、タルガトップ、Tバールーフそしてクローズド・ハードトップと姿を変えます、でも残念なことにこのルーフには雨漏りの悩みがあったようです、全部溶接で固めてしまったという話もあります。

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 当時の自動車雑誌の試乗記にこんなのがありました。

 「カプチーノは世界一居住空間が狭いクルマかもしれない。」

 カタログにはこんな文章もあります。

二人しか乗れないし、荷物もたくさんは積めない。

フルオープンエアの走りが本当に快適な時期も、

実は僅かかもしれない。

でも、それでもいいサと言ってくださる方に、

カプチーノは微笑みます。

安楽や快適さとは一線を画した、その潔さが、

ドライビングの歓びを純粋なものにしてくれるのです。

 だからスポーツカーはかっこいいのでしょうね。

 「芸術は無駄、だから芸術なのだ」

 と言った人もいます。

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 今年あたり、新型カプチーノのうわさもチラリと耳にします。

 景気低迷期からようやく脱出しようとしている今ならまた違った結果になるのかもしれませんね。

 カプチーノが発売された平成3年当時、ホンダビートやマツダAZ-1などの軽スポーツカーのライバルがありましたが、現在もS660やコペンと、強力なライバルが出そろっています、ニューカプチーノが出てくるとなるとクルマ好きには楽しみが一つ増えますね。

posted by 健太朗 at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | スズキの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

フロンテ・クーペ

  昭和46年秋、実に夢のあるクーペが発売されました、スズキ・フロンテ・クーペです。

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  今でもそうかもしれませんが、360時代の軽自動車は実用性と経済性がより強く求められ、3m×1.2mの小さなボディに、しっかり4人が乗れてしかも荷物室も大きく更に40数万円で買える、というセオリーが求められていました。

  それはスポーツタイプでも同じで、ホンダZやMAXハードトップでも、またマツダR360クーペにも狭いながらもちゃんとリアシートがありました。

  ところがスズキはフロンテクーペでこれらの不文律をかなぐり捨てて二人乗りに徹したのです、これによって軽自動車には珍しく夢あふれるクーペが誕生したのです。
          

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  そのデザインは、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロの作品だといわれましたが、実際はちょっと違うようです、スズキがジウジアーロから買ったのはミニバンのようなスタイルの4ドア車のデザインだったのです。

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  余談ですがキャリー・バンL40もジウジアーロのデザインだというのですからスズキ自動車は2種類のバンのデザインをジウジアーロから買ったのでしょうか。

  いずれにしろそのうち1台のバンのデザインをスズキのデザイナーがスポーティーなクーペに仕立て直した、ということのようですからスズキのデザイナーの力もすごいものです。


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   決して派手なデザインではないのですが、ゴルフや後のデロリアンにも似ていて、今のコンピュータデザインのごてごて感も無く、しかしこの時代の、夢、をこの小さなボディにギュッと詰め込んだデザインだと思います。

 

  さて、フロンテクーペは当時のフロンテのバリエーションとしての位置づけですから、シャシもリアエンジンも同じですが形式呼称がフロンテのLC10に対してクーペはLC10Wとなって2サイクル3気筒エンジンは水冷化されました。
          

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   空冷式エンジンのあのバカみたいによく走るけどピーキーでぶん回すエンジンは幾分まろやかで扱いやすくなった印象ですが、39psという馬力は360㏄の軽自動車としては最大級でこれを超えるのはあの、どうしても調子が出なかったMAX・ssだけですから文字通り360時代の最高峰ということになります。

  足回りも基本的にフロンテと同じ前ウイッシュボン、後トレーリングアームですがちょっと硬められた分、旋回性能がよくなってキビキビ走る感じがします、私の記憶ではやはりフロンテと同じように中速でのピッチングが気になる印象が残っています。

       

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 スポーツカーというのは、やたら高性能で扱いにくいものよりも心情的にスポーティーで運転して楽しいクルマがいいと思っています、その点でもフロンテクーペはバランスがとれたいいクルマだったなと思います。

posted by 健太朗 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | スズキの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする