2015年04月27日

アローラインのコロナ

 3代目コロナの話です。

 昭和45年頃、同僚が中古車で買ったクルマは3代目コロナRT40でした。

 RT40は1964年9月、アローラインと呼ばれた近代的なデザインに換わったモデルです。

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 発売されて間もなく、まだ部分開通だった国内初の高速道路、名神高速道路で「10万キロ連続高速走行公開テスト」と銘打って昼夜通して走行るというイベントをやってのけて注目を浴びました。

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 国産車が初めて高速道路を走行ったこの時代、100km/hの速度で長時間故障なしで走行するということは驚異的なことだったのです、現に私が乗っていたRT20は高速走行をするとその後、決まってバルブクリアランス調整が必要になりました。

 強くなったとは言え、10万キロテストのクルマでも恐らく途中で給油やオイル交換も必要ですから、その際、いろいろな整備が必要であっただろうと想像します。 

 名神高速道路は、このイベントが行われた39年9月14日時点では尼崎―一宮(172km)が開通しており、この区間を3台のコロナが平均時速100km/hで11月11日までに276往復して完走したそうです。

 因みにこの時の高速道路料金は231万8400円だったそうですが、現在の料金を計算しますと125万5800円になりますから高速料金は少しお安くなっているのですね。

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 ともかく、このイベントによって新型コロナは高速性能と耐久性を勝ち得たのです。

 というのは、前モデルのPT20の発売当初、カンチレバー式のリアサスペンションは操縦性や乗り心地は良かったのですが、なにしろ未舗装が多かった時代のこと、

 タクシーなど激しい使われ方では1枚リーフでは強度不足で、また、ボディもきしんだりガタが出たりで、あげく、コロナは底が抜ける、などと噂されたりで販売が伸び悩んだのです。

 もちろん改良が加えられ、カンチレバーはリジットリーフになってエンジンは1500ccになったり、TVコマーシャルでは積み上げたドラム缶を蹴散らして走るシーンを流すなどの対策がなされましたが、ブルーバードの人気には及ばず、二番手に甘んじたのです。

 ですから新型コロナは耐久性をアピールする必要があったのです。

 

 さてモデルチェンジされたアローラインのコロナ、私の自動車屋ではよく売れたクルマですが、私の印象でもひとことで質実剛健といえます。

 どこを触っても硬くしっかりとしていて丈夫なイメージがあります、ちょうどこの1964年型から39年型と呼称が替わったころ、自動車という機械の強度が全体的に一段上がったという印象があります。

 ベアリングや十字ジョイント、サスペンションのボールジョイントやブッシュ、エンジンのピストンリングやシリンダー壁面の硬化処理など、およそ摺動する部分が強くなり、ボディ構造が改良されて水はけがよくなった分 錆の発生が少なくなりました、でもこれが個性的なデザインが少なくなった原因の一つだったかもしれませんね、RT40も没個性の先駆者のように見えます。

 

 もう少し後の時代になるとコロナクラスでも豪華になってアクセサリーも増えますが、この頃はまだどこを見てもシンプルな構造ですから整備性は国産車トップクラスで私たち万年新米メカニックには扱いやすいクルマでした、いつもコロナやカローラに慣れていて、たまにコンテッサなどが入ると、やれやれ、とか思ったものです。

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 RT40は数ある国産車の中でも最もバリエーション豊富なクルマじゃなかったかと思います、4ドアセダン以外に2ドアセダン、コロナラインの名をやめてコロナに統一された2/4ドアライトバン、ピックアップとダブルピック、後には2ドアハードトップと5ドアハッチバックセダン等々、エンジンも1200,1350,1500,1600さらに1600Sにはツインキャブレター、1600GTにはツインカム、変速機は3速・4速・5速に全自動になったトヨグライドというオートマチックトランスミッションなどといわば何でもありのクルマで当時のベストセラーでした。

 そういえば自動車でベストセラーと言葉が使われたのはこのクルマからではなかったでしょうか。

 ダットサン・ブルーバードとの熾烈な販売競争、つまりBC戦争で昭和40年以降43年にカローラがヒットするまで国産車第一位だったのです。

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 昭和43年9月コロナマークⅡが発売されてもコロナは少し日陰の存在となりましたが、4ドアセダン1500スタンダードとデラックスとライトバンだけに整理されて残りました、そして大幅に値下げされました。

 その価格は、1500スタンダードでなんと51万2千円、ただしこの年の大卒初任給は3万290円、ピース(10本入)50円、かけそば一杯70円という時代でした。

 

そして3代目コロナは45年2月までの5年5か月の間に57万8千台余りを販売して4代目RT80にバトンタッチします。

posted by 健太朗 at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月18日

私の二代目ラウム

 今年、平成27年はひつじ年、ひつじは「羊」と書きますが、干支では「未」という字を使います、ではひつじがくると書けばどうなるでしょう、それは「未来」です。
 先日参加したある新年会でスピーチに立ったゲストの一説です。

 

  私にも未が来ましたのでラウムから未来のクルマに乗り換えようと思いましたが、いくらなんでもまだ「ミライ」には乗れませんので現実の未来、アクアに乗り換えました。

 そこで早速、アクアに乗った感想を書くべきでしょうが、まだ乗り始めたばっかりなので今日は下取りに出したラウムを振り返ってみます。

 

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 ラウムは平成20年、初代ラウムから乗り換えて丸7年乗りました。

 

 当時の印象はやはり「進化」です、ラウムの最大の特徴は後席スライドドアと解放感がある広い室内です、旧型に比べて解放感が増しています、室内上部が広くなったのと左のBピラーがないのがその一因でしょう、しかし前席左のシートは前にたためるようになっていて、なるほどこの状態では更にひろびろしていますが、たたまなければ後席左の足元は前席下に隙間がないので実に窮屈なのです、一長一短ということですかね。

 ラゲッジルームも広く、ちょっと大きなテレビを買ったときなど、お持ち帰りで少しお安くしてもらいました。

 

 高速道路を走って思うのは、静かになったこと、初代ラウムは100km/h以上では特にロードノイズがうるさくて、110km/h巡航がやっとでしたが、二代目ラウムは120km/hでも充分静かになっていました、この違いは大きなもので、高速での疲れ方が少なくて楽しい旅行が出来るというものです。

 

 前述の通りこの二代目ラウムに7年で約6万km乗りましたが、この間の平均年費は12.83km/Lでした、最高はほとんど高速道路の長距離ドライブで18.8km/L、街中では8km/L台でした。

 前半は通勤に使っていましたが後半は乗らない日が多くなりました、その代わり長距離ドライブが幾分多くなりましたので平均燃費には前・後半で大差ないようです。

 

 故障は全くありませんでした、オイル・オイルフィルター以外に交換したものはワイパーゴム、ベルト類、それにタイヤといった消耗品だけです。

 冷却液は8年使えると取説に書いてあったので一度も交換していません、しかし錆も変色も全くありません、LLCも進化したもんですね。

 

 そんなわけで二代目ラウムは実に便利で快適に安心して乗ることが出来ました、一つ欠点を言うならば、「ときめき」がないこと、便利で快適は自動車として必要不可欠な特徴ですが、趣味性、エンスージアスト精神を満足させるものでなく、しかしながら趣味性を満足させるクルマは実用性に乏しいというジレンマがあるのです、私ももうそろそろ人生最後のクルマかななんて思いながらアクアという実用的なクルマを選ぶのですから、一生趣味のクルマなんて乗れないのでしょうかね。

posted by 健太朗 at 22:57| Comment(14) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

21世紀に間にあいました。

 そんなわけで今回は初代プリウスのはなしです。

 

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  わしは、ずっと心配してたんじゃ。

  このまま空気が汚れていけば地球は、どうなるのか。

  そこに住む人や生きものは、どうなるのか。

 

 プリウスの本、と題したカタログの冒頭、お茶の水博士が言うのです。

 博士は、クルマは人間に必要だから、クルマそのものを人間が変えるしかない。

 ガソリンの消費を半分にする、二酸化炭素も半分にする、有害排出ガスは10分の1にする、そんなクルマが出来たんじゃ。

  そして、クルマの未来は明るい、とのたまうのです。

 

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 1997年 平成9年のはなしです、21世紀に間にあいました、というキャッチコピーは言わば鳴り物入りの登場でした。

 なにしろ世界で初めてのハイブリッド車なのですから、トヨタとしてはもっとお祭り騒ぎで出したかったでしょうが残念ながら売っても儲からないクルマだったようです。

 それはひとえにバッテリーの問題だったようです。

 

 私の自動車屋で初めにプリウスのオーナーになって頂いたのはとある会社の社長夫人でした、奥様といえど高級車に乗れるくらいの財力はお持ちですが、運転に自信がないのか、大きなクルマは嫌だから小さくても一クラス上のクルマがいい、とおっしゃるのです。 

 そこへ発売されたのがプリウスです、奥様は迷わずこれに決めました。

 当時のプリウスの価格は215万円、21世紀にゴー、でした、当時のカローラの上級グレードで130万くらいだったと記憶していますので、プリウスはかなりお高いクルマでした。

 

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 これより2年前の1995年、東京モーターショーにプロトタイプとして展示されていた車は「人と地球にとって快適であること」というコンセプトで、主に低燃費走行を目的としたシステムでした。

 直噴ガソリンエンジンにCVTを組み合わせ、モーターの電源はなんとキャパシターでした、キャパシターというのはコンデンサーの一種でバッテリーのように大容量ではありませんが、急速充放電が出来るのでフォミュラーなどレースカーにも使われていて、過給機のような力を発揮するものです。 

 でもさすがにこれは市販車には使えないので市販プリウスには大きなバッテリーを後席の背中に積んでいましたが、液漏れや早期の老化があったりして、クレームではなくサービスキャンペーンとして無料交換をしていました。

 これでは儲かりませんよね。 

 私が初めてハイブリッドに乗った印象では、やっぱりエンジンをかけないでスタートするのは慣れるまで何か奇妙な感じがしました、車庫入れなんかの際は全くエンジンはかかりませんからね、しかし走り出したら意外に早くエンジンがかかりますのでちょっとがっかりしました。

 更にヒーターやクーラーを使うとエンジンは絶えずかかっているのですから興ざめです。

 でも前述のサービスキャンペーンでバッテリーを交換してからはかなり良くなったと記憶しています

 

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 面白いのは標準装備のカーナビのモニターに映し出されるハイブリッドシステムインジケーター、最近のものとは違ってエンジン、モーター、バッテリー、タイヤがイラストで表示されていてその間を矢印がパワーの流れる方向に移動する、というものでその時の状況が手に取るようにわかりますからこのモニターを横目で見ながら運転するのは楽しいものでした。

 

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 町の自動車屋としては、駆動用バッテリーが高圧の為にエンジンやバッテリーはもちろん、クルマの主要な部分の整備をさせてもらえないので、商売にならなかったことが不満でしたね。

 自動車屋の未来はどうなのでしょう。

posted by 健太朗 at 22:18| Comment(2) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする