2017年05月17日

世紀のクルマ・センチュリー

  最近は小さい車でも3ナンバーと言うことが多くなりましたが、昭和40年代以前は3ナンバーイコール外車というイメージが強く、国産車の3ナンバー車は少なかったのです、しかもクラウンやセドリックなどの5ナンバー車のサイズを大きくしたものや大きなエンジンに換装したもので3ナンバーとしていたのでした。

当時は2000ccの中型車で立派な高級車だったのです、確かに狭い日本の道路環境を思うと今のように車体の幅を広げただけの3ナンバー車が多くなることの方が奇異なことかもしれませんね。

センチュリー01.jpg

昭和42年、豊田佐吉の生誕100年を記念して、それは同時に明治100年、つまり1世紀となることに因んでセンチュリーが発売されました。

 クラウンエイトのようにクラウンの拡大版ではなく、本格的な大型乗用車として開発されたセンチュリーは世界の豪華車に匹敵するプレステージサルーンを目標にしており、サイズは5,120 mm1,890 mm1,450 mmエンジンも3V型アルミ製OHV3000cc V8気筒を搭載、日本の伝統を感じさせるデザインの4ドアセダンのみでスタートしました。


センチュリー04.jpg

 以来30年に渡ってフルモデルチェンジなしに平成9年まで生産され、日本では数少ないロングセラーになりました。


センチュリー08.jpg

 もちろんその間の改良は多岐にわたり、3V型エンジンは3,000 ccから始まり、排出ガス対策等で3,400 cc4V-U型)、キャブレターがなくなり4,000 cc5V-EU型)まで排気量が拡大されました。


センチュリー09.jpg

 ボディーはロングホイールベースやストレッチリムジンも追加されました。

 足回りでは、前輪・トレーリングアームに空気バネを採用するユニークなもので、さらにステアリング操作系をエンジン上部に置き、ストラット上にナックルアームを配置して空気バネの筒ごと回転する方式になっています。


センチュリー07.jpg

 しかしさすがにこの複雑なメカニズムは実際の走行性能に寄与していないとして、昭和57年のマイナーチェンジで普通のマクファーソンストラットに改められました。

 こんな大きな高級車でも最初はマニュアルトランスミッションもあった時代でした、主流は当然、当時まだ少なかったオートマチックトランスミッションですが、トヨタ独自の3速トヨグライドでした、後にはアイシンとボルグワーナーの合弁会社アイシンワーナーが出来てからはトヨグライドはなくなりました。


センチュリー06.jpg

センチュリー02.jpg


 私の自動車屋ではそれこそ奇跡的に1台、車検の顧客がありましたが初車検でほとんどお掃除だけの仕事でしたので、ほんの少しだけ試運転と称して乗ってみましたが、クラウンと変らない感覚で乗れて、それでいて大変静かという印象でした、そしてエアサスペンションの味わいは後のクラウンマジェスタよりさらに柔らかだった印象が残っています。

 なにしろ基本的に手作りと言ってもいいような行程で組み立てられるお高いクルマですから緊張して乗った記憶があります。

センチュリー05.jpg


 そして平成9年、30年ぶりにモデルチェンジした2代目は、ポリシーはそのままに、さらに大きくなり全長は5270mm2tを超える重量にもなりました。

 余談ですが、平成17年、プリンスロイヤルの老朽化に伴ってセンチュリーをベースとしたセンチュリーロイヤルが御料車として皇室の納入されました。


センチュリーロイヤル.jpg

 さすがにこれは原形をとどめないほどの改良が加えられ、全長6,155 mm、全幅2,050 mm、全高1,780 mm、車両重量2,920 kgにもなる8人乗りの正統派リムジンとなりました。

2台目センチュリーのエンジンはV12気筒5000cc280馬力、天然ガスで走るクルマもあり、足回りは前後とも近代的なダブルウィッシュボン、AT6速となりシーケンシャルシフトマチックも選べる、価格は42年(初代)の268万から平成15年には1,350万にまでなって、まさに国産最高級車、夢のクルマになりました。

 しかしセルシオに始まった高級車路線は新ブランド「レクサス」で大きく花を咲かせ、センチュリーを色あせたものにしてしまい、平成29年、残念なことに「世紀」というセンチュリーは半世紀をもってその歴史を閉じることになってしまいました。


センチュリー03.jpg


 それにしても私は、V8は運転したことはありますが、V12は経験ありません、生きてる内に一度くらいV12のアクセルペダルに右足を乗せてみたいものですね、ジャガーやフェラーリとは言いませんから。


センチュリー10.jpg

posted by 健太朗 at 11:39| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

トヨタ1600GT

3代目コロナRT40はアローラインのコロナで話ましたが、今回はそのバリエーションのひとつ、ハードトップの話です。


ハードトップ01.jpg

ハードトップというのは「堅い屋根」、オープンカーの幌(ソフトトップ)を取外して鉄板やFRPなどの堅い屋根を取り付けたのが語源で、おおむねセンターピラーのない4座クーペタイプを指し、主にアメリカで人気のあるタイプです。


ハードトップ02.jpg

昭和40年、国産車ではじめてハードトップを採用したのがコロナで、その後ギャランやセリカなどにも採用されましたが、4ドアハードトップやピラードハードトップなどと言うこじつけたようなネーミングを持ったクルマも現れました。


ハードトップ03.jpg

私がはじめてコロナハードトップに乗ったときは、オープンでもないのになぜか気恥ずかしくというか照れくさく感じたことを覚えています、窓が小さい旧式実用車に乗り慣れていたせいかサイドウインドーを全開するとそれはもう途方もない開放感をあじわったものです。


モノコックボディの場合、センターピラーを無くすと曲げ・ねじり剛性が低下しますので、フロントピラーやル-フサイドフレームなどの剛性を高めます、すると重量が重くなってしまいますが、コロナのようなクーペタイプですと屋根自体が小さくなったり、ドアも少なくなるので、コロナの場合は4ドアセダン・デラックスより15kg増におさえられています。


ハードトップ04.jpg

また、ウィンドウを全開にするための工夫で後部のガラスが回転するようにスライドするというアイデアを採用しています。

コロナ・ハードトップは昭和41年、第15回毎日工業デザイン賞を受賞しました。



この車体を使って本格的スポーツクーペに仕立て、2000GTの弟分としたのがトヨタ1600GTです。


1600GT01.jpg

車両形式はRT55、コロナの名は使っていませんがコロナの派生車だと言うことが判ります。

外観でコロナと違うのはフロントグリル、リアグリルの意匠、フロントフェンダーのエアアウトレットそれに砲弾型のバックミラー、フロントグリルとリアクオーターにつく七宝焼きのエンブレム、というところでしょうか。


1600GT02.jpg

実際に走行ってみると9R型ツインカムエンジンとウエーバーツインチョークキャブレターによってちょっと荒々しい走りが味わえます、トランスミッションはGT44速、GT55速です、これは2000GTのパーツを使っているそうです。


1600GT03.jpg

私の自動車屋で販売したクルマはGT5でしたが、コロナ1600Sよりしっかりしたフィーリングで長いシフトレバーですが、スポーティーな感覚でした。

あるとき、このGT5がエンジン不調で入ってきました、4気筒の内1気筒が死んでいる状態です。


1600GT04.jpg

調べてみると3番のコンプレッションがかなり低いのです、お客様にオーバーヒートしましたか?と聴いてみましたが、無いとおっしゃる、それじゃバルブかな、と思ってヘッドカバーを開けてみると、3番インレットのクリアランスがスカスカになっていました、そこでカムシャフトを外してタペットを抜いた瞬間、そのタペットがばらばらに砕けてしまいました。


1600GT05.jpg

恐らくエンジンオイル・ケアが良くなかったのでしょうか、今では考えられない故障でしょうが、まだオイルなどのケミカルが良くなかった時代の話です。

そして今なら、ここでシリンダヘッドを外して業者にお任せするところでしょうが、この頃はヘッドを分解してバルブ交換から摺り合わせ、組み立ててシムを使ったバルブクリアランス調整まで、総て町の自動車屋でやってしまいました。


最終調整をして元のコンディションに戻すまで一週間かかったとしても、なんの苦情も出ないのんびりした時代だったのですね。


1600GT06.jpg

posted by 健太朗 at 22:05| 京都 ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

ハイソカー・ソアラ


初代ソアラ.jpg

  初代ソアラは昭和56年の発売で、バブル経済より数年前でした。

これを「意外なヒット」と見る向きもあるそうですが、それは開発コンセプトに、お年寄り向きとの考えがあって、つまりリタイヤしたお金持ちの余裕の部分で買ってもらおう、だからそんなに売れないだろうとのメーカーの思惑だったようです。

しかしこの頃からの、やがてバブルにつながる好景気により日産レパードやホンダプレリュードなどがつぎつぎと発売されて、「ハイソカーブーム」が沸き上がり、大ヒットのなったというわけで、お年寄りよりも案外若い世代に支持が得られた、だから意外というのだそうです。


しかし私など当時40歳代ですが、トヨタ200GTの再来とばかりに大いに期待したものです。

私の自動車屋で発売と同時に買って頂いたお客様も私と同世代の方で、当時流行っていたテーブル式コンピュータゲームを扱っていた会社の社長で、まさにバブルのトップランナーのような方でした。


こんなにヒットしたクルマですが少なくとも初代ソアラは輸出されませんでした。

それは昭和55年に起こった日米貿易摩擦で、自粛させられたせいですが、この頃、まだ外国での日本車の評価はイマイチで、しかし大衆車クラスでは丈夫で扱いやすいことから人気が出始めていました。

 そこで利益率の高い、中型乗用車としてトヨタはソアラの他クレスタ、マークII、チェイサーの3兄弟などを開発して輸出の目玉とするもくろみでしたが、前述の貿易摩擦でクルマの輸出は必ずしも順調ではなかったのです。


 国内販売に力を入れるなら豪華装備を調えて「大人のためのパーソナルクーペ」としての地位を確保しなければならないわけで、最新技術を惜しみなく投入し本物感をにじませたクルマに仕上げました、中でも特にエンジンは、ライバルのレパードやプレリュードなどが4気筒エンジンをラインナップする中、ソアラは全て高級志向の6気筒エンジンで、まだ一般的でなかったツインカムヘッドを搭載します。

 この人気のおかげで販売店でも「ソアラは手のかからない車」だとそのムカシのカローラのような評価をされました。

 そして昭和57年には第2回日本カーオブザイヤーを受賞しています。


私などが乗ると場違いというかどう見ても不似合いですが、と、当時は思ったものです、それでも乗ってみた印象は一言でいうと「楽ちんすぎて退屈」、と言うところでしょうか。


エンジンは典型的なスポーツカーですが、トヨタ2000GTや初代スカイラインGT-R(ハコスカ)などとは比べものにならない滑らかさと扱いやすさで、しかしEFIと呼ばれる電子制御燃料噴射のおかげで2800cc 6気筒エンジンは、踏み込んだときは素晴らしい加速性能ですが、スポーツカーらしさはありません。


また室内の雰囲気はちょっと豪華なマーククーペという感じで、これをもってハイソカーと思わせるのだ、というのでしょうか、安楽という言葉がぴったりだと思いました。

さらに国産車初のデジタルメーターは目新しいものですがどうにも安っぽく、やがて軽自動車は皆これになるよ、なんてささやかれたのもです、そういえば現在の我が愛車アクアもこのタイプです。


で、このままあのばかでかいドアを開けておくとポーンと音がして「ドアが開いております」と女性の声が聞こえます、これはコンピュータの合成音で他にもサイドブレーキを戻し忘れたときや燃料がエンプティーになったときにもこんな風に女性がささやいてくれます、私など「これが山口百恵の声だったら」なんて冗談を飛ばして大笑いをしていました。

まさにバブリーな話ですね。


幅広のソファーのようなシートに座ると、空気式のランバーサポートがあります、これも楽ちんのひとつで、たしか背もたれ側面にある4つのボタンを押すことによって、腰のあたりの3カ所を空気で押し出してくれるもので、もう一つのボタンで空気を抜くようになっています、もちろん座面の前後、高さ、それにリクラインやヘッドレストの高さまで電動でスイッチひとつで調整できます。

エアコンはタッチパネルで操作するフルオートエアコン、オーディオは当時トレンドのコンポ()、天井にはルームランプの他に今では当たり前のスポットライトがありました。


事程作用に豪華なクルマですが、そのルームランプがカローラと同じものだったので興ざめしたことを覚えています。


posted by 健太朗 at 22:10| 京都 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする