2017年02月16日

ハイソカー・ソアラ


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  初代ソアラは昭和56年の発売で、バブル経済より数年前でした。

これを「意外なヒット」と見る向きもあるそうですが、それは開発コンセプトに、お年寄り向きとの考えがあって、つまりリタイヤしたお金持ちの余裕の部分で買ってもらおう、だからそんなに売れないだろうとのメーカーの思惑だったようです。

しかしこの頃からの、やがてバブルにつながる好景気により日産レパードやホンダプレリュードなどがつぎつぎと発売されて、「ハイソカーブーム」が沸き上がり、大ヒットのなったというわけで、お年寄りよりも案外若い世代に支持が得られた、だから意外というのだそうです。


しかし私など当時40歳代ですが、トヨタ200GTの再来とばかりに大いに期待したものです。

私の自動車屋で発売と同時に買って頂いたお客様も私と同世代の方で、当時流行っていたテーブル式コンピュータゲームを扱っていた会社の社長で、まさにバブルのトップランナーのような方でした。


こんなにヒットしたクルマですが少なくとも初代ソアラは輸出されませんでした。

それは昭和55年に起こった日米貿易摩擦で、自粛させられたせいですが、この頃、まだ外国での日本車の評価はイマイチで、しかし大衆車クラスでは丈夫で扱いやすいことから人気が出始めていました。

 そこで利益率の高い、中型乗用車としてトヨタはソアラの他クレスタ、マークII、チェイサーの3兄弟などを開発して輸出の目玉とするもくろみでしたが、前述の貿易摩擦でクルマの輸出は必ずしも順調ではなかったのです。


 国内販売に力を入れるなら豪華装備を調えて「大人のためのパーソナルクーペ」としての地位を確保しなければならないわけで、最新技術を惜しみなく投入し本物感をにじませたクルマに仕上げました、中でも特にエンジンは、ライバルのレパードやプレリュードなどが4気筒エンジンをラインナップする中、ソアラは全て高級志向の6気筒エンジンで、まだ一般的でなかったツインカムヘッドを搭載します。

 この人気のおかげで販売店でも「ソアラは手のかからない車」だとそのムカシのカローラのような評価をされました。

 そして昭和57年には第2回日本カーオブザイヤーを受賞しています。


私などが乗ると場違いというかどう見ても不似合いですが、と、当時は思ったものです、それでも乗ってみた印象は一言でいうと「楽ちんすぎて退屈」、と言うところでしょうか。


エンジンは典型的なスポーツカーですが、トヨタ2000GTや初代スカイラインGT-R(ハコスカ)などとは比べものにならない滑らかさと扱いやすさで、しかしEFIと呼ばれる電子制御燃料噴射のおかげで2800cc 6気筒エンジンは、踏み込んだときは素晴らしい加速性能ですが、スポーツカーらしさはありません。


また室内の雰囲気はちょっと豪華なマーククーペという感じで、これをもってハイソカーと思わせるのだ、というのでしょうか、安楽という言葉がぴったりだと思いました。

さらに国産車初のデジタルメーターは目新しいものですがどうにも安っぽく、やがて軽自動車は皆これになるよ、なんてささやかれたのもです、そういえば現在の我が愛車アクアもこのタイプです。


で、このままあのばかでかいドアを開けておくとポーンと音がして「ドアが開いております」と女性の声が聞こえます、これはコンピュータの合成音で他にもサイドブレーキを戻し忘れたときや燃料がエンプティーになったときにもこんな風に女性がささやいてくれます、私など「これが山口百恵の声だったら」なんて冗談を飛ばして大笑いをしていました。

まさにバブリーな話ですね。


幅広のソファーのようなシートに座ると、空気式のランバーサポートがあります、これも楽ちんのひとつで、たしか背もたれ側面にある4つのボタンを押すことによって、腰のあたりの3カ所を空気で押し出してくれるもので、もう一つのボタンで空気を抜くようになっています、もちろん座面の前後、高さ、それにリクラインやヘッドレストの高さまで電動でスイッチひとつで調整できます。

エアコンはタッチパネルで操作するフルオートエアコン、オーディオは当時トレンドのコンポ()、天井にはルームランプの他に今では当たり前のスポットライトがありました。


事程作用に豪華なクルマですが、そのルームランプがカローラと同じものだったので興ざめしたことを覚えています。


posted by 健太朗 at 22:10| 京都 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月05日

セラって

  バック・トゥ・ザ・フューチャーで有名なデロリアンが2017年に復活すると言うニュースが飛び込んできました、デロリアンはガルウイングドアが特徴の未来志向のクルマですね、今日はバック・トゥ・ザ・フューチャー、ガルウイングドアそしてセラ、とかけて、と言ってもいつものムカシ話です。

 

 昭和48年のオイルショックではティッシュペーパーやトイレットペーパー、それにたばこ等などを買い占める人々のパニックが起こるなど、誠に奇妙な現象が起こりました、以降、スポーツタイプ車は元気がなく、タイヤを美しく飾っていたホワイトリボンは無くなり、車体色まで制限されるようになって販売台数は伸び悩み、さらに排気ガス規制が追い打ちをかけ、日本の自動車はちょっと暗い時代になりました。

 しかし昭和51年、軽自動車の規格が360ccから550ccに改正され、排ガス規制に対する技術が進歩したこともあって昭和50年代の終わりごろには小型車にもワンボックスやハッチバックなどの楽しいクルマで活気が出てきました。


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 でもバブル景気がおとずれたはそんなころでしょうか、シーマ現象やセルシオに代表される高級車ブームで、バブルの恩恵をあまり受けられなかった庶民にとっては、多少給料は上がったけれど自動車に対する興味がちょっぴり薄れてしまいました。


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 平成に入って「バブルがはじけた」なんて言葉が聞かれたころ、私の自動車屋でちょっと変わったクルマが売れました、それは日本の量産車で初めてのガルウイングドアを持つコンパクトなクーペ、トヨタ・セラでした。


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 セラってクルマは個性的で、コンパクトつまり大衆車なんですから、私のような自動車大好き少年?にとっても興味深いクルマだったのです。


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 クーペというのは美しいけれどもタイトで狭っ苦しいイメージがつきものですが、セラはグラッシーキャビンとかパノラミックルーフという、ウエストラインから上はガラスのドームをかぶせたような明るく開放的なクルマでした、でもこれは私の主観ですが、寸法的な無理もあってかあまり美しいクーペには見えませんでした。


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 ガルウイングドアというと石原裕次郎のメルセデスベンツ300SLも有名ですが、セラの場合は蝶の羽のように、と言うことでバタフライドアというのが正しいそうです。
 バタフライドアはフェラーリやマクラーレンなどいわゆるスーパーカーに多く採用されていますね。

 さて、セラのプロトタイプは昭和62年、第27回東京モーターショーで発表されたAXVⅡと言うコンセプトカーですが、ほとんど変わらず量産車に移行されました。


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 なんと言ってもこのクルマの特徴は飛行機の操縦席を思わせるようなガラスのルーフです、思えばそのムカシ、トヨタはS800のプロトタイプでスライド式のルーフが試作されたことがありましたが、主に安全対策を考えてタルガトップに変更されたそうですが、セラの場合もルーフに回り込んだドアガラスのためにバタフライドアになったのだそうですが、もしもの転倒時にはロールバーで乗員が無事だったとしてもドアが開きません、そこでリヤハッチを大きく開くようにしてあるそうです。


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 また、バタフライドアにもいろいろ工夫があるそうです、大きく上に開くドアを支えるダンパーは油圧ですが、温度差によって効きが悪くなるのを防ぐためにもう一本の温度補償ステーなるものを付けているとか、ドアを開けたときに雨水が落ちるのを防ぐといのようなシール材、ドアを持ち上げるときに肘をかけられる内張やドアハンドルなど、ふつうのドアにはないものがあるようです。


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 今でもセラに乗っている友人が「温室みたいやから、暑いよ」なんて言ってますが、ル-フ用のサンシェードがあったり、エアコンは強力なものとなっています。


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 車台やエンジンなどは、FFになった4代目スターレットEP71型をベースにしていますが、ガラスのルーフが重いので、サスペンションには重心が高くならないようロールセンターを上げる工夫がしてあるそうです。


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 エンジンは5E型1500cc110馬力の高性能タイプになっていますから乗り味は韋駄天スターレットよりスポーティなはずですが、重い車体と低いギヤ比のせいでしょうか、私は特によく走るという印象は覚えていません。


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 セラは平成2年から7年までに15,000台余りしか作られていない希少車で、後継車も出ていませんので、平成3年の新車価格が5MTで160万でしたが、20年以上たった今でも中古車市場で30万からなんと70万以上の値が付いているそうです、でもクルマ離れが進んだ今の若者には、いえいえそこそこ年配の同輩に話してみても「セラってなに?」ぐらいの答えしか返ってきません、石原裕が健在だったとしてもも大衆車のセラには興味ないでしょうか。

 

 ところが最近、若い仕事仲間がもうクラシックカーになったセラを大事に乗っているのを見て、私の自動車屋で1台だけ売れたセラを思い出し、今更ながらセラの魅力を見直した次第です。

 

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posted by 健太朗 at 14:23| Comment(2) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

私が好きなマークⅡ

 初代コロナマークⅡは当時のコロナRT40のデザインを踏襲しながら輸出向きに一回り大きくなったクルマだと言うことは、コロナマークⅡのページで書きましたが、このころ、日産にもブルーバードを大きくした初代ローレルにも人気があって、2車がBC戦争第2ラウンドともいえるようなデッドヒートを演じていました。

 そして2代目は初代後期型のイーグルマスクを継承して、ローレルよりスカイラインGTをライバル視したМ型6気筒エンジンを積んで、よりスポーティーな演出をしましたが、スカGほどの押しの強い存在にはなりませんでした。

 そこで3代目は昭和51年、独自の個性的路線を行くべく、アメリカン・クラシック調デザインとなって、グランデという上級グレードが大ヒットとなりました。


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 もうこの型からはコロナの上級車種というサイズではなくクラウンよりちょっと小ぶりという大きさになって、特に2ドアハードトップは私が大好きなクラシック・コルベットのようなコークボトルラインが魅力的で、より大きく見えるクルマになりました。


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 搭載エンジンは2600cc直列6気筒、2000cc直列6気筒、の他に2000/1800cc 直列4気筒、ディーゼル2200cc 直列4気筒とトヨタならではのフルラインナップでした、しかしなんといってもグランデ2000が人気でした。


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 このエンジンは2代目クラウンで昭和37年にデビューしたM型SOHCクロスフローで当時90馬力だったのがここでは125馬力にもなって、M型シングルカムとしてはすでに成熟した印象ですが、キャブレターからEFIという今では当たり前の燃料噴射装置に換わり、さらに使いやすくなりました。


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 ところで、この車の名は「トヨペット・コロナマークⅡ」ですが、昭和53年トヨタは長年のブランド名である「トヨペット」を捨てて、「トヨタ」に統一しました、そして5代目昭和59年には「コロナ」も捨てて「トヨタ・マークⅡ」になりました。

 先頃復活した「ダットサン」のように「トヨペット」も復活するといいですね。

 

 私の自動車屋でもたいそう売れまして、特に呉服関係の社長さんなどには人気があって、茶色の風呂敷に包んだ反物を一反だけ積んで走っているような光景をよく見かけました、景気の良い時代だったのですね。


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 乗り味は「静かで、安楽で、退屈な」トヨタ80点主義の始まりを思わすようなクルマだというような印象ですが、これが当時の国産車の中にあってはピカイチの乗り心地だったのです、オートマチックやディスクブレーキ、それにパワーステアリングやラジアルタイヤなどの今では珍しくない装置やメカニズムが世に出て、商品として安定してきた時代でしたので、もう日本のクルマは完成してこれ以上はないだろう、などと思ったものです。


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 でもでもそんなことはなく、あれから40年もたって今でもクルマは日進月歩で発展・発達しているのですから、せいぜい長生きして今から40年後のクルマに乗ってみたい、などと思うのは歳をとった証拠なのでしょうか。


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posted by 健太朗 at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする