2017年10月16日

トヨタ初の前輪駆動車・コルサ

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日米貿易摩擦が明るみに出て自動車の輸出規制が始まった昭和53年、キャンディーズが解散して「普通の女の子」に戻り、私はというと新婚生活を満喫していました。

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そしてこの年の8月、トヨタから初の前輪駆動大衆車が発売されました、コルサとターセルです。

私の自動車屋でも早速コルサを販売しました、15004ドアセダンGL、車体はベージュでした、写真は1枚目と2枚目を除いてマイナーチェンジ後の昭和55年のカタログ写真です。

コルサとターセルは販売店が違うだけでまったく同じクルマです、2代目になってこのグループに加わるカローラもまた同じです、しかしカローラはハッチバックだけでした。

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さて、このコルサ1500セダンは前輪駆動化に慎重だったトヨタが、アレック・イシゴニス方式の、しかしエンジンを縦置きに搭載することで、前輪駆動の悪癖であるトルクステアやタックインの軽減をめざした前輪駆動小型セダンです。

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アレック・イシゴニスはBMCの技術者で、あのオースチン7、即ち初代モーリス・ミニを設計した人です、ミニのエンジン・ミッションを2階建てにしたレイアウトを、イシゴニス方式などと言います。

これに対してエンジン・ミッションを一直線上のレイアウトしたものをフィアット500のダンテ・ジアコーサの名を取ってジアコーサ方式などと言います。

コルサの場合は、私はこのどちらにも当てはまると思うのですが、つまりミニよりRRのチンクに近い縦置きエンジンですから一直線上にエンジンミッションを置いていますが、デファレンシャルはエンジンの下にあって、つまりデフだけ2階建てというレイアウトです、ですからこれをもってイシゴニス方式というのでしょう。

コルサの場合と似たようなレイアウトはスバルがありますが、こちらはボクサーエンジンのせっかくの低さを生かすために2階建てではなく、デファレンシャルはミッションと一体になっています。

これを前後逆にしたのがジアコーサ方式のヒノ・コンテッサです、ヒノは今やトヨタの子会社ですから、もしかしたらこのあたりにルーツがあるのかもしれませんね。

だとしたら〇〇式と決めつけるのは大きな間違いかもしれません。

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いずれにしてもトヨタはこのAL10型でエンジンを縦置きにしたことで、つまりドライブシャフトを左右同じ長さにすることで前輪駆動を大幅にまろやかな乗り味にして、エンジンの下にデフを置くことで、全長4m足らずの小さなセダンに2,500mmのホイールベースと広い車室と居住性をもたらしました。

しかしそれはボンネットやベルトラインが比較的に高い位置となるボディデザインとなり、これが理解を得られない結果となったことが非常に残念です。

今なら当たり前の高さなのですけどね。

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エンジンも1A-U型は初期のベルト駆動SOHCでベルトが少し弛んだらバルブ周りの異音が不評で、私たちもタイミングベルトの慣れない内はその原因究明に苦労しました。

ただし、昭和54年に追加された1300cc2A-Uと同時に換装された3A-Uではこの問題は改良されていました。


乗り味は、私は言われなければ、前輪駆動だと判らない初めての前輪駆動車だ、という印象が残っています、なにしろ私が初めて乗った前輪駆動車はヒノ・コンマースであり、アクセルONOFFで進路が変わるN360も経験していますから、コルサの癖のない前輪駆動は驚きに値するものでした。

私は当時、我々がプロとして評価したクルマが必ずしも世間一般に受け入れられ、ベストセラーになるとは限らないものだなと、ちょっと自惚れたことを思ったものでした。

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posted by 健太朗 at 21:39| 京都 ☔| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

カローラ50周年 初代KE10

 カローラ50周年と言うことでこのところいろいろなキャンペーンやイベントが展開されています、第13回東京モーターショーで発表され、昭和41115日、初代カローラKE10が発売されてからもうすぐ51年になります。

そこで今回は初代カローラのカタログを見ながらお話しましょう。

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カローラKE10 05.jpg初代カローラが登場する前の昭和30年代後半、トヨタの乗用車はクラウン、コロナ、パブリカの3車種でした、そろそろ自家用車が一般市民にも普及し始めた、というのは当時の通産省が打Vち出した国民車構想の答えとして500ccから1000cc以下くらいのクルマが各メーカーから出揃って、でもパブリカ38.9万円、スバル36.5万円、カローラも初期は43.2万円でした、いずれにしても初任給1万数千円から見るとまだまだ高価でしたが少しづつ身近になってきた、という時代です。

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 カローラを開発するに当たって、主査の長谷川龍夫氏は「パブリカの反省にたって」と言います、パブリカは走行性能などは問題ないが、あまりにも簡潔な内装などのため、豪華さや快適性で軽自動車のデラックス化に追いつけなかったと言われています、さらに空冷2気筒の効率のよいエンジンではヒーターが充分でなかった、ということもあってメーカーの目標(月販3000)には及ばず不振のスタートだったと言われています。

 そのような反省にたって、カローラのポリシーを「80点+α主義」としたそうです、これは全体を80点以上の点でバランスして、その上でユーザーに魅力する、つまり+αを付け加えるという意味です、結果的に初代KE10では+100ccに焦点がが絞られたようになっていますが、実はこの時から「ひとつ上のクラスの豪華さ」と言うことを意識していたそうです。

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カローラKE10 06.jpg 改めてカローラのカタログを見ても「+100ccの余裕」などとはどこにも書かれていません、そしてフルリクライニングの豪華なシートやカーペットが上級クラスに見えますし、4速フロアシフトやホーンリングのない二本スポークのハンドルが新しさを感じさせます。

 ただしエンジンは、カローラの発売直前になって1000ccのサニーの情報が入り、急遽1100ccに変更されたという話しです、これに対応した工場の力もたいしたものですね。

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 カタログの1ページに「自動車をみんなのものに」とあります、それがトヨタの願いです、というのです、そして「見えないところにまで気を配り、1カ所の妥協もありません」「あなたの幸福な生活のシンボルです」モータリゼーションの幕開けにぴったりのフレーズですね。

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 次に独創的なスタイルを強調します、今ではこの大きさ(全長3845mm)のノッチバックセダンはありませんがバランスのとれたいい形だと私は思います。

 今のクルマと違ってプラモデルに見えないところがいいですね。


 「ヨーロッパの水準を破った高速設計」最高時速140km100kmで走っても75%の力しか使いません。

現在のカタログには最高速度は表示されません、試す輩がいると危ないからです、でもこの時代はこの数字が自慢でした、余計なことを言いますがこの時代のこの数字には誇張があります、誇張というと語弊がありますが少なくとも実用的な数字ではないでしょう、だから表示しないようになったのかもしれませんね。

 4速フロアシフトは実に心地よいフィーリングだった印象があります、そして2点式シートベルトはまだ一般的ではなくオプション設定でした。

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カローラKE10 15.jpg 「リビングルームそのままの快適設計」ボディと同色のダッシュパネルは鉄板です、そして国産車初のフルリクライニング、後席の背もたれが上がります。


 「すべての雑音を遮断した静粛設計」オーバーな表現ですがその後カローラはモデルチェンジごとに静かさが進化します。


 「健全家計にぴったりの経済設計」燃費22km/Lは平坦路での公式記録です、満タン36Lで東京から岡山まで走れる計算です、という宣伝文句はどうかと思いますね、今の燃費表示問題のルーツです。

 足回りは給油不要、と言っているのは当時画期的なことでした。


 「安心した高速ドライブが楽しめる安全設計」もちろん今とは較べられません、鉄板製のダッシュボードの上にパッドが張ってあるだけ、エアバッグもシートベルトもありません。

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 エンジンはKOHV1100cc60ps、非常に扱いやすいエンジンですが、当時は4段ミッションは2速で発進できて当たり前でしたので、ローで発進するカローラは高速タイプだといっていました。

 60度傾斜しているのもオイルフィルターがカートリッジ式なのも画期的でした。


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 フロントサスペンションがシンプルなマクファーソンストラットとロワーアームブッシュをラバーでで仕上げているのにも驚きました、それまではいかにも丈夫そうなダブルウィッシュボーンの弱い金属ブッシュを車検ごとに分解修理していたものですから。


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 さて、カローラは現在11代目です、初代は後輪駆動でしたが5代目で前輪駆動に変わります、だったら4代目までをクラシックカローラと呼ぶというのはどうでしょう、クラシックコルベットみたいでいいでしょう。

posted by 健太朗 at 20:09| 京都 ☁| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

スーパーカー.・トヨタ2000GT

  以前、トヨタ1600GTの話をしましたが、それならトヨタ2000GTの話もしましょうと思いましたが、残念ながら私は2000GTには乗ったことも整備にたずさわったこともありません、でもあの当時の2000GTの人気ぶりはよく覚えています。


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2000GTは昭和42年に発売されましたがこの当時、私たちの世代はまだ二輪車に興味があった時代ですので、オートバイの三大メーカーの内、スズキは既に四輪部門を持ってるし、ホンダが四輪スポーツカーに進出したのにヤマハはどうなの、なんて話題で盛り上がったりしていましたら、なんと後に国産車で唯一のスーパーカーと呼ばれるようになるトヨタの高級スポーツカー、トヨタ2000GTのエンジンを手がけた、と言うことで大いに感心したものでした。


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それはボディをトヨタが造り、エンジンはトヨタM型をベースにヤマハがチューンアップする、というものでしたが。

ヤマハがニッサンと協力して開発していたスポーツカー計画にトヨタが乗っかってベースエンジンとしてM型を提供しただけで、開発丸投げでトヨタのバッジを付けたのだ、といううわさが流れました。


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これらの噂はちょっとと違って、実はトヨタ・ヤマハの共同開発だったと言うことはずいぶん後になって、40年代後半のスーパーカーが流行ったころに知ったのです。


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実際には、ヤマハのスポーツカー計画にニッサンの力を借りようとしたところ、ニッサン側の都合でうまくいかなかった、というところにトヨタがエンジンのチューンアップを注文して来たと言うことから、共同開発の話になったのですが、その時すでにトヨタの方でシャシの設計が出来ていました、ですからこれをベースにトヨタの技術者がヤマハに出向するかたちで開発が進んでいきました、だから当然のようにヤマハの工場で委託生産と言うことになった、とまぁそんなところが事実のようです。


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ですからヤマハのエンジン技術の他にも楽器の木工技術もウッドパネルなどの生かされているそうです、ここから28ヶ月という短い期間で発売になった。というのも納得できる話しです。


これも歴史の裏側とみれば面白いお話ですね。


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ところで、私たちが初めてトヨタ2000GTを見たのは昭和40年、東京モーターショーを特集した自動車雑誌の記事でした。

この年は高度成長期のまっただ中にありながら少し不況の影が見え隠れした年ですが、プレジデントが発売されコロナが飛ぶように売れた頃で、一方モータースポーツが身近なり始めてスカイラインGTR380、ヒノプロトタイプ、ホンダF1もショーを賑わしていました。


その中で、トヨタ2000GTはショーモデルとみられて、前述の雑誌には「最高速250km/hはあながち誇張ではなさそう」とか「我が国で使われるには大きすぎる」とかの記述があります。

でも大きさは全長4160mm1600mmですから今なら私のアクアより少し小さいくらいでしょう、幅が広いだけの3ナンバーが流行る時代から見れば決して大きくはないですね。


でもこの時点でほぼ出来上がっていたのですから凄いものですね。


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そして次の年は世田谷で樹立された世界記録、国際記録を報じていますが、オープンタイプが007のボンドカーになったこともあって「近くこのまま発売されるでしょう」としています。

でも実際に生産車として発売されたのは約半年後の昭和425月です。




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最近、トヨタ 2000GT 50周年ということで、開発の高木英匡さんと津々見友彦さんの対談の記事を読みました。

そこで高木さんは「ヤマハの川上源一社長からトヨタ側に「なにかいっしょにやりませんか?」という打診がありました。それで、ちょうどいいタイミングだということで共同で開発することになったんです。」といっています。

また、「エンジンも含めた車両全体の開発作業の流れは、まずトヨタがコンセプトを固めて、設計を主導。ヤマハはそれを受けて各部分を開発し、トヨタが承認するという流れでした。実際にヤマハとの契約がスタートしたのは12月ごろで、設計が完了したのは翌年4月ぐらいでしたかね。それで1号車が完成したのは8月です。」早いですよね。

「普通のクルマの開発に比べてかなり早い。集中的に作業できたのがよかったんでしょう。エンジン、シャシー、ボディの3グループに分かれて進めていたんですけど、どれも実際の作業はヤマハ側のほうがずっと多かったので、毎週1回はヤマハに泊まり込んで作業してましたよ。」


そして「好奇心と夢と情熱、、トヨタに長く勤めたなかで、大切な仕事のひとつです。いまでもこうやって、多くの人に興味を持っていただけるというのは誇りに思いますよ。」

津々見さんは「こんなに美しいカタチ、美しい音に包まれながらサーキットを走れるなんて、至極の時間でした。開発者の英智やセンスが、いかに素晴らしいものだったかがわかります。携われたというのはラッキーだったし、幸せです。」と仰っています。


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posted by 健太朗 at 22:29| 京都 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする