2020年03月16日

足のいいやつ・カリーナ

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 1970年(昭和45年)は万国博覧会が開催された年だ。

 しかしこの年は激動の年で、「時代が一つ変わったな」と感じた年でもあった。

 三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を図り、赤軍派による日航機「よど号」ハイジャック事件、デビ・スカルノ元インドネシア大統領夫人がパリに逃亡し、またボーイング747ジャンボジェット機が就航、トミカの国産車ミニカーがヒット、世界初の缶入りコーヒーや電子ジャーなどの画期的な家庭用電化製品が次々と発売された。

 そして昭和30年代からの高度成長期は膨らみ、鉄道の無煙化によりD51蒸気機関車が引退し、デゴイチさよなら運転では東京駅を新幹線と同時に出発する姿がカラーテレビで見られた、また世界中を熱狂させたビートルズがポールマッカートニーの脱退で解散した。

 そんな年の12月、セリカとともにカリーナが登場した。

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 和製ムスタングとも揶揄されたセリカのセダン版として登場したカリーナは、カローラとコロナの間を埋める小型スポーツセダンであって、「足のいいやつ」というキャッチコピーはそのキャラクターを象徴してアクション俳優の千葉真一がコマーシャルに出演していた

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 シャシはセリカと共通で前ストラット、後4リンクリジットとハンドリングに注力した先進のメカニズムを採用していた、まだコロナもカローラもクラウンでさえ後ろはリーフスプリングの時代にだ。

 エンジンもセリカと同じT型1400cc1600ccだったが、後には2T-G1600ccツインカムや3T型1700cc、それにR型2000ccツインカムのGTも用意された。

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 当時のトヨタ車にはなかったスポーツセダンというより「スポーツを忘れないセダン」といった立ち位置だったとおもう。

 私の印象ではRT40コロナの落ち着いた乗り心地と違って、また初代カローラの軽快なフットワークでもない、どこかばたついた未完成な仕上がりに思えたことを覚えている。

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 またT型エンジンも、この頃から始まっていた排気ガス対策のせいか、重苦しくかったるい印象が晴れないエンジンだったように思う。

しかしこの初代カリーナのセールスは好調で45年12月から52年8月まで7年間、モデルチェンジなく71万台あまり販売されたベストセラーなのだ、トヨタにはこういう隠れたベストセラーが多くあるから面白い。

 思えば素っ気ない長方形のグリルに丸形4灯ヘッドライトを埋め込み外側ロービームだけ四角い枠をつけて角形に見せる小細工はちょっとユニークに見えるし、縦長方形のテールランプも赤一色で個性的だし、もうなくなりつつあった2ドアセダンもスポーティーで魅力的ではあった。

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 ボディタイプは後に2ドアハードトップや3ドアリフトバッククーペ、そしてバン、ワゴンも追加して、コロナ以上のバリエーションになったので、、という割には街で見かけることが少なかったかな、と思うのである。

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 私の自動車屋でもマイナーチェンジ後の1600GTを一台売ったにすぎないクルマだった。

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 そしてモデルチェンジして昭和50年代の2台目3代目は少し売れたが、「クルマに個性がなくなったなあ」と思わせる第一人車だ、と思っていたら4代目ではコロナと統合されてしまった。

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posted by 健太朗 at 11:48| 京都 ☁| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

タケちゃんのセリカ

 表題のタケちゃんは仮名であるが、私の妹の亭主である。

 現在はちょっとした病気で臥せっているが、現役バリバリの頃は、私のような職人ではなく京都の伝統産業である、きもの、を扱う室町の会社で、京都でも一二を争うような成績を上げる営業マンであった。

 そのタケちゃんが社内恋愛で妹と結婚した頃、乗っていたのが初代セリカである。

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1970東京モーターショー

 セリカは昭和45年、大阪万博の年に発売されたノッチバック・クーペで同時に登場したカリーナと車台を共通している。

 特徴は他のスポーツタイプのように高性能エンジンを積んで足を固めるだけではなく、スペシャリティ・カーとしてどんな顧客にも最適な仕様のクルマが仕立てられように「フルチョイス・システム」を採用したところにある。

 昭和45年といえば日本は高度成長期の真っただ中にあり、急速にクルマが普及した時代で、人々の生活レベルが向上してクルマが生活需品になりつつあった、また若い人たちにも個人で車を所有できるような社会の雰囲気が醸成されようとしていた。

 そんな中にあって、実用的なクルマの使い方よりドライブの楽しさや自分好みの車を所有する満足感を求める人々が増え、これに刺激を受けた日本車各メーカーは、スカイラインスポーツやシルビアなどのクーペを開発していた。

 またアメリカでは1950年代のサンダーバード、60年代にはムスタングがヒットを飛ばしていて、ここからスペシャリティ・カーというジャンルが生まれたのである。

 その波に乗るようにトヨタは昭和44年第16回東京モーターショーにEX-1というコンセプトモデルを出品した。

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EX-1

 そしてこれを現実のものとした国産初のスペシャリティ・カーがトヨタ・セリカであった。

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初代セリカ

 セリカのデザインはほかのどのクルマにも似ていない、それこそスペシャルな2ドアの2+2クーペであってEX-1そのままの個性的な美しさは、素早く当時の若者に受けいれられ大ヒットとなった。

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 個性的なデザインとは逆にシャシは前述のようにカリーナ4ドアセダンと同じ前ストラット後4リンクリジット、前ディスク後ドラムブレーキと極めて普通であったが、代わりに販売にはデイリーオーダーシステムによって、1400cc-1600ccの4種のエンジンや4速・5速MTと3速AT 、その他車体色や内装、それにオプションなどフルチョイスシステムによって100万とおりともいわれる自分だけのクルマが作れるようになっていて、価格も57万円台から100万円前後までと幅広い選択ができたということだ。

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シンプルなET

 ま、現実にはこのシステムをフルに活用した人は少なかったようで1-2年の間になくなってしまったようだ。

 タケちゃんのセリカも普通にSTというコータイズブルーの2TB1600ccOHVツインキャブレターエンジンの5速MTの仕様であった。

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1600GT

 そのかわり、このような普通の乗用車のようなクーペに満足できない人のために1600GTやGT-Vまたリフトバックが用意されるようになった。

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1970東京モーターショーSV1
後のセリカ・リフトバック

 普通の乗用車とはいうが、900kgに満たない車体を1600cc2キャブのエンジンと5速MTで走らせると、それなりにスポーティなクルマだったとの記憶がある、軽いクラッチとシフトやアクセルの操作感は、この頃のトヨタ車に共通の扱いやすいさがあったと思う。
 また親戚兄弟が集まってみんなで出かけたドライブやレジャーでもタケちゃんのセリカは今でも好印象が残っている

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LTというグレード










posted by 健太朗 at 17:24| 京都 ☁| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

高級車2代目クラウン

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クラウンは昭和30年、先行発売されていたトヨペット・スーパーの自家用車向けとして発売されました。

他社がヒルマンやオースチン、ルノーはたまたカイザーなどと提携してノックダウン生産をする中、1940年代のアメリカ車をお手本にしながらも、純国産車として開発されたトヨペット・クラウンは、特に真空管式ラジオや温水ヒーターなどを備えたクラウン・デラックスが好評で、当時の価格がコーヒー160円の時代に100万円以上もした高級車ですが、モデルチェンジするまでの7年間で15万台余り生産され、ビッグトヨタの礎を築いたクルマになりました。

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昭和357月には、それまで1500cc以下だった小型自動車つまり5ナンバー車の規格が2000cc以下に、車体寸法も長さ:4.3mから4.7m以下に改正され、また昭和40年の輸入自由化に備え昭和37年、クラウンはRS40系にモデルチェンジされました。

10月にトヨタから発売された2代目クラウンは丸形デザイン・観音開きの旧型から直線基調の近代的なスタイルの、4ドアセダンと規格いっぱいのステーションワゴンになりました。

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今回の写真は前半が初期型、後半は最終型です。


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そのスタイリングは1960年のフォード・ファルコンがお手本と言われるように、アメリカ車の影響を強く受けたフラットデッキというデザインでトヨタのTを表したフロントグリルはリアパネルと共にジュラルミン製だそうです。

そして丸形のテールランプはスカイラインやコルト、ホンダスポーツのデザインにも影響を及ぼしています。

2代目クラウンのコンセプトは14代を数える現在のGS21系まで、さらに次期クラウンと言われている2017東京モーターショーに出品されたコンセプトモデルまでほぼ変わらず続いています。

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シャシは初代の梯子形に換わってX型メンバーのプラットフォームが採用され、私の印象ですが、シフトレバーのカチッとした操作感と合わせて、全体に堅い印象のクルマになりました、その代わりに下に潜ってする作業の整備性が少し悪くなりました。

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シフトレバーと言えば、Sの4速フロアシフトと当時まだ色物と言われたトヨグライドというAT以外はすべて3速コラムシフトですが、後期型の6気筒車には遊星ギヤのオーバードライブがセットされていて、メーター左手下辺りにあるノブを押して、確か60km/hを超えるとODONになります、つまり3速プラス1速ということで、変速ショックもなく、かなり静かになったという記憶があります。

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エンジンは初期型では3R OHV4気筒1900ccでこの時代はスタンダードとデラックスで馬力に差を付けるケースが多かったので、クラウンでもSTD80馬力、DX90馬力でした。

昭和40年のマイナーチェンジでMSOHC直列6気筒2000cc100馬力と105馬力、クラウンSにはSUツインキャブ125馬力が搭載されました。

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これらのエンジンは他の国産車に較べて整備性が良く、新米修理工としては性能よりも何よりも整備性の良さで好きになったクルマの一つです。

でもR型は元来低速トルクが強い扱いやすいエンジンですし、3R1900になってから高速でも静かで力強い、いまでいうコストパフォーマンスの良いエンジンだったと思います、そしてM型は後の2000GTやス-プラの高性能エンジンの元になったエンジンですので、基本がしっかりしたエンジンでしょう、滑らかで使いやすく高級車にふさわしいエンジンだったと思います。

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ちなみに、昭和38年鈴鹿で行われた第1回日本グランプリレースのツーリングカーレースで優勝したクラウンは4気筒1900のスタンダードでした。

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実は私、運転免許の実技試験をこのクラウンの初期型で受けました、セドリックとクラウン、どちらか選ぶことが出来ましたが、パワステなどない時代ですからステアリングギヤ比が大きくてロックツーロック4回転のセドリックより少々ハンドルが重くても3回転のクラウンを選んだのです、しかしクラウンはクラッチも重かったのと、R型エンジンは、ノッキング音が出やすくこれが試験の点数に影響したことをよく覚えています。

なぜよく覚えてるかと言いますと、この実技試験の点数が96点、マイナス点がノッキング音2回だけだったからです、「セドリックやったらノッキングせぇへんのになあ、」なんて悔やんだものです。


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クラウン・エイト

クラウンが2代目になった昭和30年代後半は高級車と言えばほとんどアメリカ車の大きなセダンでした、これに対応すべくクラウンからクラウン・エイトが誕生します、ボディを少し拡大して、V8気筒2600ccのエンジンを積んで国産車初の3ナンバー乗用車と話題を呼びました。

慌てたニッサンは初代セドリックのボンネットを伸ばして2800cc6気筒エンジンを積んでセドリック・スペシャルを発売し、プリンスも2代目グロリアに2500ccグランド・グロリアを出しますがいずれもクラウン・エイトのような本格的な物ではなく、急ごしらえの物でした。

このクラウン・エイトは後のセンチュリーやセルシオにそのノウハウが生かされ、強いては現在のレクサスに高級車の歴史をつないでいます。


posted by 健太朗 at 21:33| 京都 ☀| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする