2020年05月10日

クラウン65周年

 クラウンが65周年だそうだ。

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 思えば私も65年前にはもう自動車大好き少年だったからクラウンが生まれた時から見てきたことになる。

 初代クラウンの話は「駐車場のクラウン」で幼馴染みとのエピソードとともに書いているが、今回はカタログ写真などを見ながら話をする。

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 外観のデザインは正に当時のアメリカ車のデザインを参考に(模写)したような・・・。

 4285×1680×1525・1500ccは現在のカローラよりかなり小さいサイズだが、小型車5ナンバー枠いっぱいの高級車であった。

 あえてこんな画像を添えてみた。

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1955年オールズモビル88セダン
トヨタがこれを真似したわけではない
でもコロナにもちょっと似ている

 でも当時のアメリカ車で観音開きドアは珍しく、60年代のリンカーン・コンチネンタル以外は覚えがない。

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リンカーンコンチネンタル

 初代トヨペット・クラウンRSが発売されたのは昭和30年(1955)1月、「外国車依存か国産車育成か」の議論の中、日野・いすゞ・日産のノックダウン組に対して、国産技術で勝負するトヨタが総力を挙げて開発、発売した。

 それでも戦後10年に満たない当時の日本の道路整備が追いついてなかったので、クラウンと同時にトラックの堅牢さを備えたマスターというタクシー用の乗用車も発売するという用心深さを示した。

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マスターRR型

 ところが昭和31年、朝日新聞社が「ロンドンー東京5万キロドライブ」を約8カ月間かけて敢行し、大偉業として国内外から大きな賞賛を浴びた。

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 このようにクラウンの堅牢さが証明でき、またタクシー運転手からの要望もあって、マスターはたった2年ほどで役目を終え、以降マスターラインという商業車として活躍した。

 エンジンはクラウン以前のスーパーから踏襲したトヨタ新鋭のR型4気筒頭上弁式1453cc55馬力スクエアタイプ12ボルトシステム、このエンジンは今ならかなり旧式のエンジンに見えるがなかなかの優れエンジンで、1953年から1993年まで採用されている、もちろん初期と最後期では全く違うエンジンだと言ってよいが、基本形のR型がすぐれているからこそクラウンを始めマークⅡ1600GT果てはトヨエースやランクルに至るまでいろいろなクルマに使われてきたのだ、正にトヨタを代表する傑作エンジンと言える。

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 私もマイカーとして2代目のRT20トヨペットコロナに3年間ほど乗ったが、使いやすさでは国産車トップクラスだと思う。


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 この時代のカタログにはこのような画像を見かけることが多かった、上のモノクロ画像は悪路で車輪の揺れに対して乗員はほとんど揺れないことを表現している。

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 豪華なシートと内装。最近はいかにも化学繊維を使ったシート地が多いがこの頃は高級毛織りを使っているかビニール張りか、だった。

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 ラジオはまだ真空管式でスーパーヘテロダインという高性能な受信装置を使っている、押しボタンで5局選択できるが鮮明に聞こえるラジオ局が5つもなかった。(少なくとも京都では・・。)

 最高速度は110km/h登坂能力1/3、スクエアエンジンといながらボア/ストロークは77×78、55馬力時の回転は4400rpm10.5のトルクは2600回転で出すのだから、高速道路が出来る前のクルマはこの性能でよかったのだ、時速60kmでおそらく3000回転近く廻っただろうから、今のクルマの静かさとはレベルが違うのだろうが、当時としては静かで穏やかな乗り心地だったのだ。

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 ところでトヨペットという車名だが、戦後初の小型車(SA型乗用車、SB型トラック)の愛称は一般からの公募で決められたという。

 そしてトヨペットは販売店名にもなってゆく、クラウンは当初、東京トヨペットで販売されたそうだ、後にトヨタ店が全国に出来てこちらで販売するようになった、また大阪では大阪トヨペットと大阪トヨタが社名を交換したそうだ、これが平成18年にことだと言うから驚きだ。

 ちなみにクラウンは昭和46年(1971)4代目からトヨタになっている、そして最終は、昭和53年(1978)6代目コロナが、車名をトヨペット・コロナからトヨタ・コロナに変わって、トヨペットの車名は消滅した。

 トヨペットでもトヨタでもどっちでもいいじゃないか、とのたまうなかれ。車検証の車名欄にはクラウンではなくトヨタまたはトヨペットと書かれているのである。














posted by 健太朗 at 18:03| 京都 ☔| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

カタログコレクションから・青春のスターレット

コロナ渦の中、頑張っている皆様、苦しんでいる方々、謹んでお見舞い申し上げます。

 そういう私も不安を抱えながら、まだデイサービスの仕事に出ております、福祉事業の仕事はおいそれと休業ということにはならないようです。

 医療機関の皆様も休むことは出来ないでしょうが、命がけのお仕事には感謝のエネルギーを送りたいと思います。

 どうか皆さん大変でしょうが、不安の闇は光に変え、不満苦悩の想いは感謝に変えてこの事態を乗り越えていきましょう、一人の力は小さくても皆の力が集まれば大きな力になると思います。



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さて、今回はカタログコレクションから・青春のスターレットの話をします。

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 初代パブリカ・スターレットは昭和48年に発売された、これは以前にも紹介したが2代目パブリカの車台にジウジアーロのクーペ風ボディを載せた魅力的なクルマだった。

 そして2代目は昭和53年、パブリカが廃止されたためトヨタ・スターレットになって、ベーシックカーとしてコンパクトハッチバック、つまりこの時代の大衆車そのものになった。

 スターレットのルーツであるパブリカは昭和36年、当時の通商産業省が提唱した国民車構想に呼応したシンプルで経済的な大衆車であったので、これこそがパブリカの正常進化版だと云えるのではないかと思う。

 車体形式は初代パブリカ・UP10のPを継承している、トヨタの通例通りエンジン形式とこのPを組み合わせて、モデルチェンジでは後ろの数字を変えている、ダイハツOEMのコンソルテはダイハツ製FE型エンジンでEP30、コンソルテクーペはそのままKP40となっている。

 そして最後のスターレットは平成11年E型ツインカムエンジンとN型ディーゼルも載ってP90として、初代からのトータル1,631,441台を販売して姿を消している。

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さて今回の話は4代目スターレットEP80系、平成元年12月のカタログだ。

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 3代目でFF化されたEP70は平成の時代になってEP80系に進化、エンジンもDOHC1331cc100psになった、このDOHCはハイメカツインカムと呼ばれ、排気側カムシャフトをゴッグドベルトで駆動してギヤで吸気側カムシャフトを回す、これによってシリンダヘッドを大幅に小さく作ることでエンジンをコンパクトにしている。

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 これにターボチャージャーを加えたGTは実に135psに達してリッターあたり100psを僅かに超えている。

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 ボディはスポーティな先代より角が取れて円みを帯びたデザインだ、カローラE90系やマークⅡX80系とシリーズデザインとなっている。

 走りは私の印象では、3代目と比べて幾分マイルドにはなっているが、韋駄天の呼ばれた3代目より力強い加速感があったと思うし、ハンドリングに安定感がある、外観と同じで角が取れた印象があって、進化した感が強いなと感じた記憶がある。

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 実は私はこのクルマには苦~い思い出がある。

 あるとき顧客が「少しオイル漏れ」があると私の自動車屋に持ち込まれた。

早速ジャッキアップしてのぞいてみるとドライブシャフト・ブーツに亀裂があって、オイルではなくグリースが飛び散っていた、どうやら走行中に何かを引っかけて傷がついたような感じで、まだ新しいのにほんの少しだけ裂けたように穴が開いていた。

 顧客は「まだ新しいので純正部品で」とおっしゃるので、分解せずに交換できる分割式の社外品は使わずに、ドライブシャフトを分解してブーツ交換をした。

 さてドライブシャフトを外したらデフオイルが漏れ出して来るので、漏れた分だけデフオイルを補充するのだが、このクルマの場合はオートマチック・フルードが入っていたので、オートマチックギヤボックスのオートマチック・フルードをゲージで確認しながら補充して修理完了となった。

 それから半年ほど経って、「走行中、うなるような異音がする」と言うことで入庫した。

 走行って見るとなるほど「ごーごー」という音が聞き取れた、私はギヤボックスからのベアリングからの異音だと判断した。

 しかしこのクルマは前述の通りまだ新しいクルマで、新車から2年になっていないので、もしかしたらクレーム修理になるかもしれないと思ってディーラーに持ち込んだのである。

 明くる日ディーラーから電話があって、「デフオイルの不足でデファレンシャルギアのメインベアリングからの異音があるが、ドライブシャフト・ブーツの修理暦がある」。。。

 ― これは私のミスを暴かれたのである。―

 スターレットのデフとミッションは完全に別になっているそうである。

 つまり、ドライブシャフトを外してデフオイルが流出すると、ATからは補給できないと云うことである。

 すなわちこのスターレットの故障は整備ミスと云うことになる。

(しかしこれは街の自動車屋の技術力の限界である。ミッションとデフが完全に隔離されていることを知らなかったことが、今回の一件になったといえるわけだし、ディーラーやメーカーにその責任を持っていくのは筋違いだったのだ。しかし、知らなかったことはメカニックとして恥ずかしいことだが、あのときデフにATFが使ってあったのは事実だ、そしてミッションとデフが一体になったクルマはいくらでもある。だから不可抗力である。)

 なんてことを当時は考えたと思う。

 でもこれはプロとして言ってはいけないことだった。

 もちろん言うまでもなく、この一件は私の自動車屋で顧客に謝罪の上、クレーム修理とさせてもらった。

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posted by 健太朗 at 17:31| 京都 | Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月16日

足のいいやつ・カリーナ

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 1970年(昭和45年)は万国博覧会が開催された年だ。

 しかしこの年は激動の年で、「時代が一つ変わったな」と感じた年でもあった。

 三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を図り、赤軍派による日航機「よど号」ハイジャック事件、デビ・スカルノ元インドネシア大統領夫人がパリに逃亡し、またボーイング747ジャンボジェット機が就航、トミカの国産車ミニカーがヒット、世界初の缶入りコーヒーや電子ジャーなどの画期的な家庭用電化製品が次々と発売された。

 そして昭和30年代からの高度成長期は膨らみ、鉄道の無煙化によりD51蒸気機関車が引退し、デゴイチさよなら運転では東京駅を新幹線と同時に出発する姿がカラーテレビで見られた、また世界中を熱狂させたビートルズがポールマッカートニーの脱退で解散した。

 そんな年の12月、セリカとともにカリーナが登場した。

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 和製ムスタングとも揶揄されたセリカのセダン版として登場したカリーナは、カローラとコロナの間を埋める小型スポーツセダンであって、「足のいいやつ」というキャッチコピーはそのキャラクターを象徴してアクション俳優の千葉真一がコマーシャルに出演していた

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 シャシはセリカと共通で前ストラット、後4リンクリジットとハンドリングに注力した先進のメカニズムを採用していた、まだコロナもカローラもクラウンでさえ後ろはリーフスプリングの時代にだ。

 エンジンもセリカと同じT型1400cc1600ccだったが、後には2T-G1600ccツインカムや3T型1700cc、それにR型2000ccツインカムのGTも用意された。

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 当時のトヨタ車にはなかったスポーツセダンというより「スポーツを忘れないセダン」といった立ち位置だったとおもう。

 私の印象ではRT40コロナの落ち着いた乗り心地と違って、また初代カローラの軽快なフットワークでもない、どこかばたついた未完成な仕上がりに思えたことを覚えている。

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 またT型エンジンも、この頃から始まっていた排気ガス対策のせいか、重苦しくかったるい印象が晴れないエンジンだったように思う。

しかしこの初代カリーナのセールスは好調で45年12月から52年8月まで7年間、モデルチェンジなく71万台あまり販売されたベストセラーなのだ、トヨタにはこういう隠れたベストセラーが多くあるから面白い。

 思えば素っ気ない長方形のグリルに丸形4灯ヘッドライトを埋め込み外側ロービームだけ四角い枠をつけて角形に見せる小細工はちょっとユニークに見えるし、縦長方形のテールランプも赤一色で個性的だし、もうなくなりつつあった2ドアセダンもスポーティーで魅力的ではあった。

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 ボディタイプは後に2ドアハードトップや3ドアリフトバッククーペ、そしてバン、ワゴンも追加して、コロナ以上のバリエーションになったので、、という割には街で見かけることが少なかったかな、と思うのである。

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 私の自動車屋でもマイナーチェンジ後の1600GTを一台売ったにすぎないクルマだった。

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 そしてモデルチェンジして昭和50年代の2台目3代目は少し売れたが、「クルマに個性がなくなったなあ」と思わせる第一人車だ、と思っていたら4代目ではコロナと統合されてしまった。

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posted by 健太朗 at 11:48| 京都 ☁| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする