2020年10月01日

カタログコレクションから・初代コロナ

 新型コロナウィルスが流行して社会にストレスが溜まっているときにトヨペットコロナの話を持ち出すのは少々心苦しいのですが、前回、ブルーバードの先代モデル、ダットサン1000の話をしましたので、ここはやっぱりコロナの話もしなくては、と言うことで今回は初代コロナST10を取り上げました、今回もカタログから画像を拝借します。

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この時代のカタログは何故か写真のようなイラストが多かったようです

 初代クラウンが発売された昭和30年頃、「もはや戦後ではない」と言われるような、神武景気が始まった頃で、クラウンにより「自家用車」という言葉を良く聞くようになりました。

 しかしまだまだタクシーの時代でクラウンの耐久性が認められるまでは、トヨペットマスターという古い固定軸のタクシー専用車が売られていました。

 ただしクラウンの信頼性が認められてマスターが消えるまで2年もかかりませんでした、そしてその頃には神武景気が一転して、なべ底不況が始まり、タクシーは外国車や高級車からダットサンのような小型車に移行してゆきます。

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ST10スタンダードで649,000円

 トヨタにもタクシー業界から60万円程度の小型車を開発してほしいとの声が掛かるようになりました。

 もちろんトヨタでも後にPT20コロナとなるはずの小型車を開発中でしたが、タクシー業界からの、また販売店からの「待てない」との大きな声に押される形で急ごしらえの小型車を造ってしまいました。

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クラウンとマスターの長所を取り入れた新設計

 サスペンション周りはクラウン、その上にマスターのボディを載せ、前後を縮めて戦前からのS型エンジンを積むという芸当で新型車トヨペットSRを開発しました。

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クラウンのサスペンション、前ダブルウイッシュボーンはキングピン
サイドバルブエンジンはヘッドが平らです

 乱暴な表現をしましたがこのボディは単体構造が採用されました、単体構造というのは後にモノコックボディと呼ばれるようになりますが、その走りのような技術でシャシが受け持つ衝撃を車体全体で受ける構造で、ビルトインフレームとも呼ばれます。

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モノコックの走り、ビルトインフレーム

 トヨペットSRはやがてマイナーと変わり、発売直前にトヨペットコロナST10となりました。昭和32年のことです。

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まだまだ自家用車の時代ではありません

 3912×1470という大きさは今の軽自動車を少し長くしたような寸法ですが、4人の大人がゆっくり座れる車室を持っています。

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ラジオ・ヒーターは注文によりお付けします

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 この時代のタクシーは、運転手は左手を思いっきり伸ばして後部座席のドアを開けなければなりませんでしたから、この車幅で適当だったのでしょう。

 エンジンは4気筒直列側弁式長行程995cc33馬力で960kgの車両を走らせますから、大した性能ではなかったのでしょうが堂々としたクルマに見えました。

 私はこのクルマにもちょっとした思い出があります。

 学校を卒業して就職する前に整備士を養成する専門学校に通ったのですが、そこでの実習授業で使われたのが、もうポンコツ寸前のコロナだったのです、先生がこのクルマをハンマーでたたいても良いから、と言うので思いっきりたたいたら、「ハイこれを治しましょう」板金修理の授業です、もう一つのグループには、「エンジンは掛かりますか?掛かりませんね、ハイッ、エンジンを降ろして分解整備をしましょう。」

 こんな調子ですから、この学校に通っている時代は本当に楽しかったと思っています、でもサイドバルブエンジンの分解はバルブ周りとカムシャフトが面倒だった記憶があります。

もう半世紀以上も前の話ですから、このころの友人ともさすがに近頃は交流も途絶えがちですが、一生の友達だと思っています。

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マイナーチェンジしてPT10となったが価格は下がって648,500円

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エンジンはOHVになって45馬力
























posted by 健太朗 at 11:20| 京都 ☁| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月09日

カタログコレクションから・ハイエース

 それまで日産キャブライトか日野コンマースくらいしかなかった小型バンの世界に昭和42年、ハイエースが誕生しました。

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 最初はまずトラックが出て、数ヶ月後にライトバンやワゴンが追加されたのですが、ハイエースの特徴がキャブオーバーであるというだけに、期待は大きかったと思われます。

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 戦後、三輪車で発展してきたトラックはやがて四輪になりましたが、それはボンネット型トラックで三輪に比べて荷台は小さいものでした。

 そこでキャビンを背高にしてボンネット部分、つまりエンジンルームを極力小さくして荷台を広げた、セミキャブオーバーといわれるトラックが出てきました。

 それは三輪車を四輪車にする為にエンジンを前に移動し、運転席と助手席を並べてボントラ→セミキャブと変わっても、三輪車のように小回りが利きませんからホイールベースを長くとれません。

 それならエンジンをもう一度後ろに、運転席のシート下に移動させて前輪も後ろに移動させますとキャビンの一部が前オーバーハングに来る分、荷台を長く出来ます。

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 というわけでセミがとれてフルキャブオーバーのトラックが出来たのです。

 但しセミキャブオーバーという呼び方は最初からそう呼ばれたのではなく、フルに対してセミと呼んだのではないかと思います。

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 こうして生まれたハイエースですが、それはトヨエースの弟分との位置づけでした、この頃トラックの場合はまだ前輪もリジットアクスルが多かったのですが、 ハイエースはニーアクションつまり独立懸架を採用しているのです。

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 独立懸架のトラックは悪路に耐えられない、と言われた時代ですから、信頼性の評価に誤解があったのでしょうか、大きさはほとんど変わらないのにトヨエースより軽い運搬向きとされたようです。

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 しかし初代ハイエースはたちまち人気車種になって、度々の改良で信頼性も増して、モデルチェンジするまでの約9年間で40万台もの販売台数を記録しています。

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 私はこの頃、新米の修理工だったので、整備性と言うことには敏感というか仕事がしにくいクルマは嫌だったものですから、シート下にエンジンがあるのは手が入りにくい、とか、アッパーアームのブッシュの交換は手間が掛かる、とかマイナスの印象が多いのですが、そんなこととは裏腹に営業係はよく売れると喜んでいたものです。

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 特にデリバリーバンという名のライトバンは人気があって、私の自動車屋があった染め物の町では地方への出張には欠かせない道具となっていったようです。

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 全長4305mmという寸法を見れば最新のハイエースの標準車より40㎝も小さいのですが、後部シートをたためば布団が敷けると言われるほどの広さで、トラックの荷台に箱を載せたパネルバンと違って運転席と荷台が一室になった、しかもスタイリッシュなキャブオーバーのライトバンは最先端で、ライバルの日産キャラバンが出るまでは独壇場だったのです。

 掲載したカタログ写真は昭和50年のものですが、初期のものはスライドドアではなくヒンジドアで、しかも左側だけでした、乗用ワゴンとしてならこれでもよかったのではないかと思います。

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 私は当時、ハンドルは重いしクラッチは重いしブレーキペダルも重く、ワンテンポ遅れてじわーっと利くブレーキ、とこんな印象を持っていましたが、50年以降の最終型ではずいぶん改良されたと感じました。

 この後、ハイエースの兄弟はライトエース、タウンエース、ミニエースと続き、また後の世にはハイエース・グランビアやレジアスエースなどが出現します。























posted by 健太朗 at 14:46| 京都 ☁| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月10日

クラウン65周年

 クラウンが65周年だそうです。

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 思えば私も65年前にはもう自動車大好き少年でしたから、クラウンが生まれた時から見てきたことになります。

 初代クラウンの話は「駐車場のクラウン」で幼馴染みとのエピソードとともに書いていますが、今回はカタログ写真などを見ながら話をしましょう。

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 外観のデザインは正に当時のアメリカ車のデザインを参考に(模写)したような・・・。

 4285×1680×1525・1500ccは現在のカローラよりかなり小さいサイズですが、小型車5ナンバー枠いっぱいの高級車でした。

 あえてこんな画像を添えてみました。

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1955年オールズモビル88セダン
トヨタがこれを真似したわけではない
でもコロナにもちょっと似ている

 でも当時のアメリカ車で観音開きドアは珍しく、60年代のリンカーン・コンチネンタル以外に私は覚えがありません。

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リンカーンコンチネンタル

 初代トヨペット・クラウンRSが発売されたのは昭和30年(1955)1月、「外国車依存か国産車育成か」の議論の中、日野・いすゞ・日産のノックダウン組に対して、国産技術で勝負するトヨタが総力を挙げて開発、発売したクルマです。

 それでも戦後10年に満たない当時の日本の道路整備が追いついてなかったので、クラウンと同時にトラックの堅牢さを備えたマスターというタクシー用の乗用車も発売するという用心深さを示しました。

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マスターRR型

 ところが昭和31年、朝日新聞社が「ロンドンー東京5万キロドライブ」を約8カ月間かけて敢行し、大偉業として国内外から大きな賞賛を浴びたのです。

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 このようにクラウンの堅牢さが証明でき、またタクシー運転手からの要望もあって、マスターはたった2年ほどで役目を終え、以降マスターラインという商業車として活躍することになりました。

 エンジンはクラウン以前のスーパーから踏襲したトヨタ新鋭のR型4気筒頭上弁式1453cc55馬力スクエアタイプ12ボルトシステムです、このエンジンは今ならかなり旧式のエンジンに見えますが、なかなかの優れもののエンジンで、1953年から1993年まで採用されています、もちろん初期と最後期では全く違うエンジンだと言ってよいほど新化していますが、基本形のR型がすぐれているからこそクラウンを始めマークⅡ1600GT果てはトヨエースやランクルに至るまでいろいろなクルマに使われてきたのです、正にトヨタを代表する傑作と言えるエンジンなのです。

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 私もマイカーとして2代目のRT20トヨペットコロナに3年間ほど乗りましたが、使いやすさでは国産車トップクラスだと思います。


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 この時代のカタログにはこのような画像を見かけることがありました、上のモノクロ画像は悪路で車輪の揺れに対して乗員はほとんど揺れないことを表現しています。

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 豪華なシートと内装。最近はいかにも化学繊維を使ったシート地が多いのですが、この時代は高級毛織りを使っているかビニール張りか、でした。

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 ラジオはまだ真空管式でスーパーヘテロダインという高性能な受信装置を使っています、押しボタンで5局選択できますが鮮明に聞こえるラジオ局が5つもありませんでした。(少なくとも京都では・・。)

 最高速度は110km/h登坂能力1/3、スクエアエンジンといながらボア/ストロークは77×78、55馬力時の回転は4400rpm10.5のトルクは2600回転で出すのですから、高速道路が出来る前のクルマはこの性能でよかったのでしょう、時速60kmでおそらく3000回転近く廻ったでしょうから、今のクルマの静かさとはレベルが違うのでしょう、当時としては静かで穏やかな乗り心地だったのです。

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 ところでトヨペットという車名ですが、戦後初の小型車(SA型乗用車、SB型トラック)の愛称は一般からの公募で決められたそうです。

 そしてトヨペットは販売店名にもなっていきます、クラウンは当初、東京トヨペットで販売されたそうですが、後にトヨタ店が全国に出来てこちらで販売するようになりました、また大阪では大阪トヨペットと大阪トヨタが社名を交換したそうです、これが平成18年にことだと言うから驚きですね。

 ちなみにトヨペット・クラウンは昭和46年(1971)4代目になってトヨタ・クラウンに変わっています、そして最終は、昭和53年(1978)6代目コロナが、車名をトヨペット・コロナからトヨタ・コロナに変わって、トヨペットの車名はとうとう消滅しました。

 トヨペットでもトヨタでもどっちでもいいじゃないか、とのたまうことなかれ。車検証の車名欄にはクラウンではなくトヨタまたはトヨペットと書かれているのであります。














posted by 健太朗 at 18:03| 京都 ☔| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする