お兄ちゃんの軽トラ・ホンダT360

45万9千円で買える世界最小のスポーツカーは総アルミ合金製水冷4気筒ツインカム4連キャブレター、たった500㏄で100マイルのスピードが出せる。

 

こんな風に憧れの言葉を並べるときりがない、そしてあの、時計のように精密と言われたホンダオートバイのエンジン音に通じる機械的にして肉欲的な、そして官能的なフリクションを伴った甲高いサウンドが、自動車大好き少年を虜にして放さない。

 

とはいうものの当時の新米メカニックにとってそれは高嶺の花以外の何者でもなかった。

 

 

兄が乗っていたコニー360もそろそろ買い換え時が来ていて、しかしコニーもすでに2代にわたって乗ったし、さあどうしよう、とお兄ちゃんから相談があったのは私がホンダスポーツ500と本田宗一郎親爺さんに強い憧れを持っている頃だったから、当然のようにホンダT360を候補に挙げた。

 

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ホンダT360という軽トラックはあのホンダスポーツ500の原型となった、ホンダスポーツ360のエンジンをドライバーシートの下、つまりミッドシップに乗せたとんでもないスポーツ軽トラックなのだ。

 

お兄ちゃんには決して評判は良くなかったが、私は何かと理由を付けてはこの小さなスボーツトラックを乗り回した。

素晴らしいレスポンスとあのスポーツ500と同じサウンド、ただ堅いだけのサスペンションと絶対にグリップがよいとは云えないバイアスのトラックタイヤ、しかしめいっぱいのトレッドでふんばったデザインがこれをカバーする。

 

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床から生えたオルガン式ブレーキペダルと小さなアクセルペダルをヒールアンドトーで踏んづけて右手シフトレバーで思いっきりエンジンブレーキをかけてやると、まるでサーキットにでもいるように錯覚する。

 

だが、上り坂と重い荷物にはめっぽう弱い。低速トルクの弱いエンジンはこんな時、ギヤを落として思いっきり回転をあげてやらなければならない。そして、

 

1年もたった時、エンジン音はがさがさ、ウォーターポンプやオイルポンフはがたがた、見るも無惨に疲れ果ててしまった。これを防止する為にはスーパーカブのように千キロでオイル交換をしてやらなければならなかったのかもしれない。

 

こうしてお兄ちゃんのホンダT360は初回の車検を受ける前にダイハツハイゼットに替わっていった。

お兄ちゃんの軽トラ  ニューコニー360

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 昭和40年頃になると、兄の初代コニー360も少しはくたびれてきたらしく、新型が出たのを機会に乗り換えることになった。

  軽トラックのデザインを云々するのはなんだか本末転倒のようだが、ジャイアントコニーはその製品のすべてが商業車だった、にもかかわらず美しいクルマを追求したメーカーだったのではないかと私は思う。
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 このニューコニー360トラックも簡潔で、すっきりした美しいクルマだ、直線と方形で組み立て、特にボンネット左右のエッジラインを立てたデザインは当時のリンカーンコンチネンタルをぐくっぐくっと小さくしたような、小さすぎて誰も物まねとは言わない、いい物まねだ。

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 寸法も旧型とほとんど変わらないしたぶんホイールベースもそのまま、エンジンも基本的には同じなので、シャシの上に載せるボディのデザインを変えただけのモデルチェンジなのだが、なんだかすべて新しくなったような気分だったとの記憶がある。
  しかし変わらないと言っても特に操作系が旧型よりしっかりと堅い印象で、特にチェンジレバーやドアノブなどのしっかり感でずいぶん印象が違った。


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 ペダルはオルガン式から吊り下げ式になったし、コラムシフトのリンクも一部ワイヤー式からロッド式になった、ディマースイッチが足踏み式からコラムレバーに移動、等々が印象を変える細かい変更点だ。

  水平対向空冷OHV2気筒354㏄ドライサンプ式エンジンは16馬力から19馬力にパワーアップ、最高速度も64km/hから74km/hと速くなった。36004


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも私が気に入ったのは明るい室内のカラーだ、ボディと同じ薄めのグリーンを基調にしたパネルやシートはおしゃれで安物感が少なかった。

 当時の私はスバル360の時代で、まだ運転もベテランではなかったが、好んでこのコニー360に乗ったものだった、後ろの決して大きくない荷台に兄の店の商品を満載にして高速道路を走った時は、力はないしスピードは出ないので終始大笑いしながらだったが、明るくのんびりとした時代の一こまを思い出して、今ちょっと幸せな気分になる不思議なクルマだ。

追突のK360

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 ちょっと恥ずかしいことを告白する。
 「部品工場のミゼット」のページに同僚が事故を起こしたとと書いたが、実は私もやってしまったのだ。
 初めて軽自動車免許を取って三日目に追突事故を起こしてしまった。マツダK360に荷物を満載にして十条通りを走っているときのことである。
 前を走るタクシーが信号で止まったので、私も普通にブレーキを踏んだ。つもりである。だが、この軽三輪車の後ろブレーキは見事にロックして、つーと滑ってどすん。


  別に雨が降っていたわけでもなく、路面が凍っていたわけでもない。ましてやよそ見をしてブレーキが遅れたわけでもなく、普通に止まろうとしたのだ。只、K3のブレーキが後ろ二輪にしかなく、非常に非力であると云うことを私が知らなかっただけなのだ。
 まぁスピードが出ていたわけではないので双方ともクルマに傷もなく、またこの時代、むち打ち症などと言う言葉すらなく、ごめんなさいで事なきを得た。

 ミゼットがむかしの軽三輪車の代名詞のようになっているが、実は軽三輪は数え切れないほど沢山あったのだ。三菱レオ、ヂャイアントコニー、日野ハンビー、それにホープスターもあった。
 そしてミゼットと人気を二分していたのがマツダK360だ、600ccのT600もあった。キャビンの後ろに、つまりミッドシップに4サイクルVツイン11馬力を積んで最高速度65Km/h、性能は、特に秀でたものではなかったが、低い重心で抜群に安定性のある車体とそのデザインでケーサンと呼ばれて人気を呼んだ。
 ちなみに軽四輪ボンネットトラックのB360はビーヨンと呼ばれた。

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古い雑誌にこんなイラストが載っていた。

バックは一文菓子屋の店先だろうか、荷物を積んだK3が荒っぽくカーブしているが、運転手の頭がヘルメットにも見える。ほんとにこんな感じでわがもの顔で走っていたK3の姿がよく現れている。

 

 V型2気筒エンジンは、R360クーペにも載っていたがオート三輪ではよく使われていたそうだ。だがおそらくこのマツダのVツインが二輪を除けば世界で最後のVツインだろう、世界の乗用車ではモーガン・スリーホイラーが有名だがもっとむかしの話だ。

 三輪車の運転免許は16歳で取ることが出来た、つまり三輪車そのものはオートバイから発展してきたものだ。

 だからバーハンドルの三輪車はオートバイのようにエンジンをまたいで運転するのだ。
 これが丸ハンドルに進化してもまだエンジンの位置は同じ場所にあったから小型三輪はともかく軽のミゼットなどの足下はずいぶん窮屈だった。
 k360はその点ゆったりとしていた、なにしろキャビンと荷台のわずかな隙間にシリンダを立て、潤滑をドライサンプにすることによって、ほとんどキャビンの空間を犠牲にしていないのである。

 

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(後期型の運転席とチェンジレバーそれに助手席下のオイルタンク)

 エンジンオイルのタンクは助手席のシート下にあった、そしてオイルフィルターは今のようなカートリッジでもなく濾紙式でもなく、分解して洗浄するタイプだ。数枚の円盤にスラッジが吸着してこてこてになっているものを洗い油につけて洗った記憶がある。

 ミッションは3速、チェンジレバーは助手席下のオイルタンク横から生えていてぐにゃっと曲がった形の、長いレバーだ。
 ローはほとんど助手の膝上辺りまで引き上げて後ろにこつん、セカンドとトップは運転手の膝裏でこつこつとやる、シンクロメッシュというものが全くないのでダブルクラッチは自然に上達する。

 そのペダルは床から生えていたが、後期型は吊り下げ式に変わった。
 それと同時に窓がスライド式から引き上げ式に、これは透明のアクリル板を持ち上げて上のクリップに引っかけるものだ。
 フラッシャレバーはダッシュボード上のダイヤルだったものがコラムから生えるレバー式に変わった。当然オートリターンはまだ無い。またホーンスイッチはコラムから生えたヘッドライトスイッチを横から押す、ルノーのようなタイプだったものが普通のハンドルのセンターを押すタイプに変わり、ヘッドライトスイッチもレバーになった。
 私が以前勤めていた自動車屋に付属した部品工場では前期方と後期型があったのでよく覚えている。
 K360を知らない人には私のこの文章ではおわかりいただけないと思うが想像力を働かしてみていただきたい。

 ある夏の暑い日のこと、甲子園球場近くにあったダイハツの工場へ納品に行った帰り道、実はこの日大量の返品を食らって、前期型のK360の荷台は300Kgの積載量オーバーで走っていた。
 箕面の辺りであったろうか、長いだらだらとした上り坂、171号線は当時片側一車線だった。11馬力のK3にとってはつらい道のりだった。アクセルをいっぱい踏みつけても30キロくらいでばたばたよたよたと登っていた。
 突然、後ろから押されるような衝撃がどすんと来た。
 ルームミラーはない、右側のヘッドライトの上にスクーターのようなバックミラーがひとつあるだけだ、そのバックミラーいっぱいにトラックのフロントグリルが映っていた。
 追突されたのだ。

 その場にクルマを停めて降りてゆくと、ふそうの大きなボンネット型トラックだ、

「もっとはよ走らんかえ」
「これ以上出えへんにゃさかい、しゃあないやんけ」
「ほな、よけたらんけぇ、辛気くさい」
「ぶつからんでもええやろ」
「すまん」

 その後も決して道を譲ることもなく、かといって無理に追い越されることもなく、小さなK3と大きなトラックは道路が広くなるまでのんびりと走っていった。
 大きなトラックと言ったってせいぜい60馬力に2.5トンもの荷物を積んでいるのだから・・・。