2020年08月09日

カタログコレクションから・ハイエース

 それまで日産キャブライトか日野コンマースくらいしかなかった小型バンの世界に昭和42年、ハイエースが誕生しました。

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 最初はまずトラックが出て、数ヶ月後にライトバンやワゴンが追加されたのですが、ハイエースの特徴がキャブオーバーであるというだけに、期待は大きかったと思われます。

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 戦後、三輪車で発展してきたトラックはやがて四輪になりましたが、それはボンネット型トラックで三輪に比べて荷台は小さいものでした。

 そこでキャビンを背高にしてボンネット部分、つまりエンジンルームを極力小さくして荷台を広げた、セミキャブオーバーといわれるトラックが出てきました。

 それは三輪車を四輪車にする為にエンジンを前に移動し、運転席と助手席を並べてボントラ→セミキャブと変わっても、三輪車のように小回りが利きませんからホイールベースを長くとれません。

 それならエンジンをもう一度後ろに、運転席のシート下に移動させて前輪も後ろに移動させますとキャビンの一部が前オーバーハングに来る分、荷台を長く出来ます。

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 というわけでセミがとれてフルキャブオーバーのトラックが出来たのです。

 但しセミキャブオーバーという呼び方は最初からそう呼ばれたのではなく、フルに対してセミと呼んだのではないかと思います。

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 こうして生まれたハイエースですが、それはトヨエースの弟分との位置づけでした、この頃トラックの場合はまだ前輪もリジットアクスルが多かったのですが、 ハイエースはニーアクションつまり独立懸架を採用しているのです。

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 独立懸架のトラックは悪路に耐えられない、と言われた時代ですから、信頼性の評価に誤解があったのでしょうか、大きさはほとんど変わらないのにトヨエースより軽い運搬向きとされたようです。

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 しかし初代ハイエースはたちまち人気車種になって、度々の改良で信頼性も増して、モデルチェンジするまでの約9年間で40万台もの販売台数を記録しています。

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 私はこの頃、新米の修理工だったので、整備性と言うことには敏感というか仕事がしにくいクルマは嫌だったものですから、シート下にエンジンがあるのは手が入りにくい、とか、アッパーアームのブッシュの交換は手間が掛かる、とかマイナスの印象が多いのですが、そんなこととは裏腹に営業係はよく売れると喜んでいたものです。

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 特にデリバリーバンという名のライトバンは人気があって、私の自動車屋があった染め物の町では地方への出張には欠かせない道具となっていったようです。

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 全長4305mmという寸法を見れば最新のハイエースの標準車より40㎝も小さいのですが、後部シートをたためば布団が敷けると言われるほどの広さで、トラックの荷台に箱を載せたパネルバンと違って運転席と荷台が一室になった、しかもスタイリッシュなキャブオーバーのライトバンは最先端で、ライバルの日産キャラバンが出るまでは独壇場だったのです。

 掲載したカタログ写真は昭和50年のものですが、初期のものはスライドドアではなくヒンジドアで、しかも左側だけでした、乗用ワゴンとしてならこれでもよかったのではないかと思います。

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 私は当時、ハンドルは重いしクラッチは重いしブレーキペダルも重く、ワンテンポ遅れてじわーっと利くブレーキ、とこんな印象を持っていましたが、50年以降の最終型ではずいぶん改良されたと感じました。

 この後、ハイエースの兄弟はライトエース、タウンエース、ミニエースと続き、また後の世にはハイエース・グランビアやレジアスエースなどが出現します。























posted by 健太朗 at 14:46| 京都 ☁| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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