フィアットは1899年(明治32)、ジョヴァンニ・アニェッリによって創業され、現在ではイタリア最大の自動車会社です。
社名のFIATはイタリア語の製造所・イタリア・自動車・トリノの頭文字をとったもので、トリノのイタリア自動車製造所、といった意味です。
本社工場はトリノのリンゴットというところにあって本社工場のことをリンゴットと呼ぶこともあるそうです。
最初の作品はFiat4hp、水冷2気筒679cc4.2馬力800rpm3速ギヤで最高速度35km/h燃料消費量8L/100kmというものでした。
フィアットといえば私も大好きな500(チンクェチェント・トポリーノ)があまりにも有名ですが、初代500が世に出る2年前の1935年にフィアット1500が生産されました。
フィアット1500はそれから1950年まで生産されたBピラーのない観音開き4ドアベルリネッタ(セダン)とコンバーチブルがあって、OHV直列6気筒1493cc45馬力4速MTで3-4速がシンクロメッシュになっています。
イタリア製自動車では初めての風洞テストによって制作され最高速度114km/hを誇ったボディの、初代500トポリーノにも似たデザインのクルマです。
Xフレームのシャシは前ダブルウイッシュボーン・コイルばね、後リジット、また4輪油圧ブレーキを採用していました、このシャシを用いたカロッツェリアの作品も多く、トゥーリングやギアのボディもあったそうです。
Premio Sakura(春の二条城に最も似合うクルマ)を受賞した1939年フィアット1500トゥーリングは1500Cのシャシを使ってカロッツェリアトゥーリングのカルロフェリスビアンキというデザイナーの手になる美しい2ドアベルリネッタです。
カロッツェリアトゥーリングのスペールレッジェーラ手法を用いて、アルファロメオ1900 6C2500にも似たデザインになっています。
春の二条城に似合うということですが、私は二条城の建物や門に、この小さな黒く丸っこいクルマがよく似合っていると思いました、最後の将軍の徳川慶喜が大政奉還のためにこんなクルマに乗って大手門をくぐって唐門から二の丸御殿中庭に入ってくる姿を妄想してニヤッと笑っている私を見た人がいるかもしれませんね。