2018年05月21日

コンソルソ・デレガンツァ京都2018 その弐

 今年は桜が早く咲いて4月1日にはすでに散り始めていましたが、時折花吹雪がちらちら舞い散る、普段は非公開の二条城二の丸御殿中庭に展示されたヴィンテージカーは、日本伝統の歴史的な元離宮の風景に溶け込んで、ヨーロッパのクルマ造りの素晴らしさを堪能することが出来ました。

 今回は1952年以降に作られた中で最も優れているクルマに贈られる(Late Cars from 1952)です。

1977年ランボルギーニカウンタックLP400

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 この日同行した「セラ乗り」の友人はスーパーカー世代、カウンタック大好きで大人になった人です、子供のころ何かのイベントでカウンタックの前で撮った写真があるそうで、同じように大人になった姿を撮っていました。

 私はもう少し古いヒトですから余り興味がないのですが、ムカシ見た映画、たしか個人教授だったと思いますが、その中でナタリードロンの夫役ロベールオッセンが乗ってパリの街中を走行ったのが黄色いミウラだったので当時のスーパーカーで唯一印象に残っています。

 余談ですがナタリードロンの若き不倫相手となるルノーベルレーが乗ったのがあのソレックスでした。

 この日その友人とはこんな話で盛り上がったのですが、だれがきょうみあんねん、でしょうね。

 そういえばミウラも一般投票で最も得票数が多かったクルマ(People's choice)で受賞しています。

1971年ランボルギーニ・ミウラSV

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 ランボルギーニの歴史を読むと面白いですね、波瀾万丈というかはちゃめちゃというかもっと詳細を知りたくなります。

 ランボルギーニの正式名称はヌオーヴァ・アウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA(製造小売業)です、ボローニャ県サンターガタ・ボロニェーゼという、なんだかクリスマスのスパゲティみたいな所にあります。

 創業者のフェルッチオ・ランボルギーニが戦後、軍が放出するトラックを民生向けに販売したのが最初です、そして1947年、自動車好きだった彼は小さなチューニングショップを開きます。

 そこでトラクターの自社開発に取り組み、モーリスエンジンを用いて排気熱で軽油を気化するシステムを開発します、これはエンジンを始動するときだけガソリンを使い、あとは安価な軽油で運転するというもので大ヒットしました、また1960年にはボイラーとエアコンの製造販売でも成功します。

 財を築いたフェルッチオは名車の収集をするようになります、ところがどの車も暑すぎたり、狭すぎたり、スピードが十分出なかったりと、とても満足できるものではなかったため、クルマの生産をし始めます、「助手席に座るレディのメイクアップが(汗で)落ちないような快適な車を作りたい」という動機でした。

 このころ愛車フェラーリのクラッチの欠陥見つけます、分解してみるとフェラーリのクラッチと自社のトラクターのクラッチが同じボーグ&ベック製のクラッチ板であったのです、しかも全く同一のパーツがトラクター用の10倍の値段で売られていたのです、「この商売は儲かる」と思ったフェルッチオは高級スポーツカーを造る決意をします。

 1963年トリノショーに出た350GTVは独創性にあふれたボディライン、上質なインテリア等で評価を得ましたが、GTとしての居住性や使い勝手で酷評を受けます、しかし翌年、改修した350GTを市販車の第一号として市販車メーカーの名乗りを上げたのです。

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 ミウラの隣に展示してあったイスレロ

 その後も350GT、400GT、イスレロなどとFR 2+2スポーツカーは順調に販売しますが、1966年、ミウラを発表します、ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによる流麗なスタイリング、V型12気筒DOHCエンジンをミッドシップに横置きし、350馬力のノーマルでも最高速度300km/hのスーパーGTは大いに期待され、100件を越えるオーダーが殺到しました。

 しかしその時点ではまだハンドリングの欠点やノイズ、冷却の問題があり、生産を続けながら改良を続けるしかなく、再後期モデルのP400SVではリアサスペンションを大きく改良しました。

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 フェルッチオは「ミウラはショー・カー」と考えており、生産中の車の販売促進の宣伝になれば良かったわけで、ミウラの当初の完成度はまだ試作段階だったわけです。

 結果、ミウラの生産台数は750台程に終わったそうです。

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 カウンタック(クンタッシ)はガルウィングドアだと言いますが、実はガルウィングドアは翼のように真横上開きなのです、カウンタックのドアは車体前方に開きますからハサミやジャックナイフの動きからシザードアというのが正しいのです。

 そして後方視界の悪さから、ドアを上に開け身を乗り出してバックするのをカウンタック(クンタッシ)・リバースと呼ばれるそうです。

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 これはV12 5000ccエンジンを縦置きにしてその前にギアボックスを置くというレイアウトの為に、しかもキャブレターをダウンドラフトにしたことにより後方視界が極端に悪くなった為だそうです。

 その縦置きで巨大なV12エンジンと前後ともダブル・ウィッシュボーンのシャシと、マルチェロ・ガンディーニの超近代的なボディ(とシザードア)を組み合わせたカウンタックLP500は1971年ジュネーブショーで発表されましたが、実際にエンジンをミウラのものに変えたLP400が市販されたのは3年後でした、その間にランボルギーニの経営は危機に陥っていたのです、ボリビアで起こったクーデターにより、大量のトラクター販売契約を破棄されたことでトラクター部門はフィアットに移譲、自動車部門の株式の半分をスイスの投資家に売却したのです。

 その後もオイルショックの影響やBMW・M1の委託生産契約を破棄されたり、と色々あってクライスラー傘下からアウディ傘下となり、現在はつまりVWの元で名前を残しています。

 カウンタックはウォルター・ウルフ・カウンタックやLP500Rという少数モデルもあります、その後LP400S・LP500S・5000QV・などと続きますが1990年25thアニバーサリーモデルを最後に生産を終えます。

 コンソルソ・デレガンツァ京都2018で展示されていたクルマは1977年のLP400ですからカウンタックとしては初期型150台の1台ではないかと思います。


posted by 健太朗 at 13:43| 京都 | Comment(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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