2017年07月08日

高級車 ルーチェ・ロータリー・クーペ

 今回も私が乗ったこともさわったこともないクルマの話しです。

昭和441015日に発売されたルーチェ・ロータリーは479月に生産が打ち切られるまでにたった976台しか製造されなかったレアなクルマで、殊に美しいクーペでした。


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初めて発表されたのは昭和42年、第14回東京モーターショーでRX85(市販時ファミリアロータリークーペ)と共にRX87試作車として展示され、コスモスポーツに続くロータリーエンジン車のバリエーションとして大きな話題になりました。


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RX85はファミリアがまだモデルチェンジ前でしたので新鮮なイメージでしたし、RX87は新設計の車台にジウジアーロデザインのルーチェセダンをベースに仕立てた低くて長いクーペの、その美しさに目を引きました。


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特徴はヘッドライトが格子の中にあるフロントグリルと三角窓が残ったサイドウインドー、これは43年の15回東京モーターショーではライトがグリルから独立したデザインになって、国産乗用車で初めて三角窓がなくなりますが、これも国内初の屋根がレザートップになります、レザートップというのは金属屋根にレザーや皮風ビニールを貼った物で、オープンカーの幌を立てた状態をイメージしたデザインです、このあと40年代から50年代に大流行したのですが今はもう見かけませんね、絶滅したのでしょうか。


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また44年にはヘッドライトが完全に隠れたコンシールドタイプが出品され、これが最上級グレードになるはずでしたが、これが発売されるまでに販売不振が露呈し、お蔵入りとなったようです。

そしてヴァンケルエンジンと前輪駆動、当時の乗用車で前輪駆動と言えば、登録者ではスバル1000かフロンテ800くらいしか思い当たりません。


余談ですが本家NSUのヴァンケルエンジン車、NSU Ro80はこの年に発売されています、これもエンジンの大きさ(小ささ)を利用して前輪駆動を採用していました。


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13A型ロータリーエンジンはコスモスポーツの10Aからハウジング内径を拡大して655 cc×2ローターとしたもので126馬力、公表最高速度は190km/hでした。

13A13は計算上約1300ccとなるところから、そしてAは最初だからです、後の13Bは同じ約1300ccでも13Aはハウジング内径を大きくしているのに対して10Aのハウジングとローターの厚みを増して大きくしています、ですからルーチェロータリーの13A型ロータリーエンジンはひと味違うエンジンだと言えるでしょう。


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足回りではこの年の雑誌を見ますと前ウイッシュボン、後トーションラバー(ねじりゴム)と予想されていますが市販車は前がトーションラバーで後はトレーリングアームとコイルスプリングでした。

トーションラバー(ラバー・イン・トーションバー)は軽自動車のR360クーペやキャロル360に採用されて実績のあるサスペンションシステムで、ふんわりとソフトな乗り心地で、スポーツカーではないオシャレなクーペにはふさわしいサスペンションではないかと思います。


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さて、「ハイウェイの貴公子」のキャッチコピーと「RX87」のエンブレムが装着され、ついに市販されたルーチェロータリークーペは当時の自動車雑誌からは絶賛されたものの、しかし新機構を満載した結果、セダンとも他のロータリーエンジン車とも互換性が乏しくなって、その価格も175万円とクラウンハードトップの120万より遙かに高く、手作りのいすゞ117と同価格帯になって、つまりマツダのユーザーには受け入れられず、また大きくなったロータリーエンジンの冷却不十分でオーバーヒート、前後重量配分の配慮が足らずにアンダーステア、まだ発展途上のドライブシャフトの異音など熟成不足で信頼が得られず、発売から3年後には生産が打ち切られました。


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ロータリーエンジンは実に画期的なエンジンでその将来を楽しみにしていたのですが、1951(昭和26)ドイツNSUフェリクス・ヴァンケルが開発を初めて以来、多くの自動車会社がロータリーエンジンに翻弄されました、たとえばNSUはこの歴史的なエンジンの為に、そのヴァンケルエンジンを載せたヴァンケルスパイダーやRo80の不振によりアウディに身売りせざるを得なくなりました、またシトロエンもユニークなクーペタイプのGSビロトール(バイローター)NSUと共同開発したロータリーエンジン載せて 売り出しましたが、エンジンの耐久性不足で、2年で販売された800台ほどの車両はメーカーの手で回収され、スクラップにされたそうです。


日本でもロータリーエンジンの開発を手がけたものの途上で諦めたメーカーが数社ありましたが、東洋工業(マツダ)はこの難しいロータリーエンジンの最大の難点であるアペックスシールの問題を克服し、何種類ものロータリーエンジン車を世に送り出した功績は大きいものの、平成24年のRX8を最後に撤退しています。

撤退しています、と書きましたがここは休止していますと書いた方がよいですしょう、事実、マツダ社内では今でもロータリーエンジンの開発部が存在して新たなロータリーエンジンの研究をしているそうですから、この素晴らしいエンジンの復活を期待したいと思っています。

posted by 健太朗 at 13:44| 京都 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このRX87はフロントヘビーな上に強大なエンジンパワーで当時のバイアスタイアがまるで性能不足でした。故にどアンダーでタイヤはかんなを掛けたようにすぐ丸坊主になってしまいました。
でも、美しいスタイリングでしたね。リアドライブならヒットしていた事かと思います。車内はフロントドライブなだけ、かなり広かったと記憶してます。
ロータリーはマツダが唯一実用化させましたが、現在のマツダはロータリーで苦杯を舐めたからSkyactivシリーズのレシプロが出来たのだと勘ぐってしまいたくなります。それほど苦労されたロータリー、ル・マンで優勝しているのですから、やっぱりすごいですね。
ところで先日初代コスモが信号待ちしている所に遭遇しました。優雅な車体とは裏腹に「暴走族の直管マフラ」のようなゲロゲロという排気音でなんだかゲンナリしました。色もパープルメタリックで再生後再塗装し多分に手を入れられた結果なのでしょうが、淋しい思いがしました。
Posted by スギモト at 2017年07月08日 19:21
 健太朗です。
 スギモトさん、コメントありがとうございます。

 私はRX87には乗ったことがありませんが、なんとなく想像できます。
以前このblogに書いたと思いますが、ファミリアREの扱いやすさとカペラREのおしりを振るような加速感、ですがファミリアBD1051では昭和50年代後半でもFFのくせが残っていたのを思い出します、このことから昭和40年代のまだこなれていない前輪駆動と強大なエンジンパワーの組み合わせが、さぞ乗りにくかったことでしょうと思います。
 ホンダN360をクラシック・ミニを思い出します。
 いつも私は「美しくなければクーペでない」てなことを言っていますが、ルーチェ・ロータリー・クーペは確かに美しいですね。

 コスモの話しですが、こういう貴重なクラシックカーは重要文化財に指定したいようなものですから、あまりな改造などしてほしくないと思いますね、そんなことを声を大にして言う力は持っていませんが…。
Posted by 健太朗 at 2017年07月09日 22:20
健太朗さんご返信ありがとうございます。
色んな事が足りてなかった昭和高度成長期、車はコンベンショナルなダヨンダヨンのハンドリングで丈夫で有ればよかったから、攻めた造りのFFが不出来でも仕方無かったのでしょう。その点スバル1000は見事でしたが、インボードブレーキはやり過ぎで泣かされましたね。
スバル1000のドラシャにはNTNで開発されたばかりのCVJとDOJが使われていて、見事に等速性を実現していました。その反面モノすごく高価なドラシャでしたので、これが駄目になった事で手放す理由にもなりましたね。
それ以前のFFは外側がダブルカルダン(ホンダNも使ってました)内側カルダン+スプラインでまあ酷いもんだと思いました。それが現在では内側はパチモンのトリポートジョイント(等速性はダブルカルダン並)ですから驚きです。とは言え、内側のジョイントは然程角度が付かないのでこれで充分なのでしょう。
ジョイントといえば、電源開発払下げのランドローバーや日産のパトロールや三菱ウィリスなんて書いてあるジープのフロントにはトラクタジョイントなんて妙チクリンなジョイントが昔ありましたね。構造はダブルカルダンを二つ重ねたすぐガタがでるものでした。
クーペはその名の響きの通り私も美しくあるべきだと思います。コスモはよくUFOと言われましたが、私は手塚治虫氏の漫画に出てくる未来のクルマに見えました。このデザインは小杉二郎さんという方がデザインされてまたビックリ、オート三輪を筆頭として一連のマツダ車のデザインをされていたのですからね。
Posted by スギモト at 2017年07月10日 21:58
健太朗です。
スギモトさんありがとうございます。

 ドライブシャフトと言えば、ジョイントブーツの交換をかなりの数、やった記憶があります。
 最近はブーツ交換は少ないと聞きましたが、特に初期の頃、ラバーの品質が良くなかったのか頻繁にやりました。
 思えばミツビシ車が特に多かったようです、それに軽自動車。
 トヨタ車は比較的強かったので安心でした。
 始めは純正部品を使っていましたが、顧客の要望で車外品(メーカーはいろいろで覚えていませんが)を使ってみたらこれが意外に丈夫でお安く出来るので喜ばれました、そのうち、それじゃあと言うことで、ドライブシャフト脱着が必要ない分割タイプを使ってみましたら、これまた意外にも好評でした、でも接着部にグリースが付着して充分な接着が出来ず大失敗になったことがありました、でもその部分だけ補修することで大事には至りませんでしたので助かりました。 
 ドライブシャフトもいろいろなものがあって、中には新車から高速道路での振動の原因になったものもありました、これはクレーム対象ですが、高速でパワーの強弱、つまりギヤ比や加減速で変わりますのでディーラーでも発見に苦心したようです。

 小杉二郎さんのデザインですが、オート三輪とR360クーペ、面白いですね、それらにコスモスポーツが似ていますね。
Posted by 健太朗 at 2017年07月11日 13:59
健太朗さん貴重なご経験のお話、ありがとうございます。
90年代頃まではドラシャのブーツが弱かったですね。山側の頂点のやや下が切れることが多かった気がします。擦り切れなのでしょう。近年ではホント保つ様になりましたね。
2000年頃から出始めたプラスチック(のような物)の分割ブーツは本当に丈夫で作業性も良く助かりました。私はPITWORKのものしか使いませんでしたが。それ以前にも他社の分割ブーツはありましたが、伝え聞く評判は、イマイチでしたので使いませんでした。ブーツ交換の序にグリスを入れ替えてやるつもりでしたので、基本交換と割り切っていましたね。
不運にもブーツ切れの発見が遅れて音が鳴ってしまうドラシャも今や安価なリビルト品があるのでいい時代になりました。
それにしてもトヨタは全てに卒がないですね。私はホンダが保たなかった気がします。
そこへゆくと乗用車のFFなんかよりも、ゴツイ四駆、しかもリジットアクスルのものは良かったですね。キングピンにはボールジョイントも使ってなかったし、タイロッドエンドにはニップル打ってありましたし。
小杉さんは天才的なデザインの方でしたね。日本の誇るデザイナーです
Posted by スギモト at 2017年07月11日 21:57
健太朗です。
スギモトさんありがとうございます。

今更ですが、スギモトさんどうやら同業者のようですね。
これからも貴重な体験談などよろしくお願いいたします。
Posted by 健太朗 at 2017年07月12日 11:25
健太朗さん、お褒めに預かり光栄です。
私の経験なぞ大したことはありません。まだまだヒヨッコ無駄に歳を重ねているだけです。ただただ健太郎さんのお話が懐かしく昔を思い出させてくれるのが楽しみです。
多くの人々がディーラーで車を買い、修理工場から顧客が減り、車検の簡易化と即納と値段競争(相見積もり)やハイブリッドの台頭で旧来の整備屋さんには辛い時勢となりましたね。ゾロ安い中古車を並べて売っている方が余程儲かる気がします。
愚痴になってしまいましたね。これからもお邪魔致します。
Posted by スギモト at 2017年07月12日 21:57
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