3代目コロナRT40はアローラインのコロナで話ましたが、今回はそのバリエーションのひとつ、ハードトップの話です。
ハードトップというのは「堅い屋根」、オープンカーの幌(ソフトトップ)を取外して鉄板やFRPなどの堅い屋根を取り付けたのが語源で、おおむねセンターピラーのない4座クーペタイプを指し、主にアメリカで人気のあるタイプです。
昭和40年、国産車ではじめてハードトップを採用したのがコロナで、その後ギャランやセリカなどにも採用されましたが、4ドアハードトップやピラードハードトップなどと言うこじつけたようなネーミングを持ったクルマも現れました。
私がはじめてコロナハードトップに乗ったときは、オープンでもないのになぜか気恥ずかしくというか照れくさく感じたことを覚えています、窓が小さい旧式実用車に乗り慣れていたせいかサイドウインドーを全開するとそれはもう途方もない開放感をあじわったものです。
モノコックボディの場合、センターピラーを無くすと曲げ・ねじり剛性が低下しますので、フロントピラーやル-フサイドフレームなどの剛性を高めます、すると重量が重くなってしまいますが、コロナのようなクーペタイプですと屋根自体が小さくなったり、ドアも少なくなるので、コロナの場合は4ドアセダン・デラックスより15kg増におさえられています。
また、ウィンドウを全開にするための工夫で後部のガラスが回転するようにスライドするというアイデアを採用しています。
コロナ・ハードトップは昭和41年、第15回毎日工業デザイン賞を受賞しました。
この車体を使って本格的スポーツクーペに仕立て、2000GTの弟分としたのがトヨタ1600GTです。
車両形式はRT55、コロナの名は使っていませんがコロナの派生車だと言うことが判ります。
外観でコロナと違うのはフロントグリル、リアグリルの意匠、フロントフェンダーのエアアウトレットそれに砲弾型のバックミラー、フロントグリルとリアクオーターにつく七宝焼きのエンブレム、というところでしょうか。
実際に走行ってみると9R型ツインカムエンジンとウエーバーツインチョークキャブレターによってちょっと荒々しい走りが味わえます、トランスミッションはGT4が4速、GT5が5速です、これは2000GTのパーツを使っているそうです。
私の自動車屋で販売したクルマはGT5でしたが、コロナ1600Sよりしっかりしたフィーリングで長いシフトレバーですが、スポーティーな感覚でした。
あるとき、このGT5がエンジン不調で入ってきました、4気筒の内1気筒が死んでいる状態です。
調べてみると3番のコンプレッションがかなり低いのです、お客様にオーバーヒートしましたか?と聴いてみましたが、無いとおっしゃる、それじゃバルブかな、と思ってヘッドカバーを開けてみると、3番インレットのクリアランスがスカスカになっていました、そこでカムシャフトを外してタペットを抜いた瞬間、そのタペットがばらばらに砕けてしまいました。
恐らくエンジンオイル・ケアが良くなかったのでしょうか、今では考えられない故障でしょうが、まだオイルなどのケミカルが良くなかった時代の話です。
そして今なら、ここでシリンダヘッドを外して業者にお任せするところでしょうが、この頃はヘッドを分解してバルブ交換から摺り合わせ、組み立ててシムを使ったバルブクリアランス調整まで、総て町の自動車屋でやってしまいました。
最終調整をして元のコンディションに戻すまで一週間かかったとしても、なんの苦情も出ないのんびりした時代だったのですね。
それはさておきエンジンのヘッドの修理で1週間は現在でも早いかと思います。むしろその一台に掛かり切りになれる事が時代を反映してますね。現在では中国流通がよいですから、中古エンジンに載せ替えた方が、早いですしメカの方も仕事効率が良いでしょう。
それにしても、シートカットは今や専門屋に依頼しますが昔は街の修理屋さんのお仕事だったのですね。
スギモトさんコメントありがとうございます。
こういう話を文章にするとつくづく懐かしいですね、本文を書いているときにバルブを摺り合わせる道具の名前が思い出せませんでしたが、思い出しました「たこ棒」です。
棒の先に吸盤が付いている道具で、この吸盤にバルブヘッドを吸い付けてバルブとバルブシートの当たり面を摺り合わせて密にするのです、この時当たり面に塗布するコンパウンドをムカシは「金剛砂」といっていました。
一週間は早いですか?、なにしろ町の零細工場ですから、そう映画「三丁目の夕日」に登場する鈴木オートと同じような超レトロな自動車屋ですから一度に何台も整備できませんので集中的にやってましたね。
もしも中古エンジンを使うとしたらポンコツ屋さんに注文して“ドナー”を待たなければなりませんでしたよ。
タコ棒は現在でも、アマチュア向けに販売されてますよ。本名はご存知かもしれませんが、バルブラッパーと云います。
http://item.rakuten.co.jp/astroproducts/2007000000182/
私も持っていますが、今まで3回ほどしか浸かったことがありませんし、使用頻度が少なく使わないから吸盤が駄目になるのですね。私はバルブを擦り合わせるのならば、ハンドドリルで粗方均して、仕上げにタコ棒という方法を取りますが、タコ棒のみで仕上げる場合はバルブをヘッドに叩きつけながら擦り合わせる回し方をしましたね。
バルブコンパウンドが金剛砂と呼ばれていたのは、初耳でした。僕らはダイヤモンドコンパウンドとピカールで磨り合わせをしますが、これも時代の流れなのですね。
ところで修理屋さんの規模は法規制やら民間車検工場の取得やらで、皆さん大きくなっていく一方ですね。鈴木オートのような方は見掛けなくなりました。しかし、皆さんいい仕事をされていたと思います。そしてその技術は、今のデーラーさんより機転の効く整備をされていたと思います。
健太朗さんの工場も夜遅くまで頑張られていたからこそ、重整備も引き受けられていたのだと思います。現在ではここまでは、引受けないでしょうし、引き受けるような所は、似たような重整備で混み合ってますから1週間では帰ってこないかと思います。
健太朗です。
そう、「バルブラッパ」ですね、たこ棒とか吸い付き棒は職人の間のあだ名のようなものですよね。
バブル景気以降はエンジンをばらすことは、まれなことでしたから忘れていました。
それでもオーバーヒ-トなどでヘッドガスケットを交換する際にもついでと言うことでこのバルブラッパを使ってバルブの摺り合わせをしたことが何度かありましたね。
スギモトさん、まったく同感です。
80年代、昭和56年でしたか、ソアラに乗ったとき「なんて退屈な」って思ったと同時にこれが日本車のスタンダードになるのかな、と考えてみたことを思い出します。
思えば私たちが「交換屋」と揶揄されると言うことは自動車産業の大変革の象徴だったような気がします、そしてそれは自動車という機械の成熟期、といえば聞こえが良いけれど、自動車というエンスーに楽しみが無くなって行く時代の始まりだったのですね。
これからは、ハイブリッドや電気で走るクルマがふえて、楽しめる自動車は一部のスポーツカーだけという有様が目に見えてきますが、我々ユーザーがより楽しいクルマを求めていくより他にないのでしょう、なんと言ってもメーカーは売れる車を作るのですから。
私自身、アクアなどと言う退屈きわまりないクルマを選んでしまったのですから偉そうなことは言えませんが。
自動車産業もただ設計するのではなく、FMEAやらISO/TS 16949やISO26262やら製造現場では環境アセスやらRAとかで規格で雁字搦めで設計製造しているのが現状です。量産品でありますし何よりも人の命を載せている物である以上現在のようなものになってしまうのは仕方がないと思います。
健太朗さんのような根っからの技術屋整備士さんも少なくなっていくのですが、全く居なくなる事はないと思います。それは自動車がどんなに変化しても、「夢を乗せて走る機械」だからですね。
「夢を乗せて走る機械」・・・いい言葉ですね。
それぞれいろんな夢を乗せて走っているんですね、クルマって。
ありがとうございます。
クルマがいつまでも夢の機械でありますように、祈るのみです。
異常な速さ
街中100kmh
乗せてくれた人 何回も倒産しつつ 今大富豪
農家さん色々とコメントありがとうございます。
そうですね、私が扱ったクルマも京都でも有名な電気器具メーカーの御曹司でした。
当時としてはあれで充分マニアックなクルマだったのです。