2016年09月19日

機械遺産 その6

 先月25日、一般社団法人・日本機械学会からスバル360が機械遺産に認定されたと言うニュースが入ってきました。

 そこで歴代の機械遺産、中でも自動車関連についてちょっと調べてみようと思います。

 今回は平成20年認定の円太郎バスです。


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 大正12年、東京市内は関東大震災で大きく被災しました、東京市電気局は当時東京市内の主たる交通手段であった路面電車の代わりにフォードT型トラックシャシを緊急且つ大量に輸入(1,000台と言われていますが実際には800台ほどだそうです)、このシャシに木製の客室をのせてバスを急ごしらえで、11人乗り市バスとして走らせたのが円太郎バスです。

 大正13年1月18日、中渋谷-東京駅前と巣鴨-東京駅前の2路線が最初に開業して、その後次第に拡大しました。

 円太郎の由来は、明治時代の落語家、四代目橘家円太郎です。

 明治初期に東京市内を走っていた乗合馬車の御者が吹いていたラッパを、芸に取り入れて演じていたのが、ラッパの円太郎、と受けていました、それが逆に乗合馬車の方を、円太郎馬車、と呼ぶようになり、そこからある新聞記者が、円太郎バスと名付けたといわれています。

 円太郎バスの小さい車体は震災で荒れた街中を走るにはちょうど良かったと言うこともあり、東京市民の貴重な交通機関となりました。

 そしてこれが全国に路線バスを走らせるきっかけになったと言うことです。


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            (T型フォード・ツアラー)


 円太郎バスはベースがT型フォードですから、私たちが知っている常識的な自動車とは、その運転方法はずいぶん違っていたようです、日本でも大正時代、T型フォード専用免許があったそうですが、まず運転席に座るとステアリングコラムに2本のレバーと床には3つのペダル、さらに左床からハンドブレーキレバーが屹立しています。

 あれ、これなら私たちが乗っているクルマと同じやないの、と思うかもしれませんがそれぞれの役目がまったく違うのです。


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 停車中、ハンドブレーキレバーを引いておけばクラッチも連動して切れていますのでこの状態でエンジンを始動します、ステアリングコラム右のスロットルレバーと左の点火時期調整レバーを少しずつ下げてチョークを引き、前に廻ってクランクハンドルを回します。

 次にハンドブレーキを戻す前に左ペダルを半分踏んでクラッチが切れた状態を保っておき、ハンドブレーキを解除します、スロットルと点火時期レバーを更に下げつつ、左側ペダルを一杯に踏み込むと、ローギアに入ってクラッチが繋がり発進します。

 ある程度加速したら、左側ペダルを離してやると自動的にハイギアに切り替わりますからスロットルと点火時期をレバーで速度調整するのです。

 減速は右側ペダルを踏むとセンターブレーキが作動します、そして左側ペダルを踏み込んでローギアに入れてエンジンブレーキが効かせます。

 減速したら左側ペダルを半分の位置に戻してクラッチを切ります、停止はハンドブレーキの操作でします。

 バックする時は、前進と同じ要領で中央ペダルを踏むとバックし、ハンドブレーキで停まる、ということです。

 まあこんな文章ではわかりにくいと思いますが、右側ペダルはプロペラシャフトに働くセンターブレーキ、ハンドブレーキは左右後輪のドラムブレーキですが駐車用ではなく、センターブレーキの補助の役目もあるわけです、また、ヘンリー・フォードは遊星歯車にこだわったようです、ですからクラッチはミッションとプロペラシャフトの間にありましたので、実はこれでもチェンジレバーのない、いわばイージードライブだったのです。

 さて現在、東京都交通局に非公開で保管されている円太郎バスは、現存する唯一の円太郎バスであり、現存する国内最古のバスでもあるのです。

 平成19年までは東京都墨田区の交通博物館で保存・展示されていたのですが交通博物館は閉鎖になってしまいました。

 その前は東京市バスとして引退後、肢体不自由児施設・柏学園に払い下げられ送迎バスとして活躍していたそうです。

 

8   (これはアメリカ製8人乗りバス)

 

posted by 健太朗 at 20:26| Comment(2) | TrackBack(0) | くるまの雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
カブトムシの次2000万台
2速自動
4気筒2000cc20馬力水冷
15kmLと
wiki見ると面白い
考えさせられます
Posted by 農家 at 2016年09月20日 22:47
健太朗です。
農家さんコメントありがとうございます。

T型フォードの話でしょうか。
1900年代のはじめに29年で1500万台以上生産した偉大なるクルマですから、そりゃぁいろいろ逸話があって面白いですね。
ヘンリーフォードさんも歴史的な偉人ですから、その伝記は実に考えさせられます。
世界一の自動車屋を作っておきながらその地位をあっさりGMに抜かれてしまったのもヘンリーさんの頑固さの所以だそうですね。
職人気質と言う言葉を思い出させてくれます。
Posted by 健太朗 at 2016年09月21日 21:15
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