2016年08月27日

機械遺産 その3

 先月25日、一般社団法人・日本機械学会からスバル360が機械遺産に認定されたと言うニュースが入ってきました。

 そこで歴代の機械遺産、中でも自動車関連についてちょっと調べてみようと思います。

 今回は平成22年認定のたま電気自動車です。


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 大正14年石川島造船所から石川島飛行機製作所ができました、練習機「赤とんぼ」などを生産していましたが。

 昭和11年大日本帝国陸軍の意向で立川飛行機株式会社と改称し、ロッキードの技術を習得して一式戦闘機「隼」の他、練習機や輸送機などの生産もしていました。

 そして戦後、立川製造所が連合軍に接収され事実上解雇された従業員の内、田中次郎技師ほか約200名が東京電気自動車を設立、ガソリンが不足していた大戦直後の昭和22年、ブリヂストンの創業者・石橋正二郎の協力を得て電気自動車を開発、会社所在地からたま号と命名し、社名もたま電気自動車工業としました。


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 オオタ号トラックのシャシに木骨鉄板張りのハッチバックセダンのボディを構築、日立製電動機は36V120A、蓄電池は40V162A、最高速度35km/h、1充電での走行距離65kmの性能でした。


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 その後昭和24年たまセニアを発売、1充電200kmとなりましたが、ガソリンの供給状況の好転と蓄電池材料の価格高騰により、一連の開発が中止されました。

 セニアには旧中島飛行機の富士精密工業の1500ccエンジンを積んで、後にこれがプリンスセダンとなります。


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 つまり富士精密工業の会長が石橋正二郎その人であり、富士精密と合併したたま自動車は昭和36年にはプリンス自動車となるのです。

 ちなみにプリンスは皇太子明仁親王(今上天皇)の立太子礼にちなんで付けられた名前です、さらにちなんで、ブリジストンはブリッジとストーンで石橋です。

 日産自動車のヘリテージ・コレクションには電気自動車たまが加わっています。

 平成22年、日産自動車がレストアしたものです、ただ単に走れるだけでなく、時代考証も考えて、例えば当時大量に使われていて、すでに製造が中止されているマイナスネジは新たに注文して造らせたとか、また木骨鉄板張りですからリヤシートは跳び箱のような木箱で出来ている、と言う話はヨーロッパのツアラーと呼ばれるステーションワゴンのようで印象的ですね。

 モーターの復元は当時、製作していた日立製作所で行われたそうです。

 この「たま電気自動車」のDNAは、この後、プレーリーEV、ハイパーミニ、そして日産リーフと着実に受け継がれています。とは日産自動車の弁です。

 また、日本機械学会は、この自動車は過去に一度放棄された技術も再び必要になることもあること、社会的な受容態勢がなければ一時のブームに終わることを示す重要な実物教材である。 現状は一部電気配線が更新されているものの基本構造は当時のままである。設計資料も多くのものが現存しており、わが国の自動車開発史を語る上でも貴重な遺産である。

 としています。

posted by 健太朗 at 16:10| Comment(2) | TrackBack(0) | くるまの雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
CUBEの原点?
鉛電池がばらついて駄目だったとか
鉛はみんな失敗してますね
ニッカド、リチウムの方が精度良いのかも
小型エンジンが無いと怖くて乗れませんね
Posted by 農家 at 2016年08月27日 19:14
健太朗です。
農家さんまたまたコメントありがとうございます。

確かに私たち現代人の感覚ではちょっと怖いですね、でもガソリンが極端に不足していた時代にお話です、そんな時代の技術者の素晴らしさをたたえた話です。
CUBEの減点と言うにはムカシに過ぎます、でもあんな時代にニッカドやリチウム電池があれば歴史は変わっていたでしょうね。
Posted by 健太朗 at 2016年08月30日 21:59
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