2016年01月11日

蜃気楼・ミラージュ

 昭和47年、初代シビックが発売されて和製ミニだと、人気を博しましたがハッチバックが流行ったのは50年代になってからのことで、シャレードを皮切りに、ファミリア、ターセル、スターレット、パルサーなどが矢継ぎ早に登場します。

 

 そしてミツビシがこの市場に参入したのが昭和52年、蜃気楼という名のミラージュでした。

 ミラージュが発売されたのは53年2月カープラザが発足して、エテルナシグマ、ラムダも追って発売されました。


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       (52年第22回東京モーターショーに出品されたミラージュ)

 

 私の自動車屋では特にミツビシとの販売店契約はありませんでしたが近くのディーラーからミラージュの技術講習会のお誘いがありましたので、私が店を代表して参加しました。

 この講習で印象に残っているのは、エンジンがホンダと同じ左向きに載っていること、通常エンジンというのはクランクプーリー側から見て右回転つまり時計と同じ回転をしているものなのですが、エンジンを左向きに載せると前進する車輪と逆回転になるわけです、で、ホンダの場合はエンジンを逆回転させて車輪と同回転にしているのですが、ミラージュの場合はそのまま常識的な回転方向にしているのです、ですからトランスミッションではひとつギヤを噛ませて回転方向を変えてやる必要があるわけです。

 ところがこのギヤのバックラッシュのせいで少なからず異音が発生することがあるというのです、だからミッションオイルのメンテナンスを怠らないように、と言うお話でした。

 

 この当時はミッションオイルの点検は12ヶ月ごとに行うのが当たり前でしたから、特になんとも思いませんでしたけどね。


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 さらにこのトランスミッションにはスーパーシフトと呼ばれる副変速機がついていました、これは4速のギヤにハイ・ローの切り替えが出来ると言うものです、ですから4速×2段で8速MTとなるわけです、これと同じものがスバル450についていたのを思い出します、スバル360の車体に450ccのエンジンを載せて3速×2段で活発に走らそうとするのですから、それは使い方によっては有効なものでしたが、ミラージュの場合は1200cc82馬力ですから、プラス・ハイトップの5速MT、またはフルロードで交差点グランプリをするときの発進加速用の1速ローギヤの役割くらいのものだったと記憶しています。


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 ミラージュのデザインはイタリヤのデザイナー、アルド・セッサーノによるもので直線基調の、当時ヨーロッパ車によく見られたスタイルは人気でランサーより遙かに多く生産されました。

 ただし最初は3ドアハッチバックだけだったのですが、5ドアハッチバックや4ドアセダンも追加されました、惜しいのは最後までATが搭載されなかったので初期の前輪駆動の乗りにくさは少し残っていました。 

 でも走りはピカイチで、82馬力のエンジンで800kgのボディですから軽快でした、特にターボチャージャーがついた105馬力のGTは5ドアでしたが楽しいクルマでした。
 

 4ドアセダンは後にランサーフィオーレという、ランサーのFF版として登場して小さなセダンを求める顧客向けに人気がありました。

 

 今ではミラージュのような4mに満たない4ドアセダンが日本にないのは残念ですね。

posted by 健太朗 at 14:25| Comment(2) | TrackBack(0) | ミツビシの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
友人乗ってました
コルトハッチバックから乗り換え
ミッション面倒とか

凄い程度の良いコルトHB赤見かけました

暴走事故誤発信防止で防げるのか
スバルから買えば良さそう
Posted by 農家 at 2016年02月26日 14:22
健太朗です。
農家さんコメントありがとうございます。

元気なコルトファーストバックを見かけられたとか。
貴重ですね、重要文化財のようなものですから大切にしてほしいですね。
Posted by 健太朗 at 2016年02月27日 18:19
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