2011年01月20日

提携という名のコンソルテ

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 むかしむかし、昭和38年から40年代にかけて、コンパーノというそれはそれは美しいクルマがあった。
 ダイハツがイタリヤのカロッツェリア、ヴィニヤーレにデザインを依頼、当初それはバンタイプだったが、後にダイハツ独自でセダン化され、コンパーノベルリーナとなった。


 当時すでにパブリカやブルーバードなどはモノコックボディに移行していたが、ダイハツはあえてはしご形フレームを採用した。

 後にスパイダーやピックアップトラックまで派生するのだが、フレームを持っていればこそ容易に変身できたといえるだろう。

 

 ダイハツの乗用車第一号は三輪乗用車のBeeだと思うが、この幻の名車を除けばコンパーノはダイハツ最初の小型乗用車であり、その美しさからかなりの人気があったのだが、いかにせんフレーム付きの重いボディを800㏄41馬力で走らせるには非力で、スパイダーが出てからは1000㏄に換装されたとはいえ、ファミリアやカローラの軽快感には及ばなかった。

 

Bee  

 

 昭和43年11月、ダイハツ工業はトヨタ自動車と業務提携を交わし、日野自動車とともにトヨタグループとなった、そこで登場したのが、コンソルテベルリーナだ。


 コンソルテとは“伴侶、提携”のイタリア語で、ダイハツとトヨタとの関係を意味している、その名の通り形式はEP30、Eはダイハツ製FE型エンジンを、Pはトヨタの当時のパブリカのボディを、30はその3代目をそれぞれ表している、つまり3代目パブリカのボディにコンパーノの1000㏄エンジンを載せていると云うことだ。

 

 まわりくどい言い方になったが、こういう製品は自動車以外の分野にはあったのだろうが、ことクルマに関してはまるで政略結婚のようで一般には受けが良くなかった、まぁ最近ではモコという車に乗って、これは日産の車だ、と言い張る人もあるくらいごっちゃまぜになってきているが、それにしてもエンジンだけ他社のものというのは珍しい。

 ともあれ当時の自動車の世界でコンソルテは異端児だったのだ。

 

 そういう車に私が乗ることになったのは、昭和51年の初め頃、当時乗っていたスバルRⅡを是非にと請われて友人に譲ってしまった後、知り合いのダイハツ営業マンに、なんでもいいからと頼んで、間に合わせに持ってきてもらったのがこの中古車だ。


 47年式、マイナーチェンジ後の「ベルリーナ」が付かない「コンソルテ2ドア」だ、10万円あまりだった、オドメーターはなんと3870Km、これは信じられる数字ではない、その証拠にその後の整備で交換した部品はエンジンマウントやキャブレターなどにおよび、ホース類やケーブルなど細かいものをあげればキリがないほどだ。これはメーターが一周しての3870Kmなのだろうかと思ったものだ。

 

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     大山をバックに(左があのころの私)

 

 それでも整備が終わってみると信じられないほど快調になって、もとより素人受けするほどきれいな内外装もあって、極上の小型セダンが出来上がった。

 

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 KP30型パブリカは初代カローラのモデルチェンジ版みたいなクルマで、エンジンもサスペンションもほとんど同じようなもの、だから充分に信頼性のある成り立ちをしていた。

 そのボディに「發動機製造株式會社」以来の定評あるダイハツ製エンジンを載せたコンソルテは、パブリカより少し女性的で、コンパーノより筋肉質な、実に安心感のあるクルマで、もう何十年も昔から乗っているような感じが、言葉に表すのは難しいが、そういう所が私は気に入って、間に合わせのはずのクルマに3年も付き合っていた。

 

 その間に私は新しい巣をもうけ、美しい?伴侶を得た、そして彼女のおかげでこれ以降、乗り換える車は徐々に良くなり、ついに新車を降ろすまでになったのである。

 

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       コンソルテ(上) と パブリカ(下)

 

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posted by 健太朗 at 13:54| Comment(1) | TrackBack(0) | ダイハツの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回のオチは最悪ですね。
              By 健太朗
Posted by 健太朗 at 2011年01月20日 14:08
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