やっと普通免許を取った年、ホンダのセールスマンが、スポーツ600の試乗車に乗ってやってきたので、ちょっとばかり乗せてもらえることになった。 憧れのクルマに乗れるとあって、わくわくの私だった。
ほんの10Cm位の短いシフトレバーのストロークは極端に小さく、こつこつとした感触は以前から知っていたし、細いウッドハンドルがシャープなことも人から聞いていたが、サスペンションの堅さと重いハンドルは、サーキットの助手席などでは知ることは出来なかった。
それでもその軽快な身のこなしと鋭い加速感はそれまで2サイクルの360軽自動車や鈍重なヒルマンやコロナ、スカイライン等しか知らない私には別世界のクルマに見えた。
強烈な加速といえばその時、自動車屋のかどから次の交差点までのほんの数10mの間をフルスロットルで発進すると、このクルマはローとセカンドで70Km/hにも達した、
軽自動車でせいぜい3~40Km/h、私が乗っていたコロナ1500で50Km/h位だった、ついでにいえばこの同じ場所で44年、ホンダ1300・77が90Km/hに達した、また、45年のカペラロータリーはついに100Km/hを越えた。(よいこはまねをしないように)
初めてスポーツ600に乗ったその半年後、同じクルマに乗る機会があった、が、それはそれは見る影もなく、がさがさというエンジン音とくたびれた加速感に大いに失望したものだった、先にベアリングのせいだと書いたが、それは77もカペラもおおむね同じようだったので、この頃の高性能車(三車とも特殊なエンジン)の耐久性というものは、今では想像も出来ないほどのものだったのだろう。
それはボディにしても同じ事で、私の自動車屋で販売したS800やS600の雨漏りは最後まで治らなかったし、SFに持ち込んでも、そんなの当たり前、というほどの扱いでしかなかった。
SF(サービスファクトリー)というのは、まだホンダが4輪車を発売して間がない頃、ディーラーというものがなかった。
で、販売は自転車屋、バイク屋さんが担当していたので、修理や整備はホンダ直営のSFと呼ばれる工場で行っていたというわけだ。
ちなみに2年5万キロという新車保証をうたったのは、おそらくホンダが初めてだったと思うが、それ故にホンダSFはかなり忙しそうだったという記憶がある。
以前にも書いたと思うが、もう3・4年も前になるだろうか、同業者からクラシックなS800が持ち込まれ、車検整備をしたことがある。
こういう古い車の車検の場合、排気ガステストで苦労する、何しろまだ排ガス規制など思いも寄らなかった時代のクルマなのだ、特に高性能車は走らせる為には燃料を食わすのが一番、という考えに基づいているのだから、排気ガステストに合格する為にキャブレターで燃料を絞れば調子が悪くなるし、そのまま無理に走れば不完全燃焼を起こして、かえって排気ガステスターの針は上がってしまう、こんなことを繰り返して最適な調整をするのだが、キャブレターが4つも付いていればなおさらである。
私自身久しぶりの4キャブ調整とあってかなり入れ込んで仕事に掛かったのだが、そこは昔慣らした杵柄、自分でも驚くほど簡単にうまく調整が出来た。
これを見ていた同業者やギャラリーから拍手喝采をもらったというわけだ。
最近、といってもホンダS2000が発売されたのが、1999年というからもう10年にもなるのだが、友人のI君が青いS2000をレース仕様に改造して乗っている。何でも岡山県にあるサーキットでレースを楽しんでいるとか。
その昔、60円のコーヒー一杯で何時間もカー談義をした頃、私と同じようにスポーツカーにあこがれた仲間なのだが、私と違うところはしっかりおカネを儲けていること、そして今なお青春していることだ。
自動車大好き少年の大失敗は、好きなクルマに乗りたいなら自動車屋になるよりもっとおカネ儲けをしなくっちゃならないことに気がつくのが少々遅かったということ、かな。
父ちゃんの話を聞いたり、コメントを読んだりすると、青春時代の、あの、うずうずした想いがよみがえります。
本格的なスポーツテイストを味わう為には、やっぱりFFのクーペではだめでしょうね、しかもモーターでアシストしたりして。
なんと言ってもFRロードスターでないとね、直4か直6がいいですね、コンピュータ制御は最低限でお願いします。
でももう世界中探しても数少ないのです、アメリカでさえダッジバイパーが生産中止です、BMW Z4ががんばっていますが、日本車ではマツダに1車種あるだけ、寂しい限りです。
どうせ買えませんけどね。