2008年10月29日

シッカヤハンのスカイラインGT

  京都府北部の丹後あたりで織り上げられたチリメンと呼ばれる白生地が、いろいろな色柄に染められて着物に仕上がるまでには、たくさんの複雑な工程を経る。
  室町を中心とする京都の着物の産地では、この各工程がそれぞれ独立した職人さんや、小規模な工場などで行われている。

  この職人さんや工場を行き来するのがしっかい屋(悉皆業・京都弁でシッカヤハン)である。

  京友禅が盛んだった頃、室町界隈は運送屋のトラックとそしてこのシッカヤハン のクルマであふれんばかりの賑わいを見せていたものである。

 

  このような日本の高度成長期のまっただ中、いざなぎ景気と言われるものすごい時代が始まった昭和30年代おわり頃、日本にもモータースポーツの熱が高まり始めた。

  日本グランプリレース大会が鈴鹿サーキットで行われ、国産車にもようやく本格的なスポーツカーやGTカーが登場してきた。

 その代表ともいえるのが、憧れのプリンススカイラインGTだ。

 

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  レースの車両規格に対応するためだけに、1500ccスカイラインのホイールベースを200mmのばし、グロリヤの2リッター6気筒エンジンを載せ、ウェーバーツインチョークを3機もおごったモンスターは、昭和39年5月3日、GT-Ⅱレースでポルシェカレラ904GTSと壮絶なデッドヒートを演じ、8周目ヘアピン手前でポルシェを抜いて、スタンドはおろか日本中の喝采を浴びた。

 それは当時の自動車大好き少年の脳裏にしっかり焼き付いている。

  スカGがトップを走ったのはたった1週だけだったがこれがスカイライン伝説を生み、40年以上たって12代目の今でも人気は衰えないが、初代こそスカGだという人は私だけではない。

 

  それにしてもどう考えても、あの頃の国産セダンがいくらがんばったってポルシェのレーシングカーに勝てるはずがない、あのゼッケン41番に乗っていた生沢徹さんがのちに、

 「談合だった」

 との噂に対して、

 「あいつ(ポルシェの式場壮吉さん)は抜かしてくれる気なんかさらさらない、むしろ友達をいいことにS字なんか、よろよろ走るわけ、女性ドライバーに引っかかってうろうろした時に、しめた、と思った」

 つまり完全になめてかかっていた式場さんの一瞬の隙を突いただけの話だったのだ。

  「抜いてからはエンジン全開ですよ、彼も抜かれてあわてたんじゃない、抜き返されてからはもう離される一方」

 これが真相だ。

 

  もうひとつ。 あのポルシェ904はトヨタが買ってレースに出させたという噂もある。

 

  そのスカGが市販されたのは、GTⅡと言うレースのホモロゲーション(公認)を得るために2月15日からの1ヶ月間に生産した100台を売りさばくためだったとか。
 売れるかどうかわからないクルマを1ヶ月で100台作ることも当時としてはすごいことだが、この100台のためにイタリヤからウェーバーツインチョークを300台仕入れたということもすごい。

  今この種のキャブレターは十数万するが、当時は3万円ほどだったと聞く(昭和39年の3万円だ!)、日産と合併する直前のプリンスにこれほど思い切ったことができたと言うこともスカG伝説の1ページになっている。

 

  発売されたスカGは予想外に人気が高く飛ぶように売れ、輸入が間に合わず、その年の9月にはついにシングルキャブで間に合わせたGT-Aを発売、3連キャブのタイプをGT-Bとした。

 

  そんな景気のよい時代、質素倹約を旨とする京都商人のシッカヤハンにも自動車大好き中年がいて、早速お買い上げいただいたのだが、その話はこの次と言うことで・・・。

posted by 健太朗 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | プリンスの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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