2008年05月29日

駐車場のクラウン

 私の実家は京都のさびれた商店街にあり、数件隣にはマンションが建っている。
 ここも私が中学生の頃には商店であり繁盛していた、そしてその商店の裏庭、というより空き地は子供たちの遊び場にひとつだった。
 そこが4〜50台も入る大きな駐車場に変わっても私たちの遊び場であることに変わりはなかった。

 私たちはクルマが置いてない場所を選んでボール遊びをしたし、ドアキーがかかっていないクルマの中は格好の隠れ家でもあった。

 

                          Rs02      

 クラウンRS

 その中にちょっと古い初代クラウンがあった。

 私はその車の細部まで観察した。
 リヤサスペンションのリーフスプリングはたった3枚しかないこと、フレームの床下になる部分はがらんとして大きな空間があること、燃料給油口はトランクの床面にあること、ドア内ハンドルを反対に倒すと鍵がかかること、ボンネットを開けるためのレバーはフロントグリルの内側にあること、サイドブレーキレバーは運転席とドアの間にあることなど、書き上げるときりがない。

 その湿気た匂いの漂う室内空間は自動車大好き少年のお気に入りの隠れ家で、運転席に座るとそこは限りない夢の世界が広がった、そしていつの間にか後部座席で居眠りしいてた。

 

                              Rs                          ビニールシートの簡素な室内

 

 このクラウンはRSという初期型のまだ単一グレードの時代のクルマだ。
 昭和30年、まだ日本の自動車技術は創世記にあり、外国の技術を導入した日野のルノー、日産オースチン、いすずのヒルマンなどに対し、トヨタが国産技術の総力を結集して完成させたクルマで、アメリカンスタイル、前輪独立懸架などを特徴とした、当時としては斬新なクルマであった。
 ただしノックダウンの三車と比べて技術的にあたらしいかと云えば必ずしもそうではなく、それまでのトラックのシャシーを流用した、ただ堅牢なだけの国産乗用車と比べて斬新と云えるのであったろう。
 あえて応力外皮構造(モノコック)としなかったのは当時の日本の道路事情とタクシーを意識してのことだったようだが、その後40年もの間、国産唯一のシャシー付きセダンとしてトップに君臨し続けたのは立派である。
 1450cc、4285×1680×1525は、今のカローラより小さいくらいのクルマだがこれが5ナンバーの枠いっぱいであって充分立派で大きく感じられた。


 当時の私はまだこの駐車場のクラウンを夢の中でしか運転することはなかったが、後にRS20やRS30といった初代クラウンのマイナーチェンジ版に乗る機会があった、だがもうその頃は国産乗用車の代表といった地位を築き上げていて、鈍重だが運転しやすく豪華な中型車といった印象がある。
 特に後席の肘掛けがドア側にあって、これが特に高級車の印象を強くしていた。観音開きだからこその装備なのだ。

 後期型で印象に残っているのは、トランクの中にあった燃料給油口は大きくなったテールフィンの先にある涙型のテールランプの裏に隠れていたことだ、給油のときはこの左のテールランプ全体がぼこっとはずれてその奥のキャップあけるのだ。

 駐車場の古いクラウンには、乗用車には珍しいアポロと呼ばれた腕木式の方向指示器が付いていた。どんなのかというと、左右のセンターピラーから細長い菱形の棒が飛び出してそれが光る、菱形は矢印に見えるからその方向へ曲がりますよという合図なのだ。

                              
Rs_2 

 アポロ





 点滅しないのでウインカーでもなければフラッシャーでもない、つまり方向指示器(英語ではturn signal) なのだ。

 もちろん前にも後ろにもウインカーなど付いていない、特に後ろは赤い小さなテールランプだけなのだ、だから今のクルマにないシンプルな美しさがある。


 ある時、私の隠れ家にお客様があった、幼なじみのY子だ。私は彼女と並んで座って夢の世界へいざなった、そしてうきうきするような幸福な時間を過ごした。
 そこで私は奇妙な気持ちを味わった。それが恋心だと気がつくのはずっと後になってからだが、残念なことにY子には私の夢の世界は決して居心地の良いところではなかったようだ。

posted by 健太朗 at 22:54| Comment(1) | くるまの雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このblogを見てくれた知人から「リーフスプリングがたった3枚」ってどういうこと? というメールが届いたのでここに回答を書きます。 初代クラウンは日本の本格的量産乗用車の第1号といって良いと思うのですが、それまでの乗用車はトラックのシャシを借りて乗用車のボディを架装したものでした。 トラックのリーフスプリングは頑丈で堅く、乗り心地は悪いものでした。しかし頑丈とは言ってもまだまだ材質も悪く、当時の日本の道路事情は更に悪く、でこぼこ道やタクシー需要に絶えられるようにするには少なくとも5・6枚重ねる必要がありました。 それでもへたりや折損は日常茶飯事だったとそうです。 もちろんフロントもリーフでした。 リーフの枚数を少なくするとフリクション、つまりリーフ同士の摩擦抵抗を少なくできるので乗り心地が良くなります。 トヨタは東大の亘理厚教授を中心とする、3枚ばね研究会、の協力を得てこの3枚リーフの材質や工作方法、サイズなどを決定したと言われています。 当時の私がこのようなことを知っているはずはありませんが、自動車大好き少年としてはいろいろなクルマの下をのぞいていたのでしょう、駐車場のクラウンの下をのぞいて、へえぇ3枚しかないのや、と思ったことを覚えています。 ちなみにその後プリンスグロリヤはドデオンアクスルという方式で1枚リーフに成功しています。
Posted by 健太朗 at 2008年06月18日 22:21
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