2007年12月02日

幼なじみのてんとう虫・つづき

B 初恋の彼女をドライブに誘ってスバル360で出かけ、その道々彼女と会話するうち、ふっと褪めてしまった。
 このとき初恋とともに私の思春期は終わったのだ、と思っている。
 私はこのスバル360を思い出すとき、思春期から青春時代に至るいたーい感傷に浸ることが出来る。
 まぁそんなこんなで、傷だらけの恋人てんとう虫は板金塗装は素人ながら、私の手で少しは美しくなったが5年落ち、走行8万キロを超える軽自動車は当時としては多走行低年式車ではあった。
 そしてその夏、自動車屋の仲間と琵琶湖の水泳場までキャンプに出かけることになった。

02

 コロナ、ヒルマン、スズライトと私のスバル以外にトヨエースのトラックにキャンプ用品をいっぱい積んで出かけた。もちろんスバルには4人フル乗車だ。
 ローギヤで20キロ、セカンドでも40が限界だ、最高速度60Kmの世界とはそんなものだ。
 なので颯爽と先頭を走るのだ。
 ところがどうも調子が良くない。
 国道一号線の逢坂山がトップギヤで登れない。
 セカンドギヤ目一杯だとオーバーヒートに見舞われる、だから30キロでよたよたと坂を上るのである。
 このとき室内は大声を出さないと会話が出来ない。
 これには乗客だけでなく併走車からもブーイングだ。仕方がないから3人の乗客をハイエースの荷台に載せて、おまえは一人で後からゆっくり来い。ということになった。
 
 そうなると私にも少しは負けず嫌いなところがあるもので目一杯頑張って後ろからついて行った。
 20対1の混合油を食らって後ろからもくもくと白い煙を吐きながら傷だらけの恋人は懸命に走行ってゆく。
 ぐわんぐわんと唸りながら、人目も気にせず、あごをふりふり、湖岸の道を、景色を白く塗りつぶした。
 それでも皆に数十分も遅れて琵琶湖の水泳場に到着した。
 しかし彼は負傷のランナーとなっていた。
 ディストリビューターががたがたになっていたのだ。そのためエンジンはからからとノッキング音を出し、速度は平坦路でも30キロしか出なくなっていた。
 だが自動車屋の仲間はすごかった。
 その日夜遅くまでかかってディスを分解、シャフトとブッシュを細工してちゃんと走行れるようにしてくれた。私はまだメカニックとしては素人のようなものなので仲間といってもそれは先輩方のことだ。

 あれから40年もたったがここであのときのお礼を言いたい。ありがとうございました。

 そうして私たちはキャンプをし、琵琶湖で泳ぎ、それから船に乗ってえりですくった稚鮎の天麩羅などをいただき、楽しく過ごして帰路についたのだが、途中我が麗しの愛車はまたもや負傷のランナーとなった。
 もう少しで自動車屋に到着と言うとき、突然がたっと言う音とともにエンジンが空回りし始めた、ドライブシャフトが外れたのだ。

04

 スバル360のリヤドライブシャフトは、内側にしかジョイントがない。外側はジョイントがなくてもスイングアームが柔軟に支えてくれるのだ。その内側のジョイントはデファレンシャルケース内にあって、デフオイルで潤滑されている。
 そのユニバーサルジョイントとドライブシャフトはたった2本の小さなボルトでつながっているのだ。
 そしてこのボルトが緩みやすく、加速時にことこと異音が出たら速やかに増し締めして緩み止めの対策を施さなければならない。
 だが当時の私はこのことを知らなかったのだ。かくして外れたドライブシャフトはデフケースを傷つけ、分解修理となったのである。
 今では考えられないことだが、この時代、部品は極力交換しない。
 だいいち新車から4・5年もたったら入手すら困難になる、例のディストリビュータシャフトのブッシュも旋盤でこしらえたものである。
 デフはエンジンと一体だからデフケースというのはミッションケースでもありエンジンのクランクケースでもあるのだ。
 分解したデフケースは溶接で修理、ユニバーサルジョイントはそのまま使用。
 だからひと月もかかって修理が終わった後もたびたび例のボルトを増し締めしなければならなかった。 
 こんな調子だからついに嫌気がさして売っぱらうことにしたのも無理はないと思ってほしい。
 あちこち中古車業者を当たってみたら丸太町通りにあった小さな店が3万円で買ってくれた。
 実を言うとこの車を和尚さんから買ったのは3万円だったのだ。
 私は自動車整備専門学校でも学べない貴重な経験と、たくさんの思い出を無料で手に入れたことになる。

Photo_4


 白黒写真は以前アルバイトをしていたガソリンスタンドで撮ったものだ。上はカタログの写真、バックミラーはオリジナルにはついていない、そしてバンパーは黒い二分割が標準だ。


posted by 健太朗 at 18:30| Comment(4) | TrackBack(0) | スバルの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
健太朗さん
こんばんは。(慣れ慣れしいですが・・・)
本日此方スバル360の生みの親の方のところへ手を合わせに伺いました。
9月後半だというのに高い気温と蒸し暑さでメタボの私にはダブルパンチ。
私とスバル360は正直あまり良い記憶ではありません。
というのも実家にクルマは無く、ある日会社の方の360で泊まり旅行に行きました。確か小5位で一緒に乗った弟と2人してフニャフニャスプリングが良く効く中で
激しいクルマ酔い・・・でも今となってはとても良い思い出です。
(ただその時のクルマの写真を撮っていない親を少々恨んでおります??)

※食事中の場合は失礼しました。
Posted by なび☆えこ at 2013年09月22日 22:46
健太朗です。
なび☆えこさん、コメントありがとうございます。

手を合わせに行かれたのは百瀬真六さんですか。
お知り合いなら百瀬さんの話をお聞きしたいものですね。
百瀬さんは確か1997年までおられたと記憶していますが、もう17回忌くらいになるんですかね。

旧中島飛行機の「誉」という二列星形18気筒35リッターエンジンはプリンスの中川良一さんとともに彼の人の傑作のひとつですが、目標の2000hpをひねり出すには100オクタンのガソリンが必要だったということですので、もしも当時の日本で石油事情がもっとよかったら、歴史を変えるほどのすごいことだったのでしょうね。

ところでなび☆えこさん、ふにゃふにゃスプリングの360で車酔いされたとのこと、今となっては貴重な経験ですね、道路も悪かったのでしょうが今では味わえない乗り心地です。
ずっと覚えていてほしいと思います。
Posted by 健太朗 at 2013年09月23日 16:51
健太朗さん 
早速有難う御座います。(晋六さんですね。)
当方は百瀬様との関係は何もありません。
ただ今在住の松本の隣、塩尻市出身で旧制松本高校から東大など旧車ファン(此処15年程度です)として以前から何とか手を合わせに行きたいと思っておりました。そしてイベントなどで尋ねるなどした結果漸く実現しました。初めは色々考えるも御本人を目の前にすると頭の中が真っ白に・・・以前オートモ号の豊川さんのお墓でも真っ白に・・・個人情報など取扱い注意もあり、いち素人が簡単にクルマ開発者の方々を調べるのも限界が有りますがこれからも活動して参ります。長文にて失礼しました。
Posted by なび☆えこ at 2013年09月23日 22:07
健太朗です。
なび☆えこさんのblog拝見しました。

『昭和を駆け抜けたクルマたち展』、いいですね見に行きたいですね、でも松本までは「日曜日にちょいと日帰りで」というわけにいきませんね。
京都でやってくれればいいのですが。
Posted by 健太朗 at 2013年09月30日 21:55
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