2007年09月25日

所長さんのヒルマン

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  まだ運転免許も取れない15歳の頃の話。
近くのガソリンスタンドでアルバイトをしていた。
学校を終えてすぐ市電に飛び乗り、閉店する午後8時頃までの約3〜4時間の勤務である。
 時間給は60円、数ヶ月後にはガンバリを認められて10円アップしてもらった。

 ガンバリと言ってもまだ自動車そのものが少ない当時のスタンドはお客は少なく、私としては特に頑張ったつもりはなかった。
それでも時々は日曜日も出勤して、一年間で約3万円の貯金をし、それでてんとう虫を買った。このスバル360の話は別の項に譲る。

 その頃のガソリンスタンドでは、2サイクル用のガソリンを売っていた。
 これは混合油と言って、レギュラーガソリンに2サイクル用エンジンオイルを混ぜたもので、後世のハイオクとレギュラーを混ぜた混合ガソリンとは違う。

 現在の2サイクルエンジンはガソリンとエンジンオイルを別々のタンクから供給するが、当時のそれはガソリンの中に潤滑油を混ぜ込んでいたのだ。
 ポンプスタンドの側面には10対1から30対1までのダイヤルが付いていて、たとえばスバル360なら25対1とか、三菱360なら20対1だとかいうふうに調節して給油するのである。

 今でもそう思っている人は多いが、当時からハイオクタンガソリンは上等のガソリンだと思っている人が多く、圧縮比8くらいの普通のセダンにハイオクを入れる人がけっこういた。それがスタンドの儲けだったのだ。そうでなければあのころハイオク仕様のエンジンなど、高級スポーツカーくらいのものでハイオクがそんなに売れるはずもなかったのだ。

 儲けと言えばスタンドマンにも余剰利益というか、役得のようなものがあった。
閉店後、各ポンプの電源を切る。そしてホースに溜まっているガソリンを抜き取るのだ。
抜き取ること自体は必須作業で、安全のためなのだが、従業員の自家用車に入れてしまうのは良いことだったのか悪いことだったのか今でも解らない。だがこれが十数リッターにもなるから馬鹿にしたものではない。
 所長さんのヒルマンミンクスが食う通勤用の燃料にしても余ってくる。だから他の従業員にも廻ってくるのだ。
 まだ運転免許さえ持っていない私も、無免許でこっそり乗るバイクを家に隠し持っていたので、この2サイクル用ガソリンをもらって帰ったものだ。

        

          

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 その所長さんの自家用車の話だ。これは、1959年(昭和34年)製ヒルマンミンクス、英国ではジュビリー(Jubilly:喜び)と呼ばれたヒルマン誕生50周年記念モデルモデルである。

 そもヒルマンミンクスというクルマはイスズが英国のルーツ社からノックダウンで組み立てたクルマであることは誰でもご存じだと思うが、昭和31年から32年にかけて完全国産化された。
 その後頻繁にマイナーチェンジし、価格も103万から66万まで値下げされた昭和39年まで7万台あまりが生産された。

 1500cc55馬力のデラックスと50馬力のスタンダードの2グレードがあったが、所長さんの黒いミンクスはスタンダードの方で、フロントグリルやドアモールなどのメッキ部分が少なかった。また15インチホイールに付くメッキのホイールキャップも半カバーであった。

   室内は広くふんわりした乗り心地がこのクルマの特徴で法定6人乗りのビニール張りのベンチシートは十分にゆったりしていた。
しかしこのクルマの寸法を見ると、今のカローラより遙かに小さいクルマであった。だがタクシーは中型の料金だったし、実際、当時としては大きな高級車であった。ちなみに1500ccが3ナンバーだった時代もあったのだ。

 ある時私は所長さんが所用で出かけた隙にこのクルマを走らせてみようと思い立った。まだ運転免許を持っていなかった15才の私は、とは云っても自動車大好き少年の私のこと、運転技術には既に熟達していたから、こっそりキーを盗み出して近場をドライブするのにさほど勇気を必要としなかった。

 遠心力を利用してピニオンギヤが飛び出すタイプのセルモーターを廻すと瞬時にエンジンが始動して暫くセルモーターが空回りする。当時のイギリス系のエンジンは(ダットサンなどもそうだ)皆このタイプだった。
  ロングストロークのOHVエンジンは、ごく低速でことこととアイドリングする。重いクラッチを踏んで4速ミッションをセカンドにシフトする。ステアリングコラムの右側にあるシフトレバーを押して下だ。平坦な道路で発進するのにローギヤは必要ない。それほどの低速エンジンなのだ。セカンド発進してもただクラッチを放すだけで何のストレスもなくスムーズに発進して、そのまま60キロぐらいまで加速する実にフレキシブルなエンジンである。

 だがこれが当時の常識なのだ。

 私はそのまま川沿いの道を行き、大通りに出てふわりふわりとドライブした。大きなハンドルに大きなホーンリング、グニャグニャのシフトレバー、トップギヤで20キロから加速するなめらかなエンジン、それに右に寄った小さなペダルを操作して優雅にドライブするのは、クルマ大好き少年にとっては夢のような世界だったのだ。何か陶酔に似た感覚に酔っていつまでも走っていたいようだった。

 突然前方の信号が赤に変わった。突然変わったのではない、気が付くのが遅かっただけだ。とっさにブレーキを踏む、しかし、効かない。思いっきり踏んずけてもなかなか停まらない。交差点の真ん中まで行って漸く停まった。
 故障ではない。私はヒルマンのブレーキがこれほど貧弱なブレーキだとは知らなかったのだ。私は交差点の真ん中に停まって前と後ろを左右に走るクルマ達をきょろきょろしながら眺めていた。

 しかし不幸はこれで終わらなかった。どうやら急ブレーキを踏んだ際、クラッチを踏み忘れていたらしい、エンジンが止まっていたのだ。そしてセルモーターも壊れていた。勿論原因など当時の私に解るはずはない。

 こうなると頼りになるのはクランクハンドルだ。クランクハンドルなどと言う言葉はもう今は死語になっているが、当時の普通の乗用車には必ずトランクに一本入っていたものだ。
私はトランクからこれを出してフロントバンパーの真ん中にある穴から差し込み、満身の力を込めてエンジンを廻した。
 かからない。いくら頑張ってもかからない。

 気が付くと後ろに警官が立っていた。それはそうだろう、いくらまだクルマが少ない時代だとは云っても交差点の真ん中に車を止めてくランクハンドルを回している子供がいるのだから警官が見たら放っておけないだろう。
 しかしその警官は意外にも私にクランクハンドルの回し方を教えてくれたのである。

  「ええか、こう廻して重たなったところで一旦止めて、ここでうんと力を入れる。そうや、それでええのんや」

 この日から私はクランクハンドルの天才になった。
 それで私はその警官に無免許を咎められることもなく、スタンドに帰って所長さんに咎められることもなく仕事を続けた次第である。だってその夜、所長さんは何事もなかったようにクランクハンドルをひとまわしして、「おつかれー」て、帰って行かれたのだから。

 いやぁ、そう言う時代だったのでしょうか。ね!
 今なら大変なことになってたでしょうね。

追記
  昭和31年、ヒルマンを国産化するにあたり、いすず自動車は三菱自動車に依頼してボディーをつくらせました。
 このニューヒルマンは昭和39 年6月までに約58000台、製造されました。
posted by 健太朗 at 23:29| Comment(6) | TrackBack(0) | いすゞの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そういえば、わたしが乗っていた昭和63年式コンテッサ900もクランク始動ばっかりやってたなあ。そんな時代だっったんだね。いまの車は踏切でエンストしてもセルで脱出もできないみたいだね。
Posted by tiger at 2007年10月29日 14:45
クランクを回す時の手袋を入れたから、グローブBOXと言うみたいですネェ〜〜
Posted by ken at 2007年12月15日 21:08
Kenさん、コメントありがとうございます。クルマには古い言葉がいろいろと使われています。もっと古いところでは、ダッシュボード(インストルメントパネル)は馬車がダッシュ、つまり加速するときに馬が蹴り上げる小石から御者を守る保護板のことだそうです。
Posted by 健太朗 at 2007年12月15日 22:45
健太朗さん、ダッシュボードはそんな意味だったのですか〜〜なかなか面白いですネ!ところで『ハンドル』はどのような語源ですか?
Posted by ken at 2007年12月16日 21:38
うーん、難しい質問をされますね。これは、そんなに古くはないのですが、化石のような言葉ですね。ここには写真は載りませんので、クルマの話13ハンドルの写真を見てください。
Posted by 健太朗 at 2007年12月17日 23:14
健太朗です。

 この記事の中で、ヒルマンのシフトレバーがハンドルコラムの右側と書いていますが、現在まで多くの写真を見てもすべて左側にあります、私の記憶では確かに右側なのですが、これは間違いですのでお詫びして訂正します。
Posted by 健太朗 at 2013年11月08日 21:51
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