2007年08月26日

はじめての出張修理

Tl


 
就職してほんの1ヶ月くらいのときである。工場長の言いつけではじめて出張修理に出かけることになった。

 出張修理というのは途中で故障したクルマを修理に行くことを言うのでなにも遠くに行くわけではない。

 私は先輩の指導のもと、工具などを軽三輪に積んで二人で出かけた。電車道をごとごと走って国道に出て、山科に向かった。
 国道から古い街道筋に少し入ったところで1957年型のスズライトTLが停まっていた。今、山科の旧国道はいつもクルマがあふれて渋滞しているが、昭和40年代のこの辺りはのどかな田舎町であった。

 TLはスズライトとしては二代目で、それまではセダンやデリバリーバンなどもあったようだが、昭和32年、ライトバンだけになってモデルチェンジした。足下の前後長がかなり狭く、オルガン式のペダルの向こうには垂直のベニヤ板の壁があった。
 クラッチを繋ぐとドンという車体全体をふるわせるショックがあったが走り出すと乗り心地の好いクルマだったと記憶している。
 チェンジレバーはコラムシフト、いやコラムシフトのようだがあれは確かコラムの横のダッシュボードから生えていて直角に曲げられた鉄パイプのようなもので、ミッションにダイレクトにつながっていた。
 シフトパターンそのものはコラムシフトと同じようで、押して上がロー、手前に戻して下がセカンド、その上がトップギヤだった。ただ上がトップギヤというのは珍しい。
 このころの軽自動車の性能はカタログの数字など信用できなかったようで、TLもアクセルをふんずけてせいぜい60Km/hと言うところだった、ちなみにカタログでは21馬力、80Km/hであった。

02 

 さて顧客の話を聞くと、「突然いやな音がして車が走らなくなった。ギヤが噛み合ってないみたいだ」とのこと。
 さて、クラッチか、ミッションか、それとも・・・。

 私たちは兎に角ボンネットを開けて覗いてみた。

 エンジンルームには10数リッターのガソリンタンクがどかっと載っている。今では考えられないことだ。
 2ストローク2気筒360ccのエンジンは空冷のために大きなカバーで覆われている、従って下の方はなにも見えない。もっとも今の軽ボンバンに比べたら大きなエンジンルームはかなりの隙間があると云えなくもない。

 今度は下を覗いてみた。何かおかしい。
 それもそのはず、ドライブシャフトがない!のである。

 前輪駆動(このころまだFFと言う言葉はない)だから左右にドライブシャフトがあるはずなのに、右側のシャフトがないのである。
 そんな馬鹿な。
 私たちは首をひねりながら辺りを見回した。先輩は顧客にどの辺りで音がしたのか問いつめている。
 三人で10メートルほど戻った辺りを探してみる。

  あった。

 道路脇の溝の中に全長50センチほどのドライブシャフトが落ち込んでいた。

 問題はジョイントにあった。現在の等速ジョイントは空中分解など考えられないが、等速ジョイント以前の十字ジョイント、そのまた以前は何という形式だか知らないが、私の記憶では二股の鉄板にピンを通してあるだけの継ぎ手をいくつか組み合わせたものだったのだ。
 しかもそこにはブーツもなければグリースさえない。

 即ち、ピンがすり減って空中分解してしまったのである。私は驚いたが、先輩は何事もなかったかのように工具箱から8ミリのボルトナットを取り出してものの数分で組み立ててしまった。

 私はこの先輩のカッコ良さに惚れぼれした。おそらくこのことがウン十年も私をクルマの下に潜らせている原動力、原点になっているのではないかとさえ思うほど印象的な出来事であった。

 ちなみにこのジョイントが十字ジョイントになって、そして等速ジョイントが開発された昭和五十年代まで前輪駆動は普及しなかった。
 また、FFと言う言葉は富士重工がスバル1000を発売したとき、フロントエンジンフロントドライブと言った、それをFFと縮めたのである。
 正しくはFWD、フロントホイールドライブという。

posted by 健太朗 at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | スズキの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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