2018年06月08日

コンソルソ・デレガンツァ京都2018 その五

 前回のコンコルソ・デレガンツァ京都は2016年の秋に初めて開催されたそうです、そして今回は主催者の意向で桜の時期に合わせて行われました。
 テーマはカロッツェリア・トゥーリングです。

 主催者の木村英智氏は、日本に根付いていないコンクールデレガンス、自動車文化の祭典を、ヨーロッパ以外のアジアではこの日本にて開催していく、ことが目標だ、イタリア、クルマ、そして日本も京都も好きで、それを全部合わせたものをやりたいという思いでこのイベントを始めた、と語っておられます。

 私も大好きな、そのイタリアのスポーツカーの名門、フェラーリ、マセラティ、アルファロメオなど、素晴らしいクルマたちに、しかも私が生まれ育った京都の二条城で出会って、それらに囲まれて、これはもう至福のひとときでした、主催者とスタッフの皆さんに無限なる感謝です。

 今回はTouring Italian class of 1962~(1962年以降にトゥーリングによって作られた中で最も優れているクルマ)を受賞した1962年マセラティ3500GTです。

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 アルフィエーリ・マセラティとその兄弟によって自動車の製造が始められたのは1914年、イタリアのボローニャに於いてでした。

 しかし1932年、アルフィエーリは他界します、残った3人の兄弟はモデナの実業家に経営を譲渡、会社組織になってスパークプラグなどの自動車部品やを生産し、モペッドやオートバイも生産ししましたが、マセラティ兄弟はその会社から離れて、1947年O.S.C.A(オスカ)という自動車製造会社を創立します。

 オスカは小排気量のレーシングカーを自分達のために生産する工場としてサンラッゼロに造られました。

 MT4モレーリ・スパイダーというレーシングスポーツカーが最初のようです、今回のコンコルソデレガンツァ京都にも出品されているのはOSCA・187Sです、187は1シリンダーの容積を表しています、ですからわずか750ccで180km/hの実力を持っているクルマなのです。

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 さて、マセラティ兄弟が離れたマセラティ自動車製造株式会社は1960年倒産、シトロエン傘下で復活、プジョ-と業務提携、その後デ・トマソ傘下、フィアット傘下、そして現在はフィアット傘下のアルファロメオと統合されて、マセラティのブランドを残すという波瀾万丈の歴史があります。
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 今回、出品されたのは1962年マセラティ3500GTがシルバーとゴールドの2台、それぞれテールランプやサイドウィンドウなどが違っています、これはカロッツェリアの違いによるもののようです、恐らくゴールドの方がカロッツェリア・ツーリング社のデザインだろうとおもいます。

  そしてシルバーの方はAuto Italiana elegante (ACI)(イタリアのメーカーで最も優れているクルマ)を受賞しています。

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 速く、そして安心して乗れるグランツーリズモとして開発されたマセラティ3500GTは2+2クーペで1957年ジュネーブショーでデビュー、3500ccDOHC6気筒3連ウエーバーツインチョーク・ツインプラグイグニッション235馬力、ZF5速MT、前ダブルウィッシュボン・後リジット、車体寸法は日本で言う5ナンバーサイズを少し超えるくらいと、なんだか日本車のスタンダードのような成り立ちのクルマです、ただしフレーム構造は鋼管マルチチューブラフレームでこの時代の日本車には真似の出来ないものでした。

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 3500GTにはカブリオレもありました、こちらはヴィニヤーレのデザインで一回り小ぶりの5ナンバーサイズ、こちらも素晴らしいデザインです。

 もちろんクーペも、写真で見るより実車にまみえると特にボディを形作る線の美しさに感動さえ覚えます、日本車にも真似てほしいものだと思わず想ってしまいました。

posted by 健太朗 at 21:28| 京都 ☔| Comment(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月01日

コンソルソ・デレガンツァ京都2018 その四

   二条城の二の丸御殿中庭に入ってすぐ目につくのは、一種異様な形をした銀色のクラシックカーでした、よく見れば魚の形をしています、なんの魚やろ、と興味がわきます。

 Craftsman award(匠の技のエピソードが最も優れているクルマ)を受賞した。

 1926年フィアット509デルフィーノです。

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透明な塗装で魚のぬるぬる感を再現している

 イタリアのトリノで9人の技術者や実業家などが発起人となって操業したのがフィアット自動車製造所です。

 当時ヨーロッパのモータースポーツはフランス車が勢いを誇っていました、彼らはこれに勝つ事を目標に、レースでの勝利を重ねた実績をもって1906年、ジョバンニ・アニエッリを取締役として会社を設立しました。

 フィアット509は1925年から29年まで製造された小型車で、エンジンは水冷4気筒990cc22馬力、3速MT、ボディはセダン、ロードスター、ツアラーそれにタクシー用もあったそうです、また顧客の要望に応じてカスタムが造られたというような記述もあります。


 しかしデルフィーノはフィアットの歴史の文献を開いてもほとんど記述がありません。

 それもそのはずで、前回も書いたとおり自動車の黎明期には上流階級がコーチビルダーに造らせるスペシャルティーカーが多く、それらをお披露目する場がコンコルソ・デレガンツァであったのです。


 でもインターネットは便利なもので、検索して探せばイタリアのサイトが在りました、使いやすい翻訳アプリがないので余り良く分かりませんが、デルフィーノとはイタリア語でイルカのことだそうです、英語ではドルフィンですからそれに気がつけば良かったのですね。

 又別のサイトでは名前はイルカですが魚をかたどったデザインという記述がありました。

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フィアット 509 A デルフィーノ

 デルフィーノはちょっと特別なクルマのようです、もちろんたった1台しか作られなかったのですが、魚の鱗を表現するためにアルミニュームが採用され、塗装は透明な材料を使って魚のぬめり感を出しています、ですがアルミはパーツの接続やひび割れに苦労したそうです、20世紀初めの材質と技術ですからこれだけでもう芸術品ですよね。

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 戦争中には軍に供出されたそうですが、供出されるまでには少し時間があったようで1929年のコンソルソ・デレガンツァ ヴィラ・デステに出品されていたそうです。

 軍からは大砲を作る材料にならないということでアルミの部分だけつまり芸術的な魚の形をした車体だけ返されたそうです、そしてそれは1970年頃まで行方不明だったそうで、この辺りが良く分からないのですが、なんでも若い配管工の手によってハンマーという一種のプレス機のような機械を使って修復されたということで、その車体を元と同じフィアット509のシャシに架装することでようやく日の目を見ることとなったそうです。

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フィアット509フェートン




posted by 健太朗 at 14:00| 京都 | Comment(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする