コンコルソデレガンツァ京都2018 その八

 今回のコンコルソデレガンツァ京都2018では、カロッツェリア・トゥーリングがテーマとなっています、でもカロッツェリア・トゥーリングってなんなのでしょう。

 カロッツェリアとは、イタリア語でクルマのボディをデザインしたり製造を担当する業者のことで、板金工場だと言ってしまえば安物くさいのですが、黎明期、馬車製造会社が自動車に転職したのが最初でしょう、ヨーロッパでは自動車メーカーのシャシにカロッツェリア独自のボディを載せるということは、モノコックボディが普及するまでは普通に行われていたようです。

 ちなみに英語圏ではコーチビルダーと言われていました、日本にはない文化なのですが最近ではミツオカ等のようにカスタムボディを載せたクルマが出ていますが、これはコーチビルダーやカロッツェリアと言わずにメーカーだとされています。

 今回お話の種にするフェラーリもイタリアの富裕層に愛用される高級スポーツカーですから、、ボディはトゥーリングやヴィニャーレ、スカリエッティやピニンファリーナ、ギアなどのカロッツェリアに委託していました。

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 トゥーリングはスーパーレッジェーラ方式という軽金属と羽布張り鋼管フレームの軽量で多様性のある構造で、しかも気品あるデザインが特徴で、当時のイタリアスポーツカーには人気があるカロッツェリアでした。

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 さて今回はTouring Milestone(トゥーリングの歴史において画期的な道しるべとなるクルマ)を受賞した1949年フェラーリ166インテルのお話です。

 フェラーリはイタリアのモデナにある、富裕層向けの高級スポーツカーとレーシングカーのメーカーです、創業は1947年エンツォ・アンゼルモ・フェラーリ、9歳の時にその魅力にとりつかれたというモータースポーツ大好き少年が22歳でアルファロメオのテストドライバーになります、26歳の時にカロッツエリア・エミリア・エンツォ・フェラーリを設立、これはロメオの販売会社で、カヴァリエーレ章やコメンダトーレ章を受勲、レーシングドライバーとしてはスクーデリア・フェラーリを設立してアルファロメオのセミワークスチームとして活動しましたが34歳の時に息子アルフレード(愛称ディーノ)が生まれたのを機に、レーシングドライバーを引退します。

 引退後はアルファロメオのワークス・チームのマネージャーも務め、ベンツやアウトウニオンを相手に好成績をあげ、また販売にも手腕を発揮しましたが、経営陣との衝突があって41歳でアルファロメオと袂を分かちます。

 その時に今後4年間はレースに出場しないとの契約を交わします、そこでアウト・アヴィオ・コルトルツィオーニという自動車製造会社を設立して自らが設計したアウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ815でミッレミリアに参戦します。

 これが、フェラーリがスポーツカーを製造する基となるのですが、時代は第2次世界大戦に突入して兵器を製造することになります。


そして戦後の1947年エンツォ・フェラーリは49歳で自身の名を冠した自動車製造会社フェラーリを設立します。

 最初の作品は125Sと159S、数字は1気筒辺りの排気量を表しています、それぞれ1497cc、1903ccV12 SOHCで100馬力と125馬力Sはスポルト、スポーツカーを表しています。

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 さてその次の年に発表されたのが166S、排気量を1,995ccに拡大したモデルでその年のミッレミリアやタルガフローリオで優勝、155馬力/7,000回転、最高速度は185km/hというとてつもない高性能なスポーツカーです。

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 166にはS(スポーツ)スパイダー(コンバーチブル)F2(フォーミュラ)MM(ミッレミリア=バルケッタ)など色々な型式やデザインがありましたが、それらは主にカロッツェリアの作品で少数台しか作られませんでした、その中でインターは38台生産されました。

 たった38台で多いのですから今に庶民には考えられませんね。

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 インテルはトゥーリング製、ヴィニヤーレ製、ギヤ製等がありましたが、今回のコンコルソデレガンツァ京都2018で受賞されたクルマはもちろんカロッツエリア・トゥーリング製のロードユーザー向けGTカーです。

 車体色が黒であることもあってあまり目立たなく、フェラーリに派手なスーパーカーのイメージが強い人には、これがフェラーリだと気づかれなかったかもしれません、と思うくらい気品と高級感にあふれたクルマです。

posted by 健太朗 at 20:32京都 ☁Comment(0)外車の話

コンコルソデレガンツァ京都2018 その七

   とあるサイトで、ボルボ販売店サービススタッフの技能コンテストを取材した記事を見かけました、記事によると、「トラブル対応はパソコンとのにらめっこが続いていて、今どきの車両トラブル対応のやり方はコンピューターを使った診断で原因を探っていくことを改めて実感した。」とのことでした、さもありなんと思います。

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 私も自動車屋を引退してから10年近くなりますが初期の診断用コンピュータと格闘したことを思い出します。


 さて今回も二条城の二の丸御殿中庭に展示され、コンコルソデレガンツァの受賞車からTouring Foreign(イタリア以外のメーカーでトゥーリングのボディを纏った最も優れているクルマ)を受賞した1959年アストンマーティンDB4 3.7の話をしましょう、コンピュータもパソコンもない時代のクルマです。

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 アストンマーティンはイギリスのクルマですが、一時はフォードの傘下でしたが、現在ではイタリアの大株主、ドイツのダイムラーや、今では中国資本のジャガーなどとも提携、そしてCEOのアンディパーマー氏は元日産自動車副社長とグローバルですが、やはり数少ない英国民族の自動車会社であることに間違いないようです。

 また、過去に製造出荷された自社の車両をレストアするということも行っており、アストンマーティンの歴代全出荷台数の9割が実働車として現存しているとされています。

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 1913年、ロバートバムフォードとライオネルマーティンが設立、シンガーを改造した一号車がアストンクリントン村のレースで優勝したところからアストンマーティンのブランドが出来ました、そして1920年アストンマーティンスポーツが市販されました。

 その後何度も倒産の憂き目に遭いながら、第2次大戦後トラクターなどの製造会社デイヴィットブラウンリミテッドの傘下に入り、同時期に倒産した高級車ブランドのラゴンダを吸収合併して、アストンマーティンラゴンダの社名になります。

 ちなみに、DB4の隣にはラゴンダラピードセダンが展示されていました。

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 そしてデイヴィットブラウンの頭文字をとったDB1、DB2を発表してアストンマーティンは軌道に乗ります。

 エンジンはベントレーの創設者でもある技術者W・Oベントレーが参加、ボディワークはティックフォードを買収、イタリアのトゥーリングやザガートと提携してDB2の改良型などを発表します。

 受賞したDB4は1958年から63年まで製造された、トゥーリングのボディにベントレーのタデックマレックが新開発した3.7リッター直列6気筒DOHC SUツインキャブレター240馬力エンジンを搭載、トランスミッションはデイヴィットブラウン製の4速マニュアル、またブレーキはロッキード製倍力装置付き4輪ディスク、というスーパースポーツカーです。

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 このコンコルソデレガンツァ京都 2018ではトゥーリングのデザインが賞の対象となっていますが、アルファロメオ、マセラティと共にアストンマーティンもよく見ると、どこか似た手法の美しさが見えてくるような気がしました。

そしてパソコンもコンピュータもなく人の手と感性で製作された美しいクルマに、また改めて大きな魅力を感じることが出来ました。

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posted by 健太朗 at 21:17京都 ☁Comment(0)外車の話

コンソルソ・デレガンツァ京都2018 その六

 今上天皇陛下の御退位が来年5月に決定しています、戦争のない時代の国民の象徴として、天皇のあり方を模索されながら30年のご苦悩がありました。

 しかし陛下が皇太子時代、特に戦後しばらくの間は比較的ご自由に過ごされていた時代があったようです。

 当時の皇太子殿下が、これも異例なことでしたが、ご自身で運転される自家用車は昭和29年のプリンスセダンが最初でしたが、ご学友が乗るクルマを、運転させてくれ、とご所望されたことがあったそうです。

 それで葉山のパシフィックホテルの辺りで運転されたのが1952年型アルファロメオ1900だったのです、ただし葉山まではパトカー先導の一時停止なしの車列にご学友がくっついて行って、殿下が運転されたときは、後には侍従が同乗しての試乗だったそうです。

 この話は小林彰太郞の天皇の御料車という本に写真付きで載っています。

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アルファロメオ1900(ウィキペディアから拝借しました)


 さて今回はTouring Classic Italian 1952~1961(1952年~1961年に作られたイタリアのメーカーでトゥーリングのボディを纏った最も優れているクルマ)を受賞した1955年アルファロメオ1900CSSです。

 アルファロメオ1900は1950年から1959年まで生産されたアルファロメオとして戦後初の量産型セダンです、当初は水冷直列4気筒DOHC1,884cc90馬力エンジン搭載の4ドア・ベルリーナ(セダン)のみでしたが、後にはツインキャブレター110馬力、さらに1,975cc 115馬力になり、180km/h出せるスポーツセダンとなりました。

 シャシはアルファロメオでは初めて採用されたモノコックボディに、前ダブルウィッシュボーン コイル・後ラジアスアーム とAアーム コイルのリジットと、時代を想うと実に高性能なセダンです。

 唯一の不評はコラムシフトだったと言われています。

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 そしてこのセダンをベースにトゥーリングというコーチビルダーがデザインしたのが1900CSSです、Cはイタリア語で短いを意味するCorto、SSはスーパースプリント、ホイールベース2500mmのちょうどアクアより少し長いくらいの寸法でしょうが、真っ黒の展示車は大きく威厳のあるクルマに見えました。

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 このクルマもボディの曲線が実に美しく、現代のクルマにない大胆な凹凸が夢を感じさせてくれるデザインだと思いました。

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posted by 健太朗 at 14:00京都 ☁Comment(0)外車の話