2018年04月27日

カタログコレクションから・ドリームCB500FOUR

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  今回もカタログコレクションから、このカタログは縦35cm26.5cmと大きなものですが、パソコンとカメラの連携でまともなスキャン画像になったものです。

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昭和42年頃、とある染物屋さんのどら息子殿に買って頂いたもので、私が試乗する機会は納車時の数キロしかありませんでしたが、それ以前のCB750よりずいぶん軽快で乗りやすく感じたことを覚えています、CB750は重たくて重心もかなり低かったので私のようなやせっぽちがのるとカーブで寝かせるのに苦労しましたがCB500では一回り小さく軽かったのでしょう、しかし重心は4気筒エンジンのおかげで低いので安定したイメージです、これなら長距離でも楽だろうと思いました。

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このためカタログ1ページ目の黒い部分は写真では分かり難いのですが、「静かなる男のための500と書かれています、当時は暴走族などとは言わずかみなり族という連中が大きな音を立てて走行っていましたが、そんなに悪さはせず、ただオートバイが好きな、いわばマニアだったのだと思いますが、このような「静か」を強調されたのですからこのキャッチコピーはそのマニアに対するものだったのかもしれませんね。

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またこのカタログにはちゃんと定価が書かれています、当時のホンダのオートバイは一切値引きはありませんでした、ですから商談は実に簡単なものでした、余計なことを書きますが、好きな人が好きなものを買う、これだけの話で交渉の余地はありませんでした。

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この頃はまだ義務付けはされていませんが、ヘルメットホルダーが附いたバイクが増えてきました。

おそらくこのクルマが最初だと思いますが、パッシングライト・スイッチとイグニッション・キルスイッチが附いています、またフロントディスクブレーキもまだ珍しいものでした。

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私の自動車屋もこんなレトロな工具棚がありました。

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posted by 健太朗 at 22:21| 京都 ☁| Comment(2) | バイクの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月12日

カタログコレクションから くろがねベビー


 パソコンという機械は古くて悪い画像がケッコウ見られるようになりますからホントにありがたいものですね。

今回はムカシの写真からくろがねベビーのイラストカタログ(の一分)を紹介します。

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くろがねベビーを造った東急くろがねという会社は、昭和32年、日本内燃機製造が日本自動車工業を吸収合併するかたちで発足した会社で、その少し前にくろがね・ブランドの低迷で東京急行電鉄の資本参加を得ていましたので、昭和34年には東急くろがね工業に改称しました。


その「くろがね」という名前は前身の「秀工舎」を創業した蒔田鉄司氏の鉄の和名「黒金」から名付けられたもので、白楊社製作所時代(昭和2)には「オオトモ号」という日本初の量販乗用車を開発しています、その後も「ニューエラ号」という347cc4ストローク・空冷単気筒エンジンの三輪車などを世に送り出してダイハツやマツダを凌駕し、昭和10年には「95式小型乗用車(通称くろがね4)」を戦線に送り出しました。

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くろがね4軌

戦後も日本内燃機製造として三輪トラックの他マイティという小型トラックなどを製造していましたが、技術の遅れや販売力の弱さなどもあって、ミズシマやダイハツ、マツダに遅れをとっていました。

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さてそこに登場したのがくろがねベビーです、設計者の太田祐茂氏は、オオタ自動車の創立者、太田祐雄氏の三男で、すでにオオタ自動車から独立して、自動車修理工場などを経営していましたが、東急くろがねが立ち上げた子会社「くろがね小型自動車製造」からの要請で軽トラック開発を引き受け、昭和34年、全日本自動車ショウでベビーを一般公開しています。

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太田祐茂氏はそれ以前にヤンマーディーゼルで「ヤンマー・ポニー」を試作開発していますが、ベビーはポニーとの共通点が多く見られるそうです、前は横置き半楕円リーフ、後はコイルスプリングによる4輪独立サスペンション、エンジンは縦置き水冷4サイクルで、オオタの4気筒エンジンを半分にしてOHV化したもので18馬力を発しましたがクランクシャフトにバランサーがないので振動が大きいことが欠点とされていました。

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私が知っている「ひろしくんちのくろがねベビー」は振動よりも力のなさが印象に残っています、後世にはホンダN360のような高性能な4サイクルエンジンもありますが、その頃の軽自動車に2サイクルエンジンが多かったのはやはり当時の技術では2サイクルの方が簡易で高出力を稼ぎやすかったのでしょう。

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ちなみに、当時のコマーシャルソングに「くろがねベビーの歌」というのがあったそうです、私は記憶にございませんが、作詞・作曲は野坂昭如・いずみたくでリリオ・リズム・エアーズというグループでレコーディングされたそうです、後半はあほだら経の節だといいますからいまで言うラップ調の歌だったかもしれません。

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ベビーは発売当時の昭和35年には16,497台を生産してくろがね再起の起爆剤と期待され、ベビー量産工場として埼玉県に新工場まで開設されましたが、2サイクルのスバルサンバーやスズライトキャリーに追い打ちをかけられ、昭和37年にはその短い生涯を終えることとなりました。

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しかし、くろがねベビーはくろがねやオオタの技術を受け継いだ最後の自動車として記録に残っています。

その後、東急くろがね工業は再建を果たし、ニッサングループに入り、「日産工機」としてスカイラインやフェアレディのエンジンを造っています。

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posted by 健太朗 at 21:47| 京都 | Comment(0) | くろがねの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする