クラウンは昭和30年、先行発売されていたトヨペット・スーパーの自家用車向けとして発売されました。
他社がヒルマンやオースチン、ルノーはたまたカイザーなどと提携してノックダウン生産をする中、1940年代のアメリカ車をお手本にしながらも、純国産車として開発されたトヨペット・クラウンは、特に真空管式ラジオや温水ヒーターなどを備えたクラウン・デラックスが好評で、当時の価格がコーヒー1杯60円の時代に100万円以上もした高級車ですが、モデルチェンジするまでの7年間で15万台余り生産され、ビッグトヨタの礎を築いたクルマになりました。
昭和35年7月には、それまで1500cc以下だった小型自動車つまり5ナンバー車の規格が2000cc以下に、車体寸法も長さ:4.3mから4.7m以下に改正され、また昭和40年の輸入自由化に備え昭和37年、クラウンはRS40系にモデルチェンジされました。
10月にトヨタから発売された2代目クラウンは丸形デザイン・観音開きの旧型から直線基調の近代的なスタイルの、4ドアセダンと規格いっぱいのステーションワゴンになりました。
今回の写真は前半が初期型、後半は最終型です。
そのスタイリングは1960年のフォード・ファルコンがお手本と言われるように、アメリカ車の影響を強く受けたフラットデッキというデザインでトヨタのTを表したフロントグリルはリアパネルと共にジュラルミン製だそうです。
そして丸形のテールランプはスカイラインやコルト、ホンダスポーツのデザインにも影響を及ぼしています。
2代目クラウンのコンセプトは14代を数える現在のGS21系まで、さらに次期クラウンと言われている2017東京モーターショーに出品されたコンセプトモデルまでほぼ変わらず続いています。
シャシは初代の梯子形に換わってX型メンバーのプラットフォームが採用され、私の印象ですが、シフトレバーのカチッとした操作感と合わせて、全体に堅い印象のクルマになりました、その代わりに下に潜ってする作業の整備性が少し悪くなりました。
シフトレバーと言えば、Sの4速フロアシフトと当時まだ色物と言われたトヨグライドというAT以外はすべて3速コラムシフトですが、後期型の6気筒車には遊星ギヤのオーバードライブがセットされていて、メーター左手下辺りにあるノブを押して、確か60km/hを超えるとODがONになります、つまり3速プラス1速ということで、変速ショックもなく、かなり静かになったという記憶があります。
エンジンは初期型では3R 型OHV4気筒1900ccでこの時代はスタンダードとデラックスで馬力に差を付けるケースが多かったので、クラウンでもSTD80馬力、DX90馬力でした。
昭和40年のマイナーチェンジでM型SOHC直列6気筒2000cc100馬力と105馬力、クラウンSにはSUツインキャブ125馬力が搭載されました。
これらのエンジンは他の国産車に較べて整備性が良く、新米修理工としては性能よりも何よりも整備性の良さで好きになったクルマの一つです。
でもR型は元来低速トルクが強い扱いやすいエンジンですし、3R1900になってから高速でも静かで力強い、いまでいうコストパフォーマンスの良いエンジンだったと思います、そしてM型は後の2000GTやス-プラの高性能エンジンの元になったエンジンですので、基本がしっかりしたエンジンでしょう、滑らかで使いやすく高級車にふさわしいエンジンだったと思います。
ちなみに、昭和38年鈴鹿で行われた第1回日本グランプリレースのツーリングカーレースで優勝したクラウンは4気筒1900のスタンダードでした。
実は私、運転免許の実技試験をこのクラウンの初期型で受けました、セドリックとクラウン、どちらか選ぶことが出来ましたが、パワステなどない時代ですからステアリングギヤ比が大きくてロックツーロック4回転のセドリックより少々ハンドルが重くても3回転のクラウンを選んだのです、しかしクラウンはクラッチも重かったのと、R型エンジンは、ノッキング音が出やすくこれが試験の点数に影響したことをよく覚えています。
なぜよく覚えてるかと言いますと、この実技試験の点数が96点、マイナス点がノッキング音2回だけだったからです、「セドリックやったらノッキングせぇへんのになあ、」なんて悔やんだものです。
クラウンが2代目になった昭和30年代後半は高級車と言えばほとんどアメリカ車の大きなセダンでした、これに対応すべくクラウンからクラウン・エイトが誕生します、ボディを少し拡大して、V型8気筒2600ccのエンジンを積んで国産車初の3ナンバー乗用車と話題を呼びました。
慌てたニッサンは初代セドリックのボンネットを伸ばして2800cc6気筒エンジンを積んでセドリック・スペシャルを発売し、プリンスも2代目グロリアに2500ccグランド・グロリアを出しますがいずれもクラウン・エイトのような本格的な物ではなく、急ごしらえの物でした。
このクラウン・エイトは後のセンチュリーやセルシオにそのノウハウが生かされ、強いては現在のレクサスに高級車の歴史をつないでいます。