2018年03月25日

高級車2代目クラウン

2代クラウン01.jpg

クラウンは昭和30年、先行発売されていたトヨペット・スーパーの自家用車向けとして発売されました。

他社がヒルマンやオースチン、ルノーはたまたカイザーなどと提携してノックダウン生産をする中、1940年代のアメリカ車をお手本にしながらも、純国産車として開発されたトヨペット・クラウンは、特に真空管式ラジオや温水ヒーターなどを備えたクラウン・デラックスが好評で、当時の価格がコーヒー160円の時代に100万円以上もした高級車ですが、モデルチェンジするまでの7年間で15万台余り生産され、ビッグトヨタの礎を築いたクルマになりました。

2代クラウン03.jpg

昭和357月には、それまで1500cc以下だった小型自動車つまり5ナンバー車の規格が2000cc以下に、車体寸法も長さ:4.3mから4.7m以下に改正され、また昭和40年の輸入自由化に備え昭和37年、クラウンはRS40系にモデルチェンジされました。

10月にトヨタから発売された2代目クラウンは丸形デザイン・観音開きの旧型から直線基調の近代的なスタイルの、4ドアセダンと規格いっぱいのステーションワゴンになりました。

2代クラウン07.jpg

今回の写真は前半が初期型、後半は最終型です。


2代クラウン02.jpg

そのスタイリングは1960年のフォード・ファルコンがお手本と言われるように、アメリカ車の影響を強く受けたフラットデッキというデザインでトヨタのTを表したフロントグリルはリアパネルと共にジュラルミン製だそうです。

そして丸形のテールランプはスカイラインやコルト、ホンダスポーツのデザインにも影響を及ぼしています。

2代目クラウンのコンセプトは14代を数える現在のGS21系まで、さらに次期クラウンと言われている2017東京モーターショーに出品されたコンセプトモデルまでほぼ変わらず続いています。

2代クラウン05.jpg

シャシは初代の梯子形に換わってX型メンバーのプラットフォームが採用され、私の印象ですが、シフトレバーのカチッとした操作感と合わせて、全体に堅い印象のクルマになりました、その代わりに下に潜ってする作業の整備性が少し悪くなりました。

2代クラウン043.jpg

シフトレバーと言えば、Sの4速フロアシフトと当時まだ色物と言われたトヨグライドというAT以外はすべて3速コラムシフトですが、後期型の6気筒車には遊星ギヤのオーバードライブがセットされていて、メーター左手下辺りにあるノブを押して、確か60km/hを超えるとODONになります、つまり3速プラス1速ということで、変速ショックもなく、かなり静かになったという記憶があります。

2代クラウン06.jpg

エンジンは初期型では3R OHV4気筒1900ccでこの時代はスタンダードとデラックスで馬力に差を付けるケースが多かったので、クラウンでもSTD80馬力、DX90馬力でした。

昭和40年のマイナーチェンジでMSOHC直列6気筒2000cc100馬力と105馬力、クラウンSにはSUツインキャブ125馬力が搭載されました。

2代クラウン08.jpg

これらのエンジンは他の国産車に較べて整備性が良く、新米修理工としては性能よりも何よりも整備性の良さで好きになったクルマの一つです。

でもR型は元来低速トルクが強い扱いやすいエンジンですし、3R1900になってから高速でも静かで力強い、いまでいうコストパフォーマンスの良いエンジンだったと思います、そしてM型は後の2000GTやス-プラの高性能エンジンの元になったエンジンですので、基本がしっかりしたエンジンでしょう、滑らかで使いやすく高級車にふさわしいエンジンだったと思います。

2代クラウン010.jpg

ちなみに、昭和38年鈴鹿で行われた第1回日本グランプリレースのツーリングカーレースで優勝したクラウンは4気筒1900のスタンダードでした。

2代クラウン09.jpg

実は私、運転免許の実技試験をこのクラウンの初期型で受けました、セドリックとクラウン、どちらか選ぶことが出来ましたが、パワステなどない時代ですからステアリングギヤ比が大きくてロックツーロック4回転のセドリックより少々ハンドルが重くても3回転のクラウンを選んだのです、しかしクラウンはクラッチも重かったのと、R型エンジンは、ノッキング音が出やすくこれが試験の点数に影響したことをよく覚えています。

なぜよく覚えてるかと言いますと、この実技試験の点数が96点、マイナス点がノッキング音2回だけだったからです、「セドリックやったらノッキングせぇへんのになあ、」なんて悔やんだものです。


212.jpg
クラウン・エイト

クラウンが2代目になった昭和30年代後半は高級車と言えばほとんどアメリカ車の大きなセダンでした、これに対応すべくクラウンからクラウン・エイトが誕生します、ボディを少し拡大して、V8気筒2600ccのエンジンを積んで国産車初の3ナンバー乗用車と話題を呼びました。

慌てたニッサンは初代セドリックのボンネットを伸ばして2800cc6気筒エンジンを積んでセドリック・スペシャルを発売し、プリンスも2代目グロリアに2500ccグランド・グロリアを出しますがいずれもクラウン・エイトのような本格的な物ではなく、急ごしらえの物でした。

このクラウン・エイトは後のセンチュリーやセルシオにそのノウハウが生かされ、強いては現在のレクサスに高級車の歴史をつないでいます。


posted by 健太朗 at 21:33| 京都 ☀| Comment(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月07日

横転しないB360

b360トラック01.jpg
   昭和30年代の終わり頃から40年代前半にかけていわゆる60年代は私にとって自動車屋を志してそのスタートを切った、そんな青春時代でした。

政府の所得倍増政策による高度成長時代、マイカー時代と言われててはいましたが、庶民にとってはまだ始まりの始まり、黎明期とも言える時でした。

つまり、自動車はずいぶん身近になってきたものの乗用車はまだまだ高嶺の花、しかし大きな会社だけではなく個人商店にも配達用の軽トラックや乗用車換わりにもなる軽ライトバンなどが少しずつ増えてきた、などと思える頃でした。

私が自動車整備専門学校を卒業して初めて就職した九条通りの自動車屋では、主にマツダやダイハツのクルマを扱っていたのですが、それまで主流だった三輪トラックから時代の花形として四輪トラックに移ろうとしていました、特に軽自動車の場合はミゼットからハイゼットへ、K3からB4への代替で忙しくなり始めたところだったようです。

B360バン01.jpg

3とは、K360三輪トラック、B4B360のことでK34輪になったのでこんな呼び方をしたのでしょう、誰が呼んだか今日はそのB4の話です。

Mazda-B360.jpg
b360トラック02.jpg
初期型B360

B4は昭和36年、K3の後を追って登場した、フロントエンジン・リアドライブのオーソドックスな軽4輪トラックです。

K3は運転席の後ろにエンジンを置くいわばミッドシップレイアウトのカッコいい三輪車で、しかもそれは重心が低く、三輪車のマイナス面であります横転や転覆防止に大いに役立って好評でした、ですが四輪に比べるとその危険性はやっぱり高く、事実私もUターン時に横転した経験があります。

またブレーキも後ろ2輪だけですから巷を走行るクルマが増えるに従って危険な乗り物とされる懸念は払拭できません。

ですからB4の登場は時代の要求だったのでしょう、横転しないB4は発売時には月産500台だったのが3ヶ月後には月産2,000台と大幅な増産となったのです。

K360エンジン.jpg
写真はK360用

エンジンはK3と同じ356cc4サイクル空冷Vツイン頭上弁式ですが、K376度バンク11馬力に対してB4R360クーペと同じ90度バンク13馬力、ですから基本同じエンジンのようですがまったく別物のエンジンでした、別物と言ってもクランクシャフトやカムシャフト、それにクランクケースなどが換わっただけでしょう、90V型は理論上振動が0になるそうですから乗用車用のエンジンとしてはこの方が良かったのでしょう。

私の記憶では余り差はなかったように思います、でもB4もクーペも力強く静かだった印象が残っています。

b360トラック08.jpg

走りはもちろんK3のような3輪とは揺れ方も違うし安定感があります、そして車体が重く張った分エンジンはパワーアップしていますし、ブレーキも前リーディングトレーリング・後ツーリーディングの扱いやすい安定したシステムになりましたが、私はK3の方が軽快な印象だったと思います。

b360トラック07.jpg

そこで後期型ではキャロルの水冷4気筒20馬力エンジンを搭載しています、ですがこれもキャロルより50kgも重い575kgというシャシですから軽快なわけがありませんね。

b360トラック05.jpg
b360トラック06.jpg

この時代にこのように軽三輪から四輪車に換わっていったのは、マツダだけではなくB4と同じように成功したダイハツ・ハイゼットやホープスター・ユニカーやコニー360などがあり、ミツビシもレオからミツビシ360に換わりました。

ハイゼットやミツビシなどは2サイクルエンジンを搭載していましたので軽快な走りで好評でしたが、B4は走りの重っ苦しさ故に後期型の販売は苦しかったようです。

b360トラック03.jpg
b360トラック04.jpg

昭和43年B360はモデルチェンジしてポーターとなります、そして48年にはやっとシャンテの2サイクルエンジンを搭載し少し軽快感を演出しますが51年、ついに販売を終了しました。

ちょっとさかのぼって昭和40年代に入ると、ハイゼットがハイゼットキャブになったようにキャブオーバータイプに換わって行きます、富士と黒金は最初からそれぞれスバル・サンバーやくろがねベビーを出していました。

マツダも時代にのって2サイクルのポーターキャブを発売します、これはB4やポーターとは全く別の設計で、軽く軽快な今風の軽トラックでしたが、実はこのポーターキャブがマツダが製造する最後の軽自動車となったのです、ただし昭和44から平成元年まで実に20年に渡って生産が続けられ、日本国内の軽トラックにおける最長生産記録となったのです。



posted by 健太朗 at 22:04| 京都 ☁| Comment(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする