スーパーカー.・トヨタ2000GT

  以前、トヨタ1600GTの話をしましたが、それならトヨタ2000GTの話もしましょうと思いましたが、残念ながら私は2000GTには乗ったことも整備にたずさわったこともありません、でもあの当時の2000GTの人気ぶりはよく覚えています。


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2000GTは昭和42年に発売されましたがこの当時、私たちの世代はまだ二輪車に興味があった時代ですので、オートバイの三大メーカーの内、スズキは既に四輪部門を持ってるし、ホンダが四輪スポーツカーに進出したのにヤマハはどうなの、なんて話題で盛り上がったりしていましたら、なんと後に国産車で唯一のスーパーカーと呼ばれるようになるトヨタの高級スポーツカー、トヨタ2000GTのエンジンを手がけた、と言うことで大いに感心したものでした。


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それはボディをトヨタが造り、エンジンはトヨタM型をベースにヤマハがチューンアップする、というものでしたが。

ヤマハがニッサンと協力して開発していたスポーツカー計画にトヨタが乗っかってベースエンジンとしてM型を提供しただけで、開発丸投げでトヨタのバッジを付けたのだ、といううわさが流れました。


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これらの噂はちょっとと違って、実はトヨタ・ヤマハの共同開発だったと言うことはずいぶん後になって、40年代後半のスーパーカーが流行ったころに知ったのです。


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実際には、ヤマハのスポーツカー計画にニッサンの力を借りようとしたところ、ニッサン側の都合でうまくいかなかった、というところにトヨタがエンジンのチューンアップを注文して来たと言うことから、共同開発の話になったのですが、その時すでにトヨタの方でシャシの設計が出来ていました、ですからこれをベースにトヨタの技術者がヤマハに出向するかたちで開発が進んでいきました、だから当然のようにヤマハの工場で委託生産と言うことになった、とまぁそんなところが事実のようです。


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ですからヤマハのエンジン技術の他にも楽器の木工技術もウッドパネルなどの生かされているそうです、ここから28ヶ月という短い期間で発売になった。というのも納得できる話しです。


これも歴史の裏側とみれば面白いお話ですね。


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ところで、私たちが初めてトヨタ2000GTを見たのは昭和40年、東京モーターショーを特集した自動車雑誌の記事でした。

この年は高度成長期のまっただ中にありながら少し不況の影が見え隠れした年ですが、プレジデントが発売されコロナが飛ぶように売れた頃で、一方モータースポーツが身近なり始めてスカイラインGTR380、ヒノプロトタイプ、ホンダF1もショーを賑わしていました。


その中で、トヨタ2000GTはショーモデルとみられて、前述の雑誌には「最高速250km/hはあながち誇張ではなさそう」とか「我が国で使われるには大きすぎる」とかの記述があります。

でも大きさは全長4160mm1600mmですから今なら私のアクアより少し小さいくらいでしょう、幅が広いだけの3ナンバーが流行る時代から見れば決して大きくはないですね。


でもこの時点でほぼ出来上がっていたのですから凄いものですね。


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そして次の年は世田谷で樹立された世界記録、国際記録を報じていますが、オープンタイプが007のボンドカーになったこともあって「近くこのまま発売されるでしょう」としています。

でも実際に生産車として発売されたのは約半年後の昭和425月です。




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最近、トヨタ 2000GT 50周年ということで、開発の高木英匡さんと津々見友彦さんの対談の記事を読みました。

そこで高木さんは「ヤマハの川上源一社長からトヨタ側に「なにかいっしょにやりませんか?」という打診がありました。それで、ちょうどいいタイミングだということで共同で開発することになったんです。」といっています。

また、「エンジンも含めた車両全体の開発作業の流れは、まずトヨタがコンセプトを固めて、設計を主導。ヤマハはそれを受けて各部分を開発し、トヨタが承認するという流れでした。実際にヤマハとの契約がスタートしたのは12月ごろで、設計が完了したのは翌年4月ぐらいでしたかね。それで1号車が完成したのは8月です。」早いですよね。

「普通のクルマの開発に比べてかなり早い。集中的に作業できたのがよかったんでしょう。エンジン、シャシー、ボディの3グループに分かれて進めていたんですけど、どれも実際の作業はヤマハ側のほうがずっと多かったので、毎週1回はヤマハに泊まり込んで作業してましたよ。」


そして「好奇心と夢と情熱、、トヨタに長く勤めたなかで、大切な仕事のひとつです。いまでもこうやって、多くの人に興味を持っていただけるというのは誇りに思いますよ。」

津々見さんは「こんなに美しいカタチ、美しい音に包まれながらサーキットを走れるなんて、至極の時間でした。開発者の英智やセンスが、いかに素晴らしいものだったかがわかります。携われたというのはラッキーだったし、幸せです。」と仰っています。


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常識を破るファミリーカー・ルーチェ

  マツダが世界に誇るロータリーエンジンを載せたコスモスポーツが発売されてから50年になるそうな、考えてみれば50年前には私はもうメカニックの新米として、菜っ葉服を油で汚していたのですね、昔話をするのもむべなるかな、と思ってお付き合い願います。


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でも今日はロータリーエンジンの話ではなく、ちょうどその頃に発売された「ルーチェ」の話しです。


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昭和38年の東京モーターショーの全身、自動車ショーに出品されたマツダ・ルーチェは3960mm1480mm1000cc1500ccの後に大衆車と呼ばれる小型サイズのクルマでした。

コロナより小型のパブリカが出て、カローラやサニーはまだ出ていなくて、このクラスではコンパーノやコンテッサ、スバル1000などがありました、そしてまだマイカー時代と言うにはまだすこし早い、という時代のことです。

このあたりから小型車10001500クラスの競争の激化出始まるのです。


このルーチェはベルトーネがデザインした5人乗りセダンでちょっと小さめ、エンジンも恐らくロンパーやB1500といった商業車から流用したものでしょうから、このまま市販されるわけはないでしょうという見方もありましたが、その通り39年第11回モーターショーにはコスモが発表されてルーチェの音沙汰なし、しかしこの直前に発売されたファミリアセダンがプロトタイプルーチェと似てるとか似てないとか、そして12回は東京モーターショーにその名が変更されて、マツダのブースにはまったく違うルーチェが展示されました。


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それはその明くる年に発売される美しいルーチェでした、後にデザインを担当したのは当時ベルトーネに在籍していたジョルジェットジウジアーロだったと報じられ、ああなるほどな、と思わせられたあの独特のラインはマツダではAライン呼んでいます3本のピラーが描くまとまりのいいデザインと、何気なくまとまったフロントグリル周りなど美しい4ドアセダンに仕上がっていました。


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ウィキペディアには「開発初期に、同じベルトーネのスタイリングながら、市販車とはまったく異なる姿のプロトタイプがあった」と書かれていますが、私は同じベルトーネでもプロトタイプはジウジアーロの担当ではなかったのではないかと思っています。


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このページで紹介している画像は発売初期のカタログから抽出したものですが、ルーチェの美しさはこれらの画像で判っていただけると思います。

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さて表題の「常識を破るファミリーカー」というフレーズをカタログを見ながら考えてみました。

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カタログの見開きには「ハイメカニズム・ハイパフォーマンス」とか「1500ccの常識を破る高速ツーリング設計」などの文字が見えます。

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エンジンは当時まだ少なかったOHCオーバーヘッドカムシャフト、クロスフリー構造です、さらにクランクシャフトが5軸受けになっていますから当時の先進のメカニズムと言えます。

1500cc78馬力 トルク11.8はハイパフォーマンスと言っても否定できません、しかし前ダブルウィッシュボーン・後リーフリジットというサスペンションは少しも常識破りとは言えませんし、ブレーキは前後ともドラムでこれも一般的です、これはやはりキャッチフレーズでしょうね。


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でも美しいボディデザインと6人乗りのベンチシ-トや4速フルシンクロのミッション、それにボルグワーナー製の3速オートマチックは名神高速道路開通で沸く高速時代の幕開けを感じさせるクルマだったことに間違いは無いでしょう。

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私の自動車屋ではマツダ販売店の看板も掲げていましたのでマツダ車は数多く販売しましたが、この初代ルーチェの後期に1800ccエンジンを積んだモデルが出ました、それまでメカ的に平凡だと思っていたルーチェが重厚で、反面スポーティな印象になって性格がが大きく変わったのを良く覚えています。

エンジンが大きくなっただけではなく、普通の4ドアセダンに当時まだ珍しかったディスクブレーキがアシスト付き(当時マスターバックと言った)で装備されたのです、私はこのブレーキの効き味が素晴らしかったとの印象が残っています。

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思えばムカシのクルマは総てアナログですから、ブレーキやクラッチ・ハンドルやシフトレバーなどの操作感や微妙な味付けなどには充分気を遣って造られていた気がします、そして最近のクルマはちょっとぞんざいかな、という想いがあります。