バック・トゥ・ザ・フューチャーで有名なデロリアンが2017年に復活すると言うニュースが飛び込んできました、デロリアンはガルウイングドアが特徴の未来志向のクルマですね、今日はバック・トゥ・ザ・フューチャー、ガルウイングドアそしてセラ、とかけて、と言ってもいつものムカシ話です。
昭和48年のオイルショックではティッシュペーパーやトイレットペーパー、それにたばこ等などを買い占める人々のパニックが起こるなど、誠に奇妙な現象が起こりました、以降、スポーツタイプ車は元気がなく、タイヤを美しく飾っていたホワイトリボンは無くなり、車体色まで制限されるようになって販売台数は伸び悩み、さらに排気ガス規制が追い打ちをかけ、日本の自動車はちょっと暗い時代になりました。
しかし昭和51年、軽自動車の規格が360ccから550ccに改正され、排ガス規制に対する技術が進歩したこともあって昭和50年代の終わりごろには小型車にもワンボックスやハッチバックなどの楽しいクルマで活気が出てきました。
でもバブル景気がおとずれたはそんなころでしょうか、シーマ現象やセルシオに代表される高級車ブームで、バブルの恩恵をあまり受けられなかった庶民にとっては、多少給料は上がったけれど自動車に対する興味がちょっぴり薄れてしまいました。
平成に入って「バブルがはじけた」なんて言葉が聞かれたころ、私の自動車屋でちょっと変わったクルマが売れました、それは日本の量産車で初めてのガルウイングドアを持つコンパクトなクーペ、トヨタ・セラでした。
セラってクルマは個性的で、コンパクトつまり大衆車なんですから、私のような自動車大好き少年?にとっても興味深いクルマだったのです。
クーペというのは美しいけれどもタイトで狭っ苦しいイメージがつきものですが、セラはグラッシーキャビンとかパノラミックルーフという、ウエストラインから上はガラスのドームをかぶせたような明るく開放的なクルマでした、でもこれは私の主観ですが、寸法的な無理もあってかあまり美しいクーペには見えませんでした。
ガルウイングドアというと石原裕次郎のメルセデスベンツ300SLも有名ですが、セラの場合は蝶の羽のように、と言うことでバタフライドアというのが正しいそうです。
バタフライドアはフェラーリやマクラーレンなどいわゆるスーパーカーに多く採用されていますね。
さて、セラのプロトタイプは昭和62年、第27回東京モーターショーで発表されたAXVⅡと言うコンセプトカーですが、ほとんど変わらず量産車に移行されました。
なんと言ってもこのクルマの特徴は飛行機の操縦席を思わせるようなガラスのルーフです、思えばそのムカシ、トヨタはS800のプロトタイプでスライド式のルーフが試作されたことがありましたが、主に安全対策を考えてタルガトップに変更されたそうですが、セラの場合もルーフに回り込んだドアガラスのためにバタフライドアになったのだそうですが、もしもの転倒時にはロールバーで乗員が無事だったとしてもドアが開きません、そこでリヤハッチを大きく開くようにしてあるそうです。
また、バタフライドアにもいろいろ工夫があるそうです、大きく上に開くドアを支えるダンパーは油圧ですが、温度差によって効きが悪くなるのを防ぐためにもう一本の温度補償ステーなるものを付けているとか、ドアを開けたときに雨水が落ちるのを防ぐといのようなシール材、ドアを持ち上げるときに肘をかけられる内張やドアハンドルなど、ふつうのドアにはないものがあるようです。
今でもセラに乗っている友人が「温室みたいやから、暑いよ」なんて言ってますが、ル-フ用のサンシェードがあったり、エアコンは強力なものとなっています。
車台やエンジンなどは、FFになった4代目スターレットEP71型をベースにしていますが、ガラスのルーフが重いので、サスペンションには重心が高くならないようロールセンターを上げる工夫がしてあるそうです。
エンジンは5E型1500cc110馬力の高性能タイプになっていますから乗り味は韋駄天スターレットよりスポーティなはずですが、重い車体と低いギヤ比のせいでしょうか、私は特によく走るという印象は覚えていません。
セラは平成2年から7年までに15,000台余りしか作られていない希少車で、後継車も出ていませんので、平成3年の新車価格が5MTで160万でしたが、20年以上たった今でも中古車市場で30万からなんと70万以上の値が付いているそうです、でもクルマ離れが進んだ今の若者には、いえいえそこそこ年配の同輩に話してみても「セラってなに?」ぐらいの答えしか返ってきません、石原裕が健在だったとしてもも大衆車のセラには興味ないでしょうか。
ところが最近、若い仕事仲間がもうクラシックカーになったセラを大事に乗っているのを見て、私の自動車屋で1台だけ売れたセラを思い出し、今更ながらセラの魅力を見直した次第です。