小坊主のフォルクスワーゲン

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  最近、フォルクスワーゲンの排ガス不正問題が取りざたされていますが、そんなことを夢にも思わなかったムカシの話です。 

 親しみを込めて私が、小坊主、と呼んでいる幼なじみのO君、今では立派な、老僧、です、彼のお父さんは私にスバル360を譲ってくれた、あの和尚さんです。 

 和尚さんがスバル360を選ばれたのは息子の小坊主の意見を取り入れてのことです、そう、小坊主は幼い頃から私と同じ自動車大好き少年で、中でもフォルクスワーゲンの大ファンでした。 

 でも、フォルクスワーゲンは買えないからカブトムシではなくテントウムシのスバル360を和尚さんに勧めた、ということなのです。

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 ちなみに、ドイツではケーファー(Käfer =カブトムシカブトムシ)と呼ばれていたそうですが、日本ではフォルクスワーゲンをビートルと呼んだのは最近のことで、フォルクスワーゲン・タイプ1、またはフォルクスワーゲン1200でした。

 今で言う初代ビートルが現役の頃は、ほとんどビートルと呼ぶ人はありませんでした、もちろんそういう愛称があると言うことは承知の上で、です。 

 もうひとつ、Wagenはドイツではヴァーゲンと発音するそうですが、日本ではヴァーゲンは安売りのイメージがありますのでワーゲンと読ませた、というハナシもあります。

 

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 さて、自動車大好き小坊主の愛車遍歴をここで言うと長くなるので、中略、ということで。

 昭和50年のある日、私の家にやってきた彼は開口一番、「フォルクスワーゲン、買うたよ。」
      

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 私が驚いたのも当然のこと、いくらVWが外国車の中では一番お安いクラスだといっても、やっぱり高価なクルマです、私はというとまだ4年落ちのコンソルテをこつこつと整備しながら乗っていた時代ですから、中古車でも探してきたのかと思ったら新車だというので二度びっくりです。

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 自動車大好き少年はこのくらい頑張らなくっちゃ、と思わされたものでした。

 さて、フォルクスワーゲン・タイプ1は彼のヒトラーが提唱した(フォルクスワーゲン=国民車)計画に沿ってフェルディナント・ポルシェが設計したリアエンジン小型車KdF-Wagen(喜びを通じて力を得るの車・ヒトラー命名)を元に1938年フォルクスワーゲン製造会社によって製造され、以来2003年まで半世紀以上も生産され、世界最多の2150万台余りも生産された名車中の名車です、その名車にたとえ一時期でもかかわってドライブできたことは私にとって幸せなことだと思います。

 そう言えばスバル360も運輸省の国民車構想に沿って創られた車でしたね。

 ここに紹介する画像は、昭和43年のカタログ写真ですが、小坊主のフォルクスワーゲンはマイナーチェンジされた後期型1300でした、後期型ではストラット式サスペンションなど近代化されていますが、マイナーチェンジ直後はまだポルシェ式のトーションバー式トレーリングアームで、キャロルやスバル360で知っているのと似たような乗り味を体験できました。


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 しばらくして小坊主が結婚した時には、新婚旅行に出かける空港までの送迎役をかってでて彼の愛車で高速道路を運転し、新郎新婦を送り出した後、帰路は遠回りしてドライブしました。

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 印象に残っているのはあの堅いシートです、当時の国産車の多くはふわふわシートですから、あの堅いシートは街中ではけっして良い印象ではなかったのですが、長時間乗っていても疲れないし、おしりが痛くなるようなことがなく、その日の半日ですっかり見直したのです。

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 また、1300ccのエンジンは国産のそれより確かに力強く、サスペンションもスバルやキャロルのような、ふにゃふにゃ感がなく、実に素晴らしいと思ったものでした。


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 しかしその後、私の自動車屋に持ち込まれたフォルクスワーゲンはジェネレータを回すためのファンベルト・プーリーが破壊されていました、これはジェネレーターと同時に大きなファンを回しており、空冷エンジンの致命傷となるものです。 

 聞けば、これがフォルクスワーゲンの弱点だ、ということでした。

 当時、鉄鋼は西ドイツが優れていると言われていたものですから、これはいかにと思わされたものです。

 思えばこれが私の、ドイツ車アレルギーの始まりだったのかもしれません。

 


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