コロナマークⅡ

  私はしばしば、モデル初代のデザインやメカニズムを「オリジナル」だと思うことがあります、そのムカシ、「モデルチェンジのためのモデルチェンジ」というフレーズが流行ったことがありましたが、今でもこのフレーズは生きていて新しく見えるが魅力がない、というモデルチェンジもあります。

 

 だから、しっかりした最初のポリシーに沿って設計されたクルマ、「オリジナル」には魅力があるのです、ただし、何代かモデルチェンジを繰り返した後に名前こそ「昔の名前」でも次の時代の要求によって、しかし最初のポリシーをはずさないでまったく違うクルマに変身するものもあります、これがまた最初のオリジナルより大きなヒットになったりするのです。

 

 例えばファミリア、1963年はそろそろマイカー時代が幕を開けようとするころで、まだ国民車構想の想いが残っていて、パブリカや三菱500などの空冷式エンジンを載せた軽量車が走っていたころ、大衆車としてはちょっと豪華な水冷式エンジンで、静かでキビキビ走るSSAで大ヒットしました、2代目以降も時代のニーズを考えてモデルチェンジを繰り返しましたが、昭和55年、5代目となるBD1051、は時代の横置きエンジンと前輪駆動で居住性と荷物室に十分余裕を持った作りと大きなハッチバック、スラントノーズなどのボディデザインで「中興の祖」といわれるくらいのヒット商品となりました。

 

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  さて、今回のおはなしはファミリアではなくコロナマークⅡです。

 コロナマークⅡは昭和39年発売の3代目コロナRT40が大ヒットしてアメリカに輸出したところ、アメリカ人の体格に合わせた一回り大きなクルマという要望がありました、そこで昭和43年、RT40のデザインを発展させて一回り大きなRT60が出来たのです。
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  その頃日産でもブルーバードとセドリックの間を埋めるローレルが発売されました、もちろんトヨタにもコロナとクラウンの間を埋めるクルマのニーズが高まってきたのです、しかし巷ではローレルに対抗してトヨタは初代コロナのように有り合わせのパーツを使って作ったコロナマークⅡはネーミングも有り合わせだ、などと考える人もいたそうですがそうではないのです。

 

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  さて、昭和40年代にヒットしたクルマには一つのキーワードがあります、それは「オーソドックス」正統的という意味だそうです、四角い4ドアセダン、ダブルウイッシュボンにリーフリジット、オーバーヘッドバルブ、ベンチシートに3速コラムシフト、これらが昭和40年代前半の「オーソドックス」です。

 

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  私は、初めてマークⅡに乗ったとき、おおきいな、と思いました、その空間もシートもダッシュボードもすべて一回り大きく余裕があってゆったりしているのです、その大きい分コロナのようなかっちりと作り付けてあるような印象は薄いような気がします、でもマークⅡは室内にゆとりがあるということと、それにオーソドックス、これが生まれながらの信条です。

 

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  それでもエンジンは新しくなりました、コロナの2Rから7R4気筒OHC1600cc85馬力という新型になりました、決して活発ではないけれど使いやすく安心感があるエンジンです。

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 トヨタのクルマといえばもうこのころからバリエーション豊富です、1600cc1900cc2ドアハードトップ、ワゴン、ピックアップ、デラックス、SL、GSS,組み合わせれば100種類を超えるといわれました、エンジン形式の後にGが付くDOHCエンジンもこのクルマからです。

 

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 その他にもこの時代の新しいメカニズムも取り入れています、車室を守るクラッシャブルボデー、前後2系統ブレーキ、衝撃吸収ハンドル、ブースター付きディスクブレーキ、2分割プロペラシャフト、その他いろいろですがまだクーラーは標準装備ではありません。

 

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 これが昭和40年代のヒット作、コロナマークⅡのオリジナルです、というよりこれがコロナマークⅡなのです、私は2代目以降のマークⅡは全く違うクルマだと思っています、その証拠に初代の車体形式はTですが、2代目以降はXです、Tはコロナを現す形式です、つまりコロナの上級仕様、コロナの発展型、それでマークⅡなのです、XはマークX にもつながるXです、ですから2代目以降はコロナマークⅡではなく、トヨタマークⅡに名前も変更され、全く違う思想で生まれたクルマだったのです。

 

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 私の自動車屋で販売した京染屋の44年式コロナマークⅡ1600デラックスも電気屋の1900ハードトップもそれぞれのおやじさんに永く愛された、そんな車の一台でした。

和尚さんのミニカ

  考えてみたらこのブログで三菱のはなしを書いたことなかったですね、そこで今回はミニカのはなしです。 

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 以前、幼なじみのてんとう虫、というはなしを書きましたが、そのスバル360の代替として和尚さんが乗られた三菱ミニカです。

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 三菱ミニカという車種は昭和38年に初代ミニカが発売されて平成23年まで、実に8代45年という長寿命の名跡なのです。

 日本の乗用車の中でもっとも長寿なのは言わずと知れたクラウンの14代59年ということになりますが、軽自動車ではこのミニカがNO.1なのです、でもミニカの名前は既に廃止されておりますからクラウンと違って破られるかもしれない記録ですね。

 さて和尚さんのミニカは初代のマイナーチェンジ後、1964年式です。

 

 初代ミニカの後期型はME24型2サイクル強制空冷直列2気筒359cc18馬力リードバルブ管制方式・分離給油方式、という当時の2サイクルエンジンの最先端技術が盛り込まれています。

 

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 強制空冷というのはオートバイのようなフインで覆われたエンジンをブリキ板のような薄い鉄板ですっぽり包み込んで、この隙間に大量の空気(風)を送り込んで冷却するというもので、現在ではもうお目にかかれませんが軽自動車の発展途上では盛んに使われた方式で、コストパフォーマンスは良いのですが騒音を抑えるのが難しく、各メーカーではいろいろな工夫をしていたようです。

 またリードバルブ管制方式というのは、2サイクルエンジン特有の吹き返しを防ぐために吸入ポートにハーモニカのリードのような逆流防止弁を組み込んだものです、これによって吸入効率が良くなって性能を上げられたのです。

 私の記憶では軽自動車2サイクルエンジンの中では一番、回転がスムーズでふけ上がりが安定していて使いやすいエンジンだったと思います。

 それはシャシに癖がなくしっかりしていたからではなかったかと思います。

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 実はミニカは当時の新三菱重工のクルマですが、水島自動車製作所というメーカーの製品だったのです、もちろん三菱グループの会社ですが、戦前は水島航空機製作所で海軍一式陸上攻撃機を作っていました。

 一式とは皇紀2601年4月に制式採用されて名づけられたもので、星型14気筒42.1立1530馬力、金星、というエンジンを載せて空気抵抗の少ない双発機だったそうです。

 そして戦後は、水島機器製作所に改名してオート三輪「みずしま」から軽三輪「ペット・レオ」を三菱レオとして発売、その後社名を水島自動車製作所として三菱360という商業車を開発、ライバルに較べて乗用車的な居住性と高級感を備え、三菱のブランド力も加わって人気があった車でした。

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 その三菱360をベースにして作られたクルマですから、堅実、平凡で先進技術に乏しい代わりに信頼性のあるクルマで、前・横置きリーフのダブルウイッシュボーン、後・リーフリジットです。
 まだ技術力に乏しい時代のFFやRRより当然乗りやすく使いやすいクルマであったことは間違いありません。

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 和尚さんがミニカに乗ってから、以前のスバル360のように電柱にガリガリこするようなことがなくなったことは言うまでもありませんが、その後の和尚さんのクルマは昭和45-6年ごろに乗り換えられたミニカF4を含めて、引退されるまで見事に無傷でした。

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