2014年03月16日

布団屋さんのボンゴ

  昭和41年に発売された、初代ボンゴは非常にユニークなクルマです。

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 日本ではこれだけ、という点が沢山あるのです、例えばリアエンジンで8人乗りのいわゆるミニバンを成立させている点です、ボンゴは日本で最初にキャブオーバーライトバンに本格的なスライドドアを採用した車です。

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 他に日産のキャブライトがありましたが、こちらのスライドドアは無理やり付けたようにボディに段差がありとても本格的とはいえないものでした。

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 リアエンジン縦置きのクルマと言えば日野ルノーやコンテッサがありますが、ボンゴの場合はエンジンの後ろ側テールエンドにラジエターがあります、つまり縦置きフロントエンジンを前後真逆にしたレイアウトなのです。

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 このラジエターのすぐ前に位置するラジエターファンは後ろ向きに風を送ります、車体の後ろに噴射するのです、車体の後ろ側は走行風を巻き込みますからこの方式では高速には向きません。

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 その証拠に無理な空気抵抗によってひん曲がったプラスチックのファンを交換した経験が幾度もあります。

 ルノー・コンテッサの場合は車体横、リアドアの後ろにあるスリットから空気を吸ってエンジンの前側にあるラジエターを冷やします。

 このルノー・コンテッサのエンジンを利用して前輪駆動のミニバンを成立させたのが日野コンマースです、こちらも僅か838cc28馬力で11人乗りのミニバスを成立させていますがボンゴの場合もファミリア800と共通の782cc37馬力エンジンです、まあちょっと時代が違えば馬力は違いますがいずれも今の時代には考えられない非力な小さなエンジンを使っていたものですね。

 このエンジンはオールアルミ製です、これもマツダが先駆者だと言えるでしょう、でも「白いエンジン」と呼ばれていたという話がありますが、実際に私は聞いたことがありません、エンジンルームを上から見ると青いタペットカバーが見えるだけですから・・・。

 私の自動車屋で布団屋さんに販売したのはボンゴ800のライトバンです、ボンゴは荷台が広くスライドドアからも荷物が載せられるのです、また、荷台の床が低いのも人気でした、リアエンジンですから後ろにエンジンルームがありますから、その分、容積は小さいのですがエンジンルームの前の床は極端に低くできます、ですから布団屋さんのようなかさばる荷物を扱うお店では重宝されました。

 このクルマに綿のわたを詰めた布団を満載にするとたくさん積めるのですが、相当な重さになるのです、当時はまだ羽根布団など普及してませんから、これは布団屋さんとしては当然のことでキャブライトのようなトラックベースのライトバンなら問題ないのですが、なにしろこちらは全輪独立懸架の乗用車ベースのクルマですから、この重荷には耐えられないのです。

 それでも前後ともサスペンションはラバーブッシュなどが普及し始めたころのことですから少し丈夫になっていたのですが、特にブレーキが持ちませんでした、オールドラムのファミリアと同じブレーキではシューの減りが極端に速く、この布団屋さんでは1万キロ以下で交換を余儀なくされました。

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 しかし、独立懸架のふんわりした乗り心地は商用車らしからぬ乗り心地で、そしてふんわりした加速感や床から生えた長いシフトレバー、それにほとんど水平に寝たハンドルなどは、ひとクラス大きなクルマを運転しているような錯覚を受け、なんとも独特の雰囲気があったことを覚えています。

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 コンマースと同じく、ボンゴはマツダの先進性を現しており日本にはまだなかったワンボックスカーをいち早く世に出した功績は大きく、ついひと昔前まではワンボックスのクルマは皆「ボンゴ型」といったものでした。

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posted by 健太朗 at 21:51| Comment(2) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

コンテッサ900スプリント

    今回も発売されなかったクーペ、第3弾です。

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   日野コンテッサをベースにジョバンニ・ミケロッティがボディをデザインし、エンリコ・ナルディがエンジンと足回りをチューンアップしたもので、イタリアの美しい造形とコンテッサの味付けが見事にコラボレートした世にも流麗なクーペで、これが昭和30年代に日野によって作られていたとは驚くしかないでしょう。

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   しかもスリーサイズが3830・1470・1200、900cc・50馬力のエンジンだが、650kgの軽い車体を走らせるのだから、コンテッサ900の走りから見てもスポーツカーとして軽快なことは容易に想像できるというものですね。

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    このクルマは昭和37年のトリノモーターショーから、38年のニューヨークまでいろいろな海外のモーターショーに出品されてかなりの評価を受けたそうですが、さてイタリアで市販しようとしたら、欧州の自動車メーカーからの圧力で市販できなかったということだそうです。

 

   こんな美しいクーペが市販されていたら日本のク-ぺやスポーツカーの歴史に影響を与えていたでしょうね。

 でも、はがき1枚5円、タクシー初乗り80円それに労働者の平均月給が24,375円の時代、コンテッサ900が65,5000円でしたから手作りのスプリントはおそらく100万円以上になったでしょうから難しかったのでしょうね。

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posted by 健太朗 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ヒノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする